2010年11月30日火曜日

根津美術館の紅葉

池に浮かんだ舟にも、水面にも紅葉が散っている。

青山2丁目から、表参道方面に向かう。80年代に建てられた「伊藤忠のツインビル」は、今見てもりっぱじゃなあ。その先に、わしが学んだ「ベルリッツ青山校」が、まだ同じ場所にある。

「ブルックス・ブラザース」を過ぎて、「表参道交差点」から左折すると、洒落た店が多いのう。中でもお気に入りは、「ヨックモックのお菓子屋さん」じゃ。

そこから「根津美術館」まではすぐ。今は、「絵の中に生きる」(中・近世の風俗表現)という展覧会で、「洛中洛外屏風」八曲二双、「誰が袖美人図」、「住吉踊り図」などが生き生きとして面白かった。

でも、今日の目的は、庭の散歩じゃ。ちょっと来るのが遅かったかのう。残った紅葉も、色が暗いんじゃ。中で、池に浮かぶ舟に、落ち葉が積ってるのが気にいった。舟の向こうには茶室が見えるんじゃ。(2010/11/30)

神宮外苑の銀杏(2)

青山二丁目の横断歩道から、絵画館方向を撮影。立ち止まらないように注意される。

この方向から見るのが「正しい見方」じゃ。正面奥に、小さく「聖徳絵画館」が見えておる。ちなみに、千駄ヶ谷に住んでた頃は、自転車で神宮前から青山までが行動範囲だったにもかかわらず、この「絵画館」の中には入ったことがないのじゃ。

しかし、このアングルで撮影するのは、なかなか大変なんじゃ。警官が、歩道で立ち止まらないように注意するので、気が散って、なかなかいいのが撮れないんじゃ。

青い空を背景に、左右に対称的に整然と並んだ銀杏並木は、本当にきれいだね。この並木は、実は、4列で、左右の歩道の両側に木が植えられてるので、歩道は、黄色の絨毯を敷いたようじゃ。

「歩道の写真」も撮ったんじゃが、写真を二枚並べる方法が分からないので、割愛したのじゃが・・・。残念!

神宮外苑の銀杏(1)

今が見頃じゃが、散り始めた木もあるぞ。

霜月最後の日は、神宮外苑の銀杏見物に行った。新宿で総武線に乗り換えて、信濃町で下車。

「信濃町」は、青春時代の思い出の街じゃ。大学の女子寮や、全学連の事務所、文学座スタジオなどがあったのう。でも、今は、創価学会の門前町みたいじゃ。慶応病院もあるけれど・・・。

絵画館前は、妻とのデートコースじゃ。ここのベンチで、おにぎりを食べた頃がなつかしいのう。外苑に沿って、ぐるりと回ると、並木道のはじっこに出る。噴水周辺に、「いちょう祭り」の屋台が並んでるのう。

ここから青山2丁目方面をみると、見事な銀杏並木じゃ。写真は、並木道の左側中ほどの様子じゃが、まだ緑の葉もあるのう。(絵画館を背に)右側の木は、散り初めているのもあるんじゃ。
(2010/11/30)

2010年11月29日月曜日

焚火でさんまを焼く

今日は、能見台のK宅で焚火をしました。

前から行きたかった高校の友人、K君の家を、やっと訪問しました。K宅の庭はとても広く、欅、楠、桜、楓など沢山の木が生えています。

また、梅、ビワ、蜜柑、あけび、カリン、レモンなど実のなる木も多く、調度、はっさくと蜜柑がなっていました。今日は会えなかったけど、リスもいるんだって。

これらの木の伐採と落ち葉の処理が大変です。落ち葉は、数か所に集めて、腐葉土にします。木の枝は、切りそろえて、薪にして、ストーブで使うんだ。

「たき火をしたい」という、私のリクエストにこたえてくれたK君が、余った小枝で火を起こし、串に刺した「さんま」を焼いたあと、鉄板を出して、ヤキソバを作ってくれました。

残った炭火を利用して、アルミホイルに包んだサツマイモを焼きイモにしました。さんまは能見台、焼き芋は、たき火に限る!(2010/11/29)

2010年11月28日日曜日

六義園の紅葉(2)

六義園は、五代将軍、徳川綱吉の御用人、柳沢吉保が元禄15年(1702)に作った、「回遊式築山泉水式」の「大名庭園」です。 元禄15年といえば、あの忠臣蔵の討ち入りの年ですね。 最近は、春のしだれ桜が有名です。

六義園の紅葉(1)で紹介した風景が、一番広々としたメインの風景です。この池の周りをぐるりと回りながら、様々な景色を楽しむことができます。(写真を横に出来なくて見にくいけど) 

左の写真は、駒込駅寄りの「染井口」から すぐの「藤波橋」から、池の方を見て撮ったものです。「渡月橋」を渡る人たちが、逆光で、シルエットになって並んでいます。よく晴れた日なので、川面にも、人々の影が映っているのが面白いと思いました。
(2010/11/28)                                           

六義園の紅葉(1)

六義園のお庭は、紅葉が見ごろです。

日曜日の午前中、JR駒込駅から、六義園染井口より入園。
沢山の人が、紅葉見物に訪れていました。

携帯電話でいい写真が撮れたんだけど、この写真を横にすることができません。

申し訳ありませんが、首を右に傾けてご覧ください。

パリにて(3)モンマルトル界隈


「パリの上野」というべき「北駅」から、地下鉄で一つ。ユトリロの名画で名高いモンマルトル地区(セーヌ右岸18区)は、エコール・ドパリの画家たちの集った愛すべき町だ。ふもとの町は、アラブ人やアフリカ系の人々の目立つ雑多な地区で、まさに「アメ横」または、「浅草」の活気だ。

後に、1995年に仙台の女子高校生を引率してきた時には、ここで、シシカバブーのサンドイッチを食べた。また、「タチ」とかいう、ローカルなデパート、というか大型スーパーがあるのだが、オペラ界隈のプランタンラファイエットなどの高級デパートとは、全く異なる、騒がしい店である。

丘のふもとから、真っ白な「サクレクール寺院」を目指して、どんどん坂を登っていくと、短いケーブルカー(フニクレール)があるので、最後はこれで、一気に丘の上に登れる。ここからは、パリ市街が一望できる。実によい眺めじゃ。寺院に入り、ろうそくをともしてお祈りをする。
この見事なお寺は、上野の山にそびえる寛永寺というところ。

そして、すぐ近くの「テルトル広場」に行こう。この小さな四角型の広場には、観光客目当ての似顔絵かきや風景画を売る自称画家がいて、盛んに「マダーム、ムッシュー」と、声がかかる。

シルエットの「肖像切り絵」を熱心に勧めるおじさんがいた。あっという間に、小生の横顔の特徴をつかんだ見事な「切り絵」を作って、**フランというのだ。押し売りだが、見事な出来栄えだ。

ところが、その時、僕の財布には、1サンチームも入ってなかったのだ。TCはあったのだが、銀行によって交換するのを忘れていたんだね。「ごめん。お金が一銭もないんだ」というと、彼は、目を丸くして憤慨したように、出来上がったばかりの作品をくしゃくしゃに丸めてしまったのだ。

さすがに、ちょっと傷ついたね。「お金がないのって悲しいなあ」。でも、この気持ちこそ、まさにエコール・ド・パリの貧乏な画家たち、モディリアニユトリロの気持ちではないだろうか。

アメデオ・モディリアニの「憂いを含んだ肖像画」のように、モンマルトルは、僕にとっても、少しメランコリックな思い出の場所なんだ。

(2010/11/27)

2010年11月27日土曜日

革命200周年のパリ(2)

<1989年は、「フランス大革命200周年」の記念すべき年だった。日本では、昭和天皇が崩御、年号は「平成」に変わった。ソ連ではゴルバチョフの「ペレストロイカ政策」が進み、東欧では、鉄のカーテンを越えて多くの人々が西側に移動し、ついに、11月には、「ベルリンの壁」が崩壊した。
・・・この激動の年、労働意欲を失った一人の日本人が、さしたる目的も、問題意識もなく、シャルルドゴール空港に下り立ったのは、プラタナスの枯れ葉散る晩秋のことであった>

パリは大きな都会だから、その地域によって雰囲気は随分と異なる。「北駅、東駅周辺」は、東京でいえば、上野というかんじだ。英国やベルギーに行く時は、北駅からの列車に乗るが、上野から東北新幹線にのるようなものだ。

ガレ・ドエスト(東駅)の南、「サンドニ通り」と「ストラスバーグ大通り」を結ぶ横丁の2つ星ホテルに投宿。昔ながらの、小さな、いかにも「パリのホテル」という風情がいい。設備は古く、部屋も狭いが、出窓には赤い花が咲き乱れ、いい感じ。

さて、ここから、セーヌに向かって、サンドニ通りを南下すると、市場の露店が並ぶ地区に入る。僕は、こういう所が大好きなんです。「上野、アメ横」という趣きだが、そこは、やっぱりパリの下町で、めずらしい野菜、果物、魚、肉の加工品、チーズなどの食材が、美しく並んでる。

さらに南下すると、右手に、もと市場を再開発した「レ・アル地区」のショッピングセンター、左に「ポンピドー芸術センター」が現れる。

工場のような外観の「ポンピドーセンター」は、今となっては時代遅れの醜い建物だが、建設当時は、古い街並みに挑戦する80年代の斬新な建築として、大いに景観論争が巻き起こったものだ。
かつての「前衛」が、今や単なる「遺物」でしかないのに対して、19世紀のよく保存された町並みはじつに美しい。

この、「古いものと新しいものの融合」というか、「再生」というのが、パリの人は好きらしくて、ルーブル美術館中庭のガラスのピラミッドや、西部の、新凱旋門なども、似た発想である。
その中で、抜群の成功を収めたのが、もと駅を改装した「オルセー美術館」である。

やがてセーヌ川にたどりつき、シテ島にわたると、「ノートルダム大聖堂」の前に出る。その日はいつもより混雑して、入口に陣取った「おもらいさん」もにこにこしてる。

そこで、広場の反対側、警視庁の敷地(?)の中にある、「サント・シャペル聖堂」に行くことにした。
ここは、ステンドグラスが美しいことで有名な教会で、人も少なくて落ち着ける。記憶はここで途切れている。

(続く)

ダブリンにて(2)

二日目のダブリンは、昨日に続いて快晴だった。

狭いリフュー川の両側の道は、これも狭く、質素な石作りの屋並みが続くのだが、ペンキで様々な色に塗り分けられている。この色使いがなんとも素敵なのだ。アイルランドの人々のカラーセンスはいいね!そういえば、川にかかる橋も、アイリッシュグリーンの鉄橋だったり、可愛いのが多い。

さて、ダブリンの大きな産業は、「ギネスビール」だ。大きな工場があり見学出来る。その近くをぶらぶら歩いてると、アメリカ人の旅行者の男性に声をかけられた。調度、工場を見学して、試飲してきた所でご機嫌だ。しばらく一緒に、町を歩く。話の内容は忘れてしまったが、若いころは、日本もふくめて、旅先で知り合いになることってよくあるよね。

最近は、あんまりこういうことはない。特に、東京では、人が多すぎるから、もし親しげに話しかけてくる人がいたら、絶対怪しいよね。大体、アンケートか、怪しい募金か、宗教の勧誘だと思ってよい。
しかし、20年前は、もっとのどかで、私は、旅先で色んな人に出会ったものだ。

ダブリンで出会った人の中で印象的な2人の少年がいる。
一人は、なんと、子供(小学校低学年?)の乞食だった。リフュー川の橋のそばで、「お金を下さい」と声をかけられて、びっくりしてしまった。当時、サッチャーリズムの英国では、多くの若者が失業して、ホームレスになっていた。でも、さすがに子供の乞食はいなかったので、驚いてしまった。

もう一人の少年には、夜中に会った。川沿いの劇場に大勢の人が集まっているので、なんだろうと観に行ったら、ビンゴ大会の会場だった。もう9時過ぎだというのに、少年は、くじを売ってるのだ。
ビンゴをよく知らなかったので尋ねると、にこにこしながら、変な日本人に説明してくれた。そのうち、おじいさんもやってきて、いろいろ話しかけられたのだが、よく理解できず、ビンゴには参加しなかった。それにしても、未成年が夜中に仕事してるのには驚いた。

さて、怪しいアメリカ人と別れて、「セントパトリック教会」周辺に来ると、あちらこちらで教会の鐘が鳴りだした。そうだ、この国は、敬虔なカトリックの国であった。その後、昨日来た「グラフトン通り」に戻り、美術館など見学したのち、おみやげに、革靴と、笛と、アイリッシュグリーンのウールのタイを買った。

その後、アイルランドは90年代に大いに経済発展するが、今世紀に入ってからは、多くの国と同様、経済不振に悩まされ、ギリシャや南欧とならんで、EUの弱い環になっている。

(2010/11/27)

2010年11月26日金曜日

革命200周年のパリ

1989年の10月、深夜にシャルル・ドゴール空港に到着、ホリデイ・インに1泊して、翌朝、市内に行こうとバスに乗ったら、別なターミナルに着いた。成田空港でターミナル1と2をうろうろしてるようなものだね。やっと市内行きのバスに乗って、北駅で降りた。お金を払うタイミングをつかめず、タダ乗りだった。(反省)

市内のホテルは、予約していないので、北駅から東駅周辺を大きなスーツケースを引っ張って歩き、初日は、空港からの移動とホテル探しで終わった。個人旅行ではよくあるパターンだけど、時間の無駄だったね。

おりしも、1989年は、「フランス革命200周年」の記念すべき年で、「エッフェル塔」には、200周年の文字が浮き上がり、僕は、バチスーユ広場に興奮した。また、ミュージカル「オペラ座の怪人」が流行ってた時期で、パリの「オペラ座」も、じっくり見学した。当時、すでに「新オペラ座」が出来ていて、「旧オペラ座」は、バレーを専門に見せていた。奮発して「桟敷席」で鑑賞(!)

「ルーブル美術館」も、大幅な改装が行われ、中庭にはガラスのピラミッドが出現。ほんの数年前の、あれはてた淋しい宮殿は、まるで駅かショッピングセンターのような賑わいだ。パリがすっかり気に行った僕は、なかなかパリから出られなくなってしまい、すぐに1週間が過ぎた。
(続く)

2010年11月25日木曜日

日本橋にトナカイ現れる!

もうすぐクリスマス♪


先日、日本橋の某デパートで見つけたのが、このトナカイ。今年もいよいよクリスマスが近ずいてきましたね。

仙台では、カモシカに2回出会った。いずれも日本カモシカで、小さくてまっすぐな、可愛いツノが生えてた。

奈良公園や安芸の宮島の鹿は、観光客に慣れて、怠惰な感じだが、東北の山奥で出会うカモシカは、素朴で純情な感じ。

バンフでは、巨大な角のエルク鹿が町を歩いてた。危険なので、目を合わさないように注意されたが、ヤクザみたいだね。

写真のトナカイは、サンタのそりを引っ張るおりこうなトナカイだ。鼻は赤くなかったけどね。

今回は、ブログに写真を掲載する練習をかねています。写真の右側の空欄スペースの処理がむつかしいね。
(2010/11/25)

ダブリンにて

その日、お風呂と食事を済ませて、漫然とテレビをつけると、いきなりダブリンのメインストリート、「オコーネル通り」の映像が目に入った。アイルランドの首都、ダブリンの街を紹介する番組で、パブやら、リフュー川の映像が出てくるので「懐かしいなあ」と思った。

チャンネルを変えて、しばらく「北朝鮮」関連のニュースなど観てから、教育テレビに回すと、「3カ月トピック英会話、英文学の名作名場面」で、ジェイムス・ジョイスの「ダブリン市民」を取り上げているではないか。・・・というわけで、愛すべき町、ダブリンのことを思い出してしまった。

私が初めて、アイルランドの首都ダブリンを訪れたのは、今から四半世紀前の、1984年の初秋のことだった。英国、ミッドランド空港から、セスナ機をちょっと大きくしたくらいのプロペラ飛行機での旅で、ちょっとスリルがあったなあ。週末を利用しての2泊3日の小旅行だった。

当時は、北アイルランド紛争の緊張が高く、IRAのテロ事件も頻発している時期だったのと、日本赤軍の事件もあり、用もないのに一人でアイルランドに行く日本人はちょっと怪しかった。英国を出るときはいろいろ聞かれてしまった。

空港から、どのように市内に来たのかは覚えてないが、調度、秋晴れのよい天気の日で、しかも幸運なことに、「ストリート・フェスティバル」の日だった。東京でいえば、銀座中央通りに当たるオコーネルストリートは大変な人出で、自動オルガンや、移動式のカルーセルも出て、まさにお祭り。

私は、小型テープレコーダーを録音状態にして、市内の音を記録することを思いついた。自分の声も入れるために、通行人に道を聞いたりしながら、川を渡った。今度は、トリニティカレッジのあたりで、グラフトン通りに入ると、あちこちでストリートミュージックをやっているではないか。

さらに南下。セント・スティーブンス公園まで来ると、緑が美しい公園のあちこちで、若い民族衣装の男女のグループが、フオークダンスをしてる。さすがに、音楽とアイリッシュダンスの国だ。さらに公園の入り口には仮設舞台が設けられ、ロックグループが大音量で演奏してる。そういえば、U2もアイルランドのグループだね。

アイルランドは小さな町なので、賑やかなのは、今歩いてきた二つの通りだけなんだ。よく観察すると、町には、鮮やかな緑色(アイリッシュ・グリーン)と市のシンボルである竪琴(アイリッシュハープ)が目につく。書店に入ると、反英国的な書籍や、アイリッシュ・アーミーの文字が目に残る。

夏の最後を惜しむお祭りは、美しいけれど、はかなくて、グラフトン通りを歩いていると、あちこちにちりばめられた反英感情と愛国心がちくちくするのだ。

さて、グラフトン通りのショッピングセンターで食事を済ませてから、川に戻り、北側の狭い通りを川沿いにしばらく行った所が今晩のホテル。空港か、バスターミナル駅のインフォメーションで予約をとったのだろう。ホテルというよりINNと言うべき小さな宿で、1階にはお決まりのパブがある。

夜は、有名なアベイシアターにシェークスピアの「ベニスの商人」を見に行く。これは今回の目的の一つだった。演劇事典をひくと、アイウエオの最初に出てくるのが、このABBEY THEATER である。演劇青年としては、いつか行くべき聖地なんだが、思ったよりもこじんまりとした質素な感じだった。

手元にパンフレットがないので分からないが、シャイロックを演じた役者は名優で、歌舞伎の様な重厚感があった。原作では悪役で、吝嗇で残忍なユダヤ人商人として描かれたシャイロックは、反ユダヤを助長する側面もあった。しかしこの夜の演出では、シャイロックは脇役ではなく、むしろしいたげられたユダヤ人の苦悩を表す主役として演じられていたような気がした。

(続く)

2010年11月24日水曜日

銀座木村屋グリル

午前中ばたばたしたので、英語スクール(注-1)に着いたのは12時半頃だった。お昼を食べそこなったので、授業の後、3時から、ジャスティン先生とクラスメートの3人でランチをとることになった。これは、英語の個人授業(注-2)の無料延長みたいなものなので、とってもためになるし、お得です。

しかしながら、問題は、気のきいたレストランや鮨屋(注-3)は2時で休憩に入ること。または3時でラストオーダーが多い。また、ジャスティンの休み時間は1時間しかないので、そんなに遠くには行けない。さらに、せっかくなので、ジャスティンがよく行く「デパ地下」は避けたい。

ちなみに、彼は、松坂屋地下の「お肉のスギモト」の牛丼がお気に入り。イートインでもテイクアウトでも同じ値段で、525円と格安。(黒毛和牛すきやきだと1500円。いつか食べたい)
ここは、実は、私のお勧めでもある。「吉野家」や、「松屋」の280円牛丼と比べると値段は高いが、その品質は2倍以上なので、絶対お得。そのため、いつも並んでいるのが問題だ。

①4丁目交差点に近くて、②午後3時でも開いていて、③英会話の課外授業に耐えうる環境の食堂はどこか?とりあえず、「5分以内」の立地では、次の7つが候補である。混みあっていて、並ぶの必至の「三越レストラン街」は、除外しました。「和光レストラン」は高すぎるのでこれも除外。

(1)サッポロビル地下のライオン・・・安くてボリュームあり。でも、ちょっと近すぎ。
(2)コアビル地下の「つばめグリル」、または「地鶏や」・・・同上。あと、鶏肉だめな人がいた。
(3)三越のとなりの「ル・ブラン」・・・パスタ、ハンバーグなどおすすめ。デザートも充実。
(4)中央通りメルサの7-8階エスニック料理各種(インド、ベトナム、韓国)・・・お勧めです。
(5)すずらん通りの「はげ天」・・・1000円以下。安くておすすめ。でも、長居はしにくい。
(6)中央通りのダロワイヨ・・・食事はごはん系が多い。デザート充実。雰囲気もいい。
(7)木村屋の3階グリル、または4階レストラン。・・・4階は高い。3階はリーズナブル。味は普通。

ということで、眺めがよく、1時間ねばれそうな木村屋グリルに決定。パンも食べ放題。
窓際の席から中央通りを眺めながら、イングリッシュ・スタディー・ランチを楽しみました。
カレーまたはオムライスに、コーヒー付けて、何とか一人2000円以内に押さえました。

ところで、午前中、交詢社通りを南下してたら、テレビの収録で、「林屋たい平と泉麻人」が歩いてた。きっと、「銀座の紹介番組」なんだね。そういえば、最近、本屋の雑誌コーナーでも「銀座のガイドブック」(注-4)がとても目立つ。銀座は注目されているんだね。

(注-1)イーオン銀座校のことです。毎週水曜日に通ってるんだ。
(注-2)個人授業(PL)プライベート・レッスンは、すごく高い。
(注-3)気のきいた鮨屋。・・・この辺だと、コアの地下の「築地玉寿司」は格安。東通りの「新富寿司」も有名。少し足を延ばすと、話題の「久兵衛」(予算は4000円~)が有名。西六の「くろ須」は、隠れ家的で入りにくいが、すごくアットホーム(1500~)です。また、三原橋の老舗「双葉」もおすすめ。
(注-4)ガイドブック・・・かならず出てくる名店には要注意。ガイドブックに出ると値段が上がるし、混むので、レベルが下がる危険性があるね。でも、やっぱり行ってみたいけれど。

さて、地下鉄丸ノ内線で池袋に戻ってくると、なんと、有楽町線、西武線、東上線が人身事故でストップしているではないか。今朝から運気の低下を感じていたのだが、やっぱり。それにしても、3つの人身事故とは、ぞっとすることだ。そういえば、北朝鮮の攻撃も気になる。

(2010/11/24)

秋の庭に思う

山の紅葉がふもとの東京にもおりてきて、上板橋、「平和公園」の大銀杏も黄色くなり、近所のハナミズキの並木のワインレッドの葉っぱも散り始めた。

そのハナミズキの根元を見ると、赤い実が沢山おちてるので、なるべくきれいなの10粒拾って帰り、二階のベランダの植木鉢に割りばしで穴を掘って埋めた。わくわく。

これが芽を出したら、庭に植えて大きくしようと楽しみにしてたのに、今朝見ると、エーッ、ひとつもないじゃないか。さっき騒いでた野鳥に食べられてしまったんだね。残念!

さて、昨日から、どうも運勢が悪い。
まず、北朝鮮が国境の島に突然の砲撃。カンボジアでは、お祭りの事故で大勢が亡くなった。合掌

そして、」私のボロアパートの「受水槽のモーター」が壊れたらしく、居住の学生から「何とかして」と苦情が入る。とりあえず、管理会社に頼んで「ペットボトル」を配るが、震災の被害者救援みたいだね。

実は、来年1月に、「水道工事」を予定していた矢先の故障で、モーターは交換しても、来年3月には用済みとなるんだから、全く余計な出費なんだ。嗚呼!

次は、新しいパソコンの自分のアドレスに入れない。ユーザー名とパスワードを入れなければならないのだが、どうもうまくゆかない。今朝になって、前田先生に聞いてやっと回復。感謝!

さらに、来月の「国立劇場の切符」が見当たらない。うーん、そもそも届いていたのか記憶もあいまいだ。後で電話で確かめるしかないね。認知症が進行してるのか?

猛暑の夏は耐え難かったけど、秋になって、記憶の衰えとともに、ふと空しさを覚える私でした。

2010年11月22日月曜日

日本橋界隈

11月も下旬に入り、そろそろお歳暮の季節じゃが、大正生まれの老母は、「三越からのお歳暮」にこだわってるのじゃ。この世代の三越信仰は、困ったものじゃ。(生協のほうが安くていいのにね!)
というわけで、今日は日本橋の「三越本店」にお使いにいくことになったのじゃが、三越本店の雰囲気は、おばさまが多くて、どうも苦手じゃな。

さて、86歳のおばばには、そんなに送り先があるはずもなく、申し込み用紙1枚を持って出かけた。
「三越劇場」では清元の発表会があり、受付にはきれいな着物のお姉さんが二人。それを横目に、7階の催事場のお歳暮コーナーを目指すんじゃ。

いつものように大勢の受付スタッフが並んで、多くは高齢の顧客のお相手をするのじゃ。これが12月に入れば、もっとたくさんの職員が対応し、お客も殺到するはずじゃ。それにしても効率の悪いことこのうえないのう。接客態度はすごーく感じいいのじゃが、・・・これが、ネット注文なら、人件費は大幅に削減されるはずじゃよ。

さて、お使いを無事に済ませて、1階に戻り、ネクタイ売り場を覗いてみると、ん?2万円のネクタイなんて、一つ桁が違うんじゃない?最近、わしが新宿のスーツカンパニーで購入したのは、750円じゃよ。おっ、入口には、トナカイがいるじゃないか。写真撮っとこう。

還暦を迎えてもデパートは楽しいのう。表に出て、おまじないにライオンの足をさわってから前を見ると、日本橋再開発の新しい商業施設、「コリドー室町」と、野村不動産の「YUITO」がそびえている。どちらも10月にオープンしたばかりじゃ。特に、コリドー室町の1階に移転した「にんべん」が経営する「だし場」は、「100円の出汁」を飲ませるというので話題になったんじゃが、少しさびしいのう。

お隣の三井本館にそって少し行くと、三井美術館では「丸山応挙展」をやってる。月曜だけどやってるのかな?でも、お腹がすいたので、「千疋屋」の二階で、マンゴーカレー1200円を食べることにしたのじゃ。うーん、味はいまいち。「丸善」の3階でハヤシライスにした方が良かったかのう。

銀座、有楽町や丸の内の再開発に取り残された「日本橋地区」が、起死回生を狙ってオープンした、新しいビル群は、はっきり言って面白くないのう。さっきの「にんべん」もそうじゃが、「刃物の木屋」もなんだかこぎれいになって、老舗の風格はどこにいってしまったのじゃ?

かろうじてこの地域で残った魅力は、昔ながらの飲食店、特に「うなぎ屋」なんじゃ。
三越の向かいには、島根県のアンテナショップ「島根館」にならんで、「レストラン東洋」、「かつ吉」、「蕎麦の吉田」が並んでるが、新潟館との間の路地を入れば「伊勢定」。三越の地下にイートインを出している「いずもや」、日本橋川をわたって高島屋の横町には「美国屋」もある。

しかし、やはり、銀座や有楽町と比べると、日本橋はさびしいのう。

(2010/11/22)

2010年11月21日日曜日

食べる大切

かつてドイツの唯物論者、フォイエルバッハ先生は、「人は食うところのものである。」とのたまわったが、誠に真実ですな。生協でも「食べる大切」というスローガンで、食育を進めながら、安心安全の食品開発、販売を進めてきたんだし・・・。

また、70年代にはやった、A・H・マズロー先生の「欲求5段階説」によれば、人間は、以下の5つの段階で進歩・成長していくという。

(1)性欲、食欲、睡眠などの生存に欠かせない基本的「生理的欲求」が満たされると、
(2)自然災害や戦争のない平和な状態「安全・安定の欲求」に進む。
(3)さらに、家族や地域社会、グループに属している「親和(社会的安定)の欲求」を求め、
(4)そのグループの中で、何らかの役割を果たし認められたいという「自我の認知の欲求」
(5)努力の結果、自分の能力を発揮したいという「自己実現の欲求」に至ると説いた。

その後、マズロー先生は、さらに上の段階の「トランスパーソナルなレベル」を想定したが、これはいわば仏教の「悟り」、「涅槃の境地」であり、学問と言うよりは、人生哲学ないし宗教的なドグマに逸脱して行ったそうだ。

翻って、定年を迎えた小生の場合は、いまだに第一レベルで右往左往している状態だ。
というか、食事や睡眠は毎日の営みだし、愛のない世界はつまらない。イタリア人の、マンジャーレ、アモーレは、人生の目的であるが、それは万人に共通のはずである。
YES,「人はパンのみにて生きるのではなく」、ごはんやヌードル、肉や野菜をバランスよくとるべし、なのだ。

幸いなことに、日本は、自然災害は比較的少なく、65年にわたって戦争もしてないし、犯罪や事故に巻き込まれなければ(2)の安全の欲求は確保されてる。

(3)のレベルも、最近は「無縁社会」などと言われて、人々のきずなが失われてはいるが、まだまだ同世代の友人も生きてるし、別居してるとは言え、妻子も一応居るんだし、よしとしよう。

(4)のレベルになると、退職したし、子供も独立するし、少し自信がないけど・・・。

(5)のレベルは、努力が似合わないので、むしろ、(1)の欲求を追求することが自己実現じゃないかと思うくらいだ。

・・という理屈で、まさに弁証法的に、第五レベルから再び、食べることの大切さに回帰してくる。

このシリーズでは、前の「i-ppnブログ」で論じた、「うなぎ」や「オムライス」について、さらに新しい視点で、取材の成果を交えながら報告していきたい。

(2010/11/20)

2010年11月19日金曜日

アリュ-シャン・マジック

11月13日のNHK総合の「ワンダーワンダー」は、「アリューシャン・マジック」というタイトルで、500頭のクジラと1000万羽のミズナギドリが集まる奇跡の映像を紹介した。あんまり素晴らしいので、ご覧になった方も多いとは思うけど、報告します。(実は数日前にも1回見てたが、もう一度見てしまった)

これは、夏にアリューシャン列島の、島と島の間の海峡で起こる現象です。
火山活動で出来たこの列島には、ミネラルが豊富で、それを含んだ氷河が、溶けて、海中に流れ込むことによって、大量の植物性プランクトンが発生します。

このプランクトンを食べて、オキアミが大量発生。そのオキアミを求めて、オーストラリア、タスマニア島からはるばる1万キロを越えてやってきたハシボソミズナギドリの数は、なんと1000万羽。
ミズナギドリは、とっても優れた能力を持っている。目は10km先を見、耳は2km先、鼻(嗅覚)は2km先のにおいをとらえるんだ。まるで、鉄腕アトムみたいだ!

この鳥たちの羽音を聞いて、ニシンの大群が集まってくる。ニシンは耳がいいんだ。そして、ニシンがオキアミを海上に追い上げたところを、ミズナギドリが頂くという共生関係になってる。この現象は10km四方で3時間ほど続く。でも、地元の漁師や、日本の研究者も見たことはなかったのだから、取材班は、よくがんばった。(取材開始から、なんと23日目にして撮影できた)

アリューシャン・マジックにはもう一つのパターンがある。ハワイから5000kmを越えてやってきた鯨の親子500頭が、ニシンの役目を果たす。しかし、オキアミの追い込みは、ニシン以上のパワーで、大量のオキアミボールが出来上がる。鯨は、大きな口をあけてオキアミを濾しながら食べる。

この映像もすごい!そして、最後に、日本からアホウドリが飛んでくるのだが、少し可哀そう。アホウドリははやく飛べないだけではなく、2メートルの巨体のために水中に潜れないのだ。それで、遅れて到着した海面に浮いている、鯨の食べ残しのオキアミや魚を食べるんだ。

火山のミネラル→氷河により海に流れ→海流がぶつかり→かきまぜられて→植物プランクトンの発生→オキアミの大発生→ミズナギドリや、ニシンや鯨が集まり→アリューシャンマジック。
・・・という自然のサイクル、食物連鎖は素晴らしいですなあ。

(2010/11/13)

大相撲九州場所

角界の不祥事で一度は人気の落ち込んだ大相撲だが、「九州場所」は盛り上がってる。
二日目の、「稀勢の里による白鵬の63連勝ストップ」が最大の話題になったが、先場所、元気のなかった稀勢の里が、期するところあって、前に前にと出ていく姿は頼もしいね。今日も連勝を守った。

やはり、九州場所といえば、大関「魁皇」の人気がすごい。本日も、鶴竜を下して四連勝目をあげたが、子供たちが旗を振って声援を送っているのがほほえましかった。

私が注目したのは、向う正面席にずらりと並んだ芸者さん達だ。
揃いの黒の着物と帯で、ざっと12~3人が、魁皇の勝利に拍手を送ったと思ったら、一斉に退場してしまった。6時から仕事なんだね。ま、仕方ないけど、大きな空席が出来てしまったのは、残念。
きっと魁皇のファンなんだね。

あと、私としては、日馬富士が四連敗ののちに休場してしまったのが残念です。
退職してうれしいのは、夕方の相撲が観られることですなあ。

(2010/11/19)

2010年11月16日火曜日

新橋演舞場

実に久しぶりに新橋演舞場に、顔見せ大歌舞伎を見物に行ってきた。
出し物は、昼の部、河竹黙阿弥の傑作、「天衣紛上野初花」(くもにまごううえののはつはな)の通し狂言。河内山を高麗屋、幸四郎、直侍を音羽屋、菊五郎が演じる。

どのくらい久しぶりかと言えば、1980年ころ、新しく完成した現在の演舞場に、見学をかねて新派の舞台を見に来た時以来だから、なんと30年ぶりなのだ。その前の古い演舞場では、亡くなった辰之助の舞台が記憶に残っている。

今年は、1月と10月に半蔵門の国立に行った他は、4月の閉館まで、もっぱら歌舞伎座に通っていた。この年になると、通いなれない劇場に行くのはおっくうなのだが、大好きな「河内山と直侍」を、めずらしく通しで上演というので、30年ぶりに演舞場に来る気になったのだ。

緊縮財政の折り、座席は、1階は我慢して、3階A席天井桟敷(上手の最前列)の5000円。
でも、演舞場は、国立に比べると、舞台との距離が近く、3階でもよく見えるね。
平日の昼だし、周りのお客は、どう見ても60代以上。そして、大向こうのおじさんが4人ほど。
私の隣の隣と、すぐ後ろから声がかかるのだが、今日の大向こうは、みんな声がいいね。

この狂言は、「松江邸」、「蕎麦屋」、「大口屋寮」の3つがよく上演されるので、色んな舞台を見ているのだが、実は、通しで見るのは初めてだ。
今回は、序幕を初めて見て、話のすじがよくわかりました。

中でも好きなのが、「入谷村蕎麦屋」の場だ。これは雪の降る夜に、今は追われる身となった直次郎が、恋人の花魁、三千歳の寮に忍んで行く途中、入谷村の蕎麦屋で、あんまの丈賀に手紙を託すという場面だが、寒い冬に蕎麦を食べるシーンが実に細かく演じられるのが楽しい。
今回は丈賀さんを田之助が演じたが、いつものことながら、私も蕎麦が食べたくなった。

この場面の最後に、蕎麦屋の外で、直次郎が、昔の仲間の「暗闇の丑松」に出会う場面がある。
別れた後、丑松は、おたずね者の直次郎を「お上に売り渡すべきか否か」、大いに悩むのだが、ちょうど戸締りに出た蕎麦屋の亭主の言葉、「隣の木戸が開いてるから、知らせてやんな」を聞いて、「知らせてやれ」と、密告を決心するのだ。
この心理の変化、シェークスピアの台詞を思い出すね。

さて、来月は、国立劇場で「仮名手本忠臣蔵」の予定、これで今年の歌舞伎見物予定は完了。
振り返ってみると、今年は、歌舞伎座の閉館、さよなら公演が話題だったが、その他にもいい舞台が多く当たり年であったなあ。

(2010/11/16)

2010年11月12日金曜日

源氏物語絵巻

午前12時、五島美術館に着くと、館内にはすでに100人くらいの人がならんでいる。入場に並んだのは、国立博物館平成館の阿修羅展以来だ。この美術館の陳列室はなんと一部屋なので、入場制限は絶対必要なんだ。

それにしても、待っている人が疲れないように、また、退屈しないように、写真パネルと椅子が用意されているのはなかなかよい。また、無料パンフレットがわかりやすく、待っている間に読めば、鑑賞の役に立つ。

源氏物語は第一帖「桐壺」から第五十四帖「夢浮橋」まであり、源氏物語絵巻は、全部で10巻程度の絵巻物であったらしい。しかし、現存するのは、全体の約四分の一、巻数で4巻である。

尾張徳川家が3巻、阿波蜂須賀家が1巻を所持している。本来は絵巻物だが、1932年、保存上の配慮から詞書と絵を分け、桐箱製の額装に改めた。(パンフ解説より)

今回、名古屋の徳川美術館の協力で公開されたのは、蓬生、柏木、夕霧、早蕨など13帖のみだが、同時に現代の作家による、復元された鮮やかな絵が一緒に展示されているのが楽しい。

絵巻物は、くるくると巻きながら画面を鑑賞するもので、当時の人々にとっては、今の映画みたいなものだった。源氏物語は絢爛豪華なラブロマンスで、日本のアニメーションの原点といってもいい。

同美術館では、開館50周年記念事業として源氏物語絵巻の復刻版を製作。デジタルプリントに金銀箔を施した豪華版で、注文生産。お値段は、なんと99万7500円也。(!)

小生は、絵葉書セット520円を購入してから、広いお庭を散策しながら、光源氏の君と彼を巡る女房達に思いを馳せたのである。

(2010/11/11)

2010年11月11日木曜日

五島美術館

10日の朝日新聞夕刊を見てたら、今年50周年を迎えた、世田谷区、上野毛の「五島美術館」で、国宝「源氏物語絵巻」が公開されているというので、がんばって観てきました。

がんばってというのは、城北の板橋区から、多摩川の上野毛はとても遠いからです。
だから、今までに2回しか行ったことがなく、4~5時間費やすつもりで、がんばって行かないと、たいてい途中の新宿、原宿、渋谷などで降りて、別な所に行ってしまうのです。

今日も、まず池袋に出たところで、上野の国立博物館、「東大寺大仏展」に行こうかな?と考えた。でもがんばって山手線に乗ったのだが、目白では、「永青文庫の茶入れ展」、新宿では、映画でもいいかな?原宿では、日展にも行かなきゃ?などと迷ってる内に渋谷に到着。

これは、老化によって、体がすぐに動かないので、考えているうちにドアが閉まってしまうという側面もあるね。一度、計画をインプットすると、臨機応変な変更がきかなくなっているんだ。という訳で、後は、自動的にハチ公の地下の田園都市線にのって二子玉川駅に向かった。多摩川あたりは、荒川や隅田川と空気と光がちがうね。

大井線にのりかえた時、行き先に少し悩んだが、急行に乗ることもなく、各駅で、無事おとなりの上野毛駅に到着。改札を出ると、いきなり、看板をもった青年が立っていて、五島美術館60分待ちと書いてあるではないか?

実は、五島美術館は、11月29日から、約2年間改修工事のため旧館になる。だから、今のうちに見ておこうという人々で混んでいるとのことだ。そうであれば、ここで帰るわけにはいかない。



(続く)

2010年11月9日火曜日

ブログ開店のお知らせ

秋も深まり、朝夕はめっきり涼しくなりました。
さて、定年退職して早や半年、認知症予防のためにブログを新規開設いたします。
今までのブログは、コメントの書き込みが出来ませんでしたが、今後は可能になりました。
分野は大きく分けて、
1.毎日の日記
2.ロマンチックジャーニー、過去の旅行の記録
3.Quick Trip Tokyo
4.知平のレストラン
5.知平の映画館
6.知平の図書館
などになる予定です。