2011年8月31日水曜日

聖橋、HIJIRI BASHI BRIDGE

丸の内線お茶の水と淡路町間の地下鉄車窓風景
HIJIRI-BASHI BRIDGE from METRO WINDOW
Watching outside from trains is one of my my favorite habits and Just this place is the best sight seeing place. But you can see this nice scene only for one minute because this Marunouchi-Line is a subway which run underground mainly.
Now we are crossing the Kanda river. From Awaji-cho to Ochyano-mizu station.


いくつになっても、電車の窓から町の景色を見るのは楽しい。中でも、お気に入りのスポットの一つが、ここです。

地下鉄は大体、地面の下を走るから外は見えないんだけど、丸の内線は、茗荷谷から後楽園にかけてと、ここ、神田川を横断する時に外が見えるのがうれしい。

この場所は、橋の上を自動車が通り、橋の下、川に沿って中央線と総武線が走り、地下鉄も通る。船が通って、空に飛行機が飛べば、5つの乗りものが一度に見れるんだ。

この写真、今日は曇りで、色彩がぼんやりしているし、ドアの枠が映ってしまったので、もう一度挑戦したい。
(2011/8/31)

稲むらの火、濱口梧陵の津波対策

HAMAGUCHI GORYO is famous to avoid the TSUNAMI disaster 160years ago

今日も夜更かしして、NHK・BSプレミアムの再放送「歴史館・安政地震奇跡の救出劇」を見ている。これは、かつて小泉首相が紹介していた「稲むらの火」の主人公、濱口梧陵(はまぐちごりょう)の番組だが、改めて非常に多くのことを知った。

先日の新橋演舞場で見た「花魁草」は、安政江戸地震(1855年)を背景にしているが、濱口梧陵の遭遇したのは、その前年、安政元年(1854年)12月の安政南海大地震だ。実は、これらの地震は、1854~1855年にかけて東海・東南海・南海、そして江戸と広範囲に連続発生したものである。

1855年12月24日午後4時過ぎ、M8.4の南海大地震が発生。紀伊半島、四国が大きな被害を受けた。この時、広村の裕福な商人(醤油醸造、後の銚子・ヤマサ醤油の蔵元)、濱口梧陵は、地震後の引き潮の後に海嘯(津波)が来ることを察知して、村人を高台の八幡神社に避難させ、さらに暗くなったため、自身の田んぼの稲むらに火を放ち、逃げ遅れた村人を救ったのである。

小泉八雲は、この話を、A Living Godというタイトルで世界に紹介した。2004年12月のスマトラ沖地震津波の翌年、ASEAN会議で、当時の小泉首相は、海外代表から濱口梧陵について質問されたという。小泉八雲と同姓の小泉首相は、この「稲むらの火」を改めて日本でも紹介した)

小生が、梧陵について感銘を受けたポイントは、
(1)貞観地震(869年)の記録、「日本三代実録」を読み、地震後に津波が来ることを知っていた。
(2)村人に、高台(八幡神社)に避難を呼び掛け、誘導したこと。
(3)暗くなって、逃げ遅れた人に避難先を示すために、大切な稲わらに火をつけた判断。
(4)災害後には、堤防、防潮林などを整備して、村を復興させた。

以上から分かるように、濱口梧陵は日本の津波の歴史上、欠かせない人物であるが、更に、地元の教育者でもあり、政治家としても、実業家としても活躍する。

3.11の大震災を体験した我々が学ぶべきポイントは、
(1)過去の地震記録を活かすこと。古文書、石碑、言い伝えなどの掘り起こし。
(2)津波から逃れるには、警報を待たずに、高台に逃げること。10m以上の避難所の設置。
(3)避難ルートの整備、日頃からの教育、訓練が必要であること。
(4)堤防、防潮林などの整備。(ただし、今回の経験では限界あり)

安政地震から88年後の1946年、昭和南海地震の際には、広村は津波の被害を低く抑えることが出来たそうである。濱口梧陵って本当にすごい人だ!
(2011/8/31)

2011年8月30日火曜日

New Prime Minister in Japan

Mr.Yoshihiko Noda becomes the new prime minister in Japan.
I don't know if you are interested in the news that the new prime minister of Japan, Mr. Yosihiko Noda was chosen in the election of the member of the Parliament of Democratic party yesterday  which even most of Japanese people don't mind.

Different from another countries the choosing political leader system in Japan is quite easy one.
This time the number of elector is only 395, that is only the leading party members and it takes only a few days for the election since the before prime minister Mr.Kan said that he will resign last week end.

In the United States they need a long time and a preparation and of course huge money for the President Election. The struggle is mainly between Democrat and Republic party. The president of the USA has a huge power, may be the strongest in the world still.

In China there is only one party, Chinese Communist party. So the order of the strength in the party is very important. We can distinguish the order at the veranda on the Tiananmen gate.
We can also imagine the power game in the party must be very hard one.

In the African or middle eastern countries, the system is also simple.
For example in Libya you need a big military power and a strong leadership just like Colonel Qadhafi who ruled and controlled the country for 42 years.

In Syria, President Asad (Bashshar Al-Asad) took over fathers regime just as Minor Bush did from major Bush. There is no reason for Mr.Asad to give up his power so that he has killed his people every day for these six months.

Fortunately or unfortunately,  in Japan the power of the prime minister is rather weak and it continues only one year. Yes, we change the prime minister every year just like a seasonal event.

In this peaceful system there is no military struggle or killing citizens. Though I agree there is another kind of small political struggle concerned with money.

In TIME article they say our new prime minister "Another Slice of Cold Pizza?"
You know the good Pizza is tasty enough even though it is cold. But I don't know if the new prime minister is a good Pizza or not.

Reference Data: The history of Japanese Prime Minister
TAKESITA NOBORU      1987-1988 +1988-89
UNO SOUSUKE            1989 June to August 69days
KAIFU TOSIKI              1989-1990
MIYAZAWA KIICHI        1991-1993
HOSOKAWA MORIHIRO 1993-1994
HATA TSUTOMU          1994 April to June 64days
MURAYAMA TOMIICHI  1994-1995
HASIMOTO RYUTARO   1996-1998
OBUCHI KEIZO            1998-1999
MORI YOSIRO          2000-2001
KOIZUMI JYUNICHIRO   2001-2006 Unusually 5Years
ABE SINZO                  2006-2007
FUKUDA YASUO           2007-2008
ASOU TARO                2008-2009
HATOYAMA YUKIO       2009-2010
KAN NAOTO                2010-2011

夏休みのまとめ(1)

62回目の夏休みもそろそろ終わり。「毎日が日曜日の年金生活者」にとっては、夏休みも関係ないと思われるだろうが、未だに学生気分が抜けず、三学期制度が心身に染みついているいるらしい。

ロビンソン・クルーソーが無人島に漂流した時に、カレンダーを刻み、日にちを管理したように、大都会の無人島で漂流生活を送る小生も、1週間、1カ月、季節、1年という区切りを必要とするのだ。9月は、新学期で、秋のはじまり。果たして「夏休みの宿題」は出来ただろうか?

大震災のために、キューバ旅行(注-1)が中止となり、被災者への支援で思いがけず出費がかさんだ。そのために、当初検討していた北海道ツアー(注-2)は断念した。

さらに、年初から危ぶまれていた我が家の財政状態は、6月に入って資本主義諸国の財政悪化に連動して、更に悪化。米国財政と同様のデフォルトの危機を迎えた。(注-3)

そのために、5月末の新橋演舞場、「東踊り」以来、演劇鑑賞はご無沙汰。精神的に貧しい生活に陥っている。(注-4)

精神の貧困は、肉体の貧困にも影響し、夜更かし朝寝坊の不規則な生活(注-5)と運動不足のために、メタボ進行(注-6)、足腰も弱り、もともと低下している記憶力、判断力、洞察力は更に低下した。

新学期には、スペイン語の学習(注-7)を決意したのだがこれも挫折。英語の学習も、いまいち進歩が見られない。・・・というわけで、緊急な対策が必要である。(続く)

(注-1)カリブ海の社会主義国キューバは、米国による経済封鎖とソ連崩壊による援助の停止によって苦しんだが、観光業で急速に回復しつつある。美しい自然と治安の良さに加え世界遺産も多く、ヨーロッパやカナダの観光資本も入り、今後の発展が期待される。

(注-2)高校の同窓生、帯広のT教授に皆で会いに行く計画を立てたのは数年前だったが、まだ仕事が忙しくて挫折。昨年は、K君が誘ってくれたが、母の介護のために行けなかった。今年も、介護に加えて、金欠で行けない。秋に、友人のA君とT君が行くことになったので報告が楽しみ。

(注-3)米国債はS&Pにより国債格付けがワンランク下がる。日本国債はムーディーズによってAa2からAa3に格下げ。一方、我が家は、アイルランドなみの投機的Ba1程度と推測。

(注-4)小生の生活は社会性や生産活動と無縁のほとんど空疎なもので、むしろ劇場空間の方がリアルなのだ。ところが、その劇場に通えないとなると、主観的観念論の世界においても、リアル感を喪失してしまう。これは精神衛生上、極めて危険。

(注-5)夜更かし朝寝坊は大変な贅沢。夏目漱石も、たしか「楽しきは、夢に遊んで、九時に起き」というような句を読んでる。(正確な記憶ではないので注意)

(注-6)ずっと前は、6時起床、NHK教育テレビで語学番組見てから、6:30からレオタードのお姉さんが指導する「みんなの体操」5分間するという素晴らしい朝を過ごしたこともあるんだけど。

(注-7)スペイン語は発音がカッコイイよねえ。1989年にバルセロナに行く前にテレビで3カ月くらい勉強したことがある。キューバに行くならもう一度勉強しなくちゃ。
(2011/8/30)


2011年8月28日日曜日

ボルトのフライング

またまた予想外のことが起こった。韓国テグの世界陸上100m決勝は、当然ウサイン・ボルトが優勝するはずだった。予選、準決勝と順調に勝ち進んできたボルトは、その記録が注目されていた。それが、フライングで失格してしまった。ガーン!

最近は、フライング1回で失格というルールになったそうだ。うーん、万全の態勢で観戦していた小生もがっくり。優勝したのは、同じジャマイカのヨハネス・ブレークで、タイムは9.92秒。二位はアメリカのW・ディックス(10.08)、三位は、セントクリストファーネイビスのK・コリンズ(10.09)、注目の白人初の10秒の壁を突破した、フランスのクリストフ・ルメートル(10.19)は4位だった。

大体、ボルトは、スタート前のポーズがうるさかった。両手の人差し指を揃えて、右、左を指さして、あごひげをなでたりしてた。もしかしたら、緊張していたのかもしれないね。それに比べると、ブレークは、静かに集中していた。若いだけに、ブレークし、見事金メダルを獲得した。(拍手)
(2011/8/28)


2011年8月27日土曜日

モールス Let Me In

そういえば、火曜日に新宿シネマスクエアとうきゅうで映画、「モールス」を見た。「銀座百点」の映画評で渡辺祥子さんが「涼しくなる映画」として、とりあげれていたので、観に行こうと思ったんだ。

スウェーデン映画「ぼくのエリ、200歳の少女」をマット・リーブス監督がリメイクしたアメリカ映画で、舞台は冬のニューメキシコ。そう、吸血鬼の出てくるホラーサスペンスだから、涼しくなるという訳だ。原題は「Let Me In」、(私を中に入れて)。

ヒロインのアビーを演じるクロエ・グレース・モレッツが評判だが、オゥエン役の男の子、コディ・スミット=マクフィ-も暗い感じがなかなか。渡辺さんは、「謎の少女に恋をした12歳の孤独ないじめられっ子少年の初恋物語」と喝破した。

昔のドラキュラ伯爵は、古城に暮らして犠牲者を探していたんだけど、現代に生きる吸血鬼は、慢性的な血液不足で、顔色も悪いし12歳のまま成長がストップ。いまや老人となったかつての恋人が通り魔的殺人を犯して、アビーのために新鮮な血液を取ってくるのだが、手際がわるくて失敗。ここは、やけにリアルに描いている。

新鮮な血がないとアビーは死んでしまうので、ついに近所の女性が被害者となる。アビーが吸血鬼に変身するこのシーン、独特で、この監督のねらいは、こういう細部にあることが分かる。入院したこの被害者は、どうなるかは映画をご覧ください。

独特のテイストは、ちょっと魅力的だが、設定に無理がありすぎで、うーん、小生は「吸血鬼映画」はやっぱり苦手です。

なお、いじめられっこのオゥエンを演じたコディ君は、昨年見た「ザロード」の少年も演じている。こちらも途方もない絶望的な映画だった。

LATE SUMMER SCENE(3) 原っぱ

晩夏の空き地には猫じゃらしがよく似合う。
先日、立ち読みした赤瀬川原平の東京散歩の本(題名は失念)に、ときわ台の記述があったので、興味深く拝見した。同書によれば、ときわ台は、田園調布、成城と共に大正~昭和初期にかけて開発された高級住宅地である。

田園調布は、渋沢栄一の田園都市構想に基づいて大正11年(1922)に、成城は大正13年(1924)に、そしてときわ台は、やや遅れた昭和11年(1936)に分譲開始。

だが、この東上線沿線唯一の高級住宅地は急速に崩壊している。例えばこの広い空地は、先日までりっぱな日本家屋が建っていたのが、あっという間に取り壊された。恐らく、相続対策で、4分割位にされて分譲住宅になるのだろう。

さて、この空地の上には赤とんぼが4ひき位飛んでるんだが、この写真では見えないですね?(2011/8/27)



LATE SUMMER SCENE (2)

ときわ台の花壇でヒョウ紋蝶を発見
On my way to the station, I found a small butterfly stopping on a yellow flower.

駅に行く途中見つけたこの花壇は、どなたが管理してるのか分からないのですが、カラーコーディネートが素晴らしい。

手前の黄色の花に、ミカン色のヒョウ紋蝶がとまっていた。よく見ると、翅がボロボロだ。鳥に襲われたのかもしれない。

花の名前が分からないのは残念。(2011/8/27)

LATE SUMMER SCENE (1)突然の雨

8/26夕方の集中豪雨
昨日は、久々に前田事務所を訪問。PCのダブルアカウント現象と、ムームードメインから届いた「請求メール」の支払方法(950円)について教えてもらった。(注-1)

その後、Hさんも合流して、近所の蕎麦屋「平作」で、お昼御飯にした。小生は、天せいろを注文したのだが、アナゴの天麩羅が、さっぱりと揚げられていたのに感心。このお店、揚げ油が特別だ。

事務所に戻ると、例によって前田社長のIT革命の持論(注-2)展開が始まったのだが、昨晩あまり寝てないので、眠くなってきた。ふと外を見ると、さっきまで晴れていたのになんだか雲行きがあやしい。小生の問題も解決したので、急いで帰宅することにした。

家に戻ったとたん、間一髪、大粒の雨が降り出した。雷も聞こえる。ベランダの、野鳥の水飲みカメの表面が沸騰したように見える。この集中豪雨、各地で被害(注-3)を出した。(2011/8/27)

(注-1)兼好法師は、持つべき友は医者の友であると言ったけど、パソコンに詳しい友人も付け加えたいね。

(注-2)情報難民だった小生がブログを立ちあげる位、ITリテラシーの波は拡大している。とりわけ、スマホの進化は画期的。ジャスミン革命も起こったしね。

(注-3)1時間雨量は、大田区82.0、相模原市中央区94.5、千葉県市原市85.5ミリで、観測史上最大。練馬区は90.5、都心は55.0ミリ。丸の内線は神田川の水位が上り一時運転を見合わせた。

2011年8月26日金曜日

帝国劇場100周年に寄せて

夜中に老母に起され目がさえてしまった。最近、時々こういうことがあるんだけど、「風呂場の窓が開いてたとか、玄関の門灯が点いてない」とか、夜中の1時に調べるのって、異常だよね?実際には窓も閉まってるし門灯も点いてるんだから、これは、一種の認知症だと思う。

本人はすぐ寝てしまうからいい気なものだ。こちらは、加齢のため、一旦起されるとなかなか眠れないのがわかってるので、先日購入した直木賞候補の「ジェノサイド」の続きを読み始めたら、面白いのでますます眠れない。

そこで、区切りのいいとこで読書はやめてブログを書きます。ブログは、孤独な老人が深夜、というか未明に暇つぶしするにはぴったりのおもちゃだと思う。

今年は丸の内の帝国劇場が出来て100年とのこと。先日、NHKの特集番組を見てたら、「レ・ミゼラブル」の鹿賀丈史とか、「ラマンチャの男」の松本幸四郎、「風と共に去りぬ」の米倉涼子が出てきて、劇場の魅力を語っていた。

白亜の旧帝劇は1964年ころに、映画館として「アラビアのロレンス」上映を最後に建て替えられ、1966年に現在の建物が落成。当時、日比谷の有楽座(宝塚の向いにあった。今の有楽座は数寄屋橋に引っ越した)で「アラビアのロレンス」を見たが、帝劇で見ればよかったなあ。

1960年代は、東京が大きく変貌する時期で、まだライトの帝国ホテル玄関も残ってたし、帝劇の外観も見た記憶がある。また、新橋演舞場や、六本木の俳優座劇場も古い建物だった。一方、1963年には、日比谷に日生劇場(座席約1300)が、そして、1966年には半蔵門に国立劇場(座席1600)がオープンする。

さて、小生が帝劇に通ったのは、今は昔、70~80年代のことだ。印象に残ってるのは、森繁久彌の「屋根の上のバイオリン弾き」、秋元松代原作、蜷川演出で、平幹次郎と太地喜和子の名作、「元禄港歌・近松心中物語」、そして、今回紹介された「ラマンチャの男」、「レ・ミゼラブル」といったところ。幸四郎の「スゥイニー・トッド」ももしかしたら、帝劇だったかな?サンシャインシアターだったかも?「風と共に去りぬ」は見てない。

60年代末から80年代にかけては、むちゃくちゃ芝居を見てた時期だったが、おもに国立劇場の歌舞伎と、文学座アトリエ六本木自由劇場未来劇場テアトルエコーなどがお気に入りだった。
100人とか200人の小劇場では、役者の演技をすぐ近くに見られるのがいい。一方、大劇場では、大がかりな舞台転換や、迫力ある群衆シーンなどが魅力だ。

収容人員約1900人の帝国劇場は、とにかく舞台が広いので、装置も大がかりになるし、役者も大勢だから、小劇場とは全く違う質の芝居になる。「屋根の上のバイオリン弾き」と「元禄港歌」は、舞台一杯の絵巻の様なシーンが印象的だった。

ところが、名優とは、あの広い空間にたった一人で、1900人の観客をひきつけてしまうのだから素晴らしい。森繁久彌である。そして、太地喜和子だ。舞台からはるかに離れた安い三階席の小生もおもわず身を乗り出す迫真の演技。懐かしいなあ!でも、もう見ることは出来ないのだ。嗚呼
(2011/8/26)

2011年8月25日木曜日

八月花形歌舞伎

久々の新橋演舞場、八月花形歌舞伎は、三部制の公演だ。時節柄、大地震を背景にした芝居を冒頭に配し、第二部では、大文字の送り火(夏魂祭)、第三部では、怪談乳房榎と、夏にふさわしい構成である。

小生は、先日手配した第一部、「花魁草」(おいらんそう)と「伊達娘恋の緋鹿子」(櫓のお七)を見物。27日が千秋楽とあって、木曜日の11時にしては、なかなかの入りである。

さて、北条秀司作の「花魁草」は、安政の大地震で江戸から逃げてきた吉原女郎のお蝶(福助)と、大部屋役者の幸太郎(獅童)のはかない恋の物語。二人を助けて、世話する米之助(勘太郎)をはじめ、善人ばかりで、悪人は一人も出てこない。(第三部では悪人が活躍するけど)

特に、幸太郎は、ものすごくいい奴で、復興した江戸に戻り、役者として成功。一座を率いて、愛するお蝶に会いに、栃木の村に戻るのだが、年上のお蝶は、幸太郎の出世のために身を引くという、今では絶対にあり得ないストーリー。

ラストシーン、橋の上で、幸太郎をそっと見送るお蝶の嘆きは、男性ならほろりとさせるのだが、客席の大部分を占める女性客には、ステロタイプの紋切り型に見えるらしく、拍手もまばら。男を立てるお蝶を、妻に見せたいところだが、反感を買うだけかもしれない。

続く「櫓のお七」(七之助)も、御存じ八百屋お七の物語で、恋人の吉三郎に会うために、御法度と知りながら、火の見櫓の太鼓をたたいて木戸を開けさせる。文楽人形振りの演出も可愛らしい、これも、ひたむきな女心の物語であるが、今ではあり得ない。

本日は、すでに日本では絶滅した「女心の切なさ」を懐かしく拝見し、空しい気持ちになった。
(2011/8/25)

2011年8月24日水曜日

最近のニュースから我が家の家計を考える。

(1)有名なテレビタレントの突然の引退。(2)ロンドンの暴動。(2)急激な円高で、1時、1ドル=76円。(3)アメリカに続いて、日本の国債格付けが下がる。(4)リビア情勢は、ついに反政府側がトリポリ侵攻。シリア情勢は依然混迷だが、(5)チュニジア、エジプトに続いて、ジャスミン革命が進む。

これらのニュースに共通するのは、意外性だ。変化というのは突然やってくるから、それまで、ぼんやり見てると、いつのまにか、「この状態はずーっと続く」と思ってしまうのだが、巨大地震と同じで、矛盾とか無理は、マイナスのエネルギーを貯めこんで、ついに、いつか爆発するんだね。

北アフリカ諸国の民主化が、こんなに急激に進むなんて思ってなかったし、円は、地震のあと、当然円安になると思っていた。特に、英国の暴動は、4月に世界中にTV中継された、華やかで美しかったロイヤルウエディングとの余りの落差に驚いた。かつて、ロンドンの警官は、拳銃を携帯せずにパトロールする。それくらい、治安がよかったはずなのに。

でもよく考えてみれば、若者の失業率が20%で、移民も多く、格差社会の英国で、不満が溜まっていたんだね。高い失業率で若者の不満が爆発して、リバプール、マンチェスターといった大都市や、レスター、ノッティンガムといったミッドランドの地方都市にまで広がってしまった。

さて、小生は、8/4のクレジット支払いの危機をなんとか乗り越えて、今月末の住民税支払いのめどもたった。新宿のイタリアレストランの支払いが、来月になってたのと、8月中に支払う予定の火災保険が、口座引き落としにしたら、9/26支払いに延期されたからだ。

しかし、これは、債務の支払い延期にすぎないので、9月にまた、我家の家計デフォルトの危機がくる。そこで、急激な円高に個人的に介入して、手持ちの250億ドルと270億ユーロを円に交換することにしたんだ。実に最悪のタイミングでの交換で、損害は5000億円にのぼる。(注:億は景気付けのために付けた単位です)

この円を、特に残高が少ない口座に振り分けたのだが、とりあえず、今月は乗り切れるとしても、これは、日米両国の財政と同じく、根本的な解決には程遠い。ここで、すごーく疑問に思うのは、年金生活って、「収入が少ないのに、何故こんなに固定支出が多いの?」っていうことだ。これで、増税されるとすごーく困るんですけど。特に、安易に消費税あげないで!ヨーロッパ各国みたいに、どんどん上がっていくよ。(手っ取り早い効果が魅力だからね)

小生の希望を言わせてもらえば、
(1)まず、復興需要、自然エネルギー開発への投資で経済復興しながら、雇用と税収を増やし、
(2)子供手当等のばらまきをやめて、必要な家庭への学費支援(返済なしの奨学金とか)にしたり、もっときめ細かい政策にしてほしい。年収800万以上の家庭への子供手当なんていらない。
(3)そして、低所得者の家計を守る政策にすべきだ。だから、贅沢品・高級品への課税はいいけど、食料品は無税にすべきだ。・・・こうすれば、暴動は起こらないと思うんですが。如何?
(2011/8/24)

2011年8月20日土曜日

濱田庄司スタイル展、Hamada Shyoji Exhibition

HAMADA SYOJI STYLE Exhibition at PANASONIC SIODOME MUSEUM.
今日は、J・ジョイスの「ユリシーズ」風に、東京のある1日(2011年8月20日)にあった出来事をだらだらと書いてみる。(注-1)

夏の甲子園は、青森光星学園と西東京日大三校の試合で、エース吉永の完封11対0と、日大三校の圧倒的強さで終わった。光星学園が作新学院を5-0に押さえた準決勝を見ていたので、もしかしたら優勝か?と思っていただけに、この点差はショック。(日大三校の準決勝は見てなかった)

昨日から涼しくなったので、久しぶりに新宿のシネマスクエア東急で評判の映画「モールス」を見る積りで外出。しかし、開演時間が12:45なのに、池袋に着いたら13時過ぎなので、計画を変更して、銀座に向かう。マリオンで「上海」の初日だし、「トランスフォーマー3」も夏向きでいいかも。

でも、銀座に着くと、何だかお腹が空いてきたので、松坂屋地下の「お肉のスギモト」のイートインで、少し奮発して「松阪牛すき鍋」1500円を注文。いつも、黒毛和牛すき重525円なので、決心が必要だった。でも、20分ほど並んだ。

松阪牛すき鍋には、小さなワインもついていて、すごくリッチな気分になった。でも、やはりここでは、黒毛和牛すき重525円(注-2)の方が素晴らしい。確かに松坂牛はおいしいけど、私には似合わない。この時点で、映画を見る気は消えてしまった。時間もかなり経過してしまった。

そういえば、しばらく歌舞伎を見てない(注-3)ので、「新橋演舞場」を覗いてみることにした。ランチで少し無駄使いしたけど、一番安い3階B席2500円の席を買って、空いてるA席にうつれば節約になる。しかし、これは見通しが甘かった。なんと、千秋楽まで3階B席は全て売り切れ。

8月公演は、三部制で、第一部は、北条秀司の「花魁草」、「櫓のお七」(伊達娘恋の緋鹿子)、第二部は新作の「明け烏恋の真似ごと」(東雲烏恋真似事)、「夏魂まつり」、第三部は「宿の月」、勘太郎四役早替わりの「怪談乳房榎」。うーんみんな見たいけど、どれがいいかなあ。

結局、25日の第一部(3階A席4000円)を購入。これは予想外の出費だ。11月までのチラシを集めて、すぐ側の喫茶カフェド・クリエにてチョコエクレアとコーヒーを頂きながら今後の観劇プランを練ることにした。(注-4)

結局、この時まで、何か食べるだけで、なんら有益な活動はしていない。夏休みを無駄に過ごしているような気がしてきた。銀座に戻るのはつまらないので、演舞場から昭和通りに沿って汐留方面に向かう。三井ガーデンホテル銀座を右に見て旧汐留操車場に到着。

そこで、パナソニックのショールームで「濱田庄司スタイル展」(7/16-9/25)をやってることを思い出した。入場料500円なので、折角だから見て行くことにしたのだが、これが、なかなかお薦めの展覧会であった。出品されているのは、彼の作品だけではなく、コレクション、家具、ネクタイやスーツまで、141点。

濱田庄司といえば、益子焼とか民藝運動というキーワードが浮かぶけれど、英国の影響が大きいことを知った。また、濱田庄司展ではなく、濱田庄司スタイルという意味も分かった。

展示は、第一部「濱田庄司とイギリス」、第二部「濱田庄司のモダニズム」、第三部「濱田家の食卓」という構成で、とても分かりやすい。26歳から3年半の英国留学先は、ロンドンではなく、イングランド南西部のはずれ、セントアイブスであったことが重要である。英国田園のロハス生活の影響が大きかったんだね!

カタログ2100円が買えなかったので、見本のカタログをななめ読みした。それによれば、濱田庄司は「プラスの人」であった。出会い獲得収穫という形で、無尽蔵にその生活と芸術を豊かにしていった幸福な人である。(私の記憶なので、正確ではありません)

益子の濱田家には、内外の多くの人が集い、濱田旅館とでもいうべき活況を呈したそうだ。今日は、最後に濱田庄司に会えて、よい一日になりました。(2011/8/20)

P.S. その後、本屋で、経済・震災関連の新書多数を立ち読みして帰宅。
また、益子参考館は東日本大震災で大きな被害を受け、緊急募金を集めています。
財団法人益子参考館のHPは、 http://www.mashiko-sankokan.net/

(注-1)難解といわれるJ・ジョイスは読んでないけど、ダブリンの町は少し歩いたことがある。
(注-2)スキ重にもワインかオレンジジュースがつく。すき鍋は、シラタキ等が多く、全体の量も多いので、老人にはやや重い。なお、銀座松坂屋は、来年あたりに改装の計画があるらしいので、地下のイートインがどうなるか心配です。
(注-3)お正月の国立劇場(菊五郎)、五月の演舞場(幸四郎)、おなじく東踊りのみという淋しさ。
(注-4)観劇プランを立てるのは楽しい。問題は、介護のため夜の部に行きづらいことと、金欠のため一等席を買えないことだ。収入が減ると苦しいね。

2011年8月19日金曜日

残暑お見舞い申し上げます。

SUMMER GREETING from CHIHEI
An Invitation to hot Tokyo.
It has been unusually hot and humid for these two weeks in Tokyo and many elderly people died by NETTYU-SYO, the heat strike. I believe it must be the evidence of the global warming by the green house effect. I hear it is same in U.S.A. and East Africa is deadly dry and starving.

According to the ABC news many Polar Bear Babies are drowning because the ice berg is melting in the Arctic Ocean. They must swimming more than before for hunting foods with their mother.

This Wednesday I went to the English class after two weeks summer holidays and found the Ginza town is deadly hot. After the class I usually walk around Ginza and take late lunch and visit some Art Galleries which doesn't need entrance fee. This is my little pleasure and a cheap habit.

But at the afternoon I didn't feel hunger at all. I need some Ice cream but I found my favorite Ice cream shop of Haagen-Dazs shop, La Mezon de Ginza at Suzuran dori lane in Ginza is closed last month. Oh, I missed the beautiful ice cream desserts and cool costume of staff girl.

It might be reasonable for foreign tourists not want to visit Japan because of the influence of the Nuclear plants accident in Fukusima.

These days we have three kinds of forecast and one daily report in Japan.
They are the Weather forecast, Electricity  forecast and Radioactive forecast, and the Report of the number of dead and unknown people in Tsunami and earth quake in Tohoku.

For example today's Forecasts are like these.
(1)Weather: They say the temperature of Metropolitan is more than 35 degree and warning of dangerous heat strike.

(2)Electricity: It is around 85% at the noon. We must save electricity in our lives. Ex. Air conditioning or Light up in the night. If it becomes 100% the electricity will stop.

(3)Radioactive: At Shinjyuku in Tokyo, it is only 0.0573 micro sievert per hour. In Sendai it is 0.08 so that you don't mind it at all.

(4)The report of the number of the human damage in the East Japan disaster. According to the news paper, the number of dead people is 15,703 and unknown  is 4,647.

So, please don't hesitate to visit Japan. You are welcome and I will show you many interesting places which are not so crowded compared with last year. Yes it is a chance to visit Tokyo in this season. But please mind to wear hat and keep bottled water with you.
(2011/8/19)

P.S. On Wednesday I went to the BUNSYUN Gallery at MIYUKI-Dori lane. I see the pictures and letters of children who suffered Tsunami this March. About this theme I will report next time.

<注意>この数日、ブログの管理が出来なかったが、サーバーの異常だったみたいだ。今はとりあえず復旧したらしい。でもGメールがダブルアカウントになってしまって困った。前田先生に見てもらう予定だけど。文春ギャラリーの地下、セラーで見た被災地の子供たちの作文と絵の展覧会は、本にまとめられました。貴重な資料になると思います。

2011年8月17日水曜日

終戦記念日前後のテレビ

連続10日以上の酷暑(35度)のため、8/6原爆記念日に練馬美術館にグスタボ・イソエ展を観に行ったのを最後に、ほとんど家に引きこもっている。というわけで、テレビを沢山見たので、特に感銘を受けたものをいくつかメモしておきます。

(1)8/13(土)NHKBSプレミアム、夜07:00~10:00 グレートサミッツ「エベレスト登頂」初公開!世界最高峰(8848m)から見た360度の絶景・・・絶句!NHKのカメラマンってすごい!

(2)8/13(土)NHK総合、夜10:55~11:30 小林家の人々、コレが出来たら日本人。ペコペコお辞儀ととアヒル口の不思議。・・・日本との文化障壁を難なく乗り越えたというか、日本人以上に日本人している小林家の人々(全員外人)に感動した。ナビゲーターのデーブ・スペクターが素敵。もっと見たい。

(3)8/14(日)日本テレビ、夜07:58~08:54 イモト最大の挑戦SP、モンブラン(4810m)登頂全記録、襲い来る高山病、氷の絶壁に滑落の恐怖。衝撃結末。・・・イモトの根性もすごい!

(4)8/14(日)テレビ東京、夜07:00~09:54 池上彰の戦争を考えるSP、②池上彰がイラクへ。緊迫の現場から復興の今を伝える。・・・現実をわざわざ難しくする人が多い中で、分かりやすく真実に迫る解説が出来る池上さんってすごい!この番組、上記番組(イッテQ)と同時に見たのでやや理解不足。イラクの歴史は知ってたけど、改めて復習できました。

(5)8/15(月)NHK総合、夜07:30~08:45 渡辺謙アメリカを行く「9.11テロに立ち向かった日本人」・・・初の日系人閣僚、元米国運輸長官のノーマン・ミネタ氏は、戦争中ワイオミング州ハートマウンテンの収容所体験をもとに、9.11後のアラブ系移民への偏見に反対した。マイノリティが認められるためには150%の努力が必要だという言葉は説得力あり。

(6)8/15(月)NHKBS、夜09:00~11:00 映画「人間の条件、第一部純愛編」小林正樹監督、仲代達矢、新珠三千代 1959年松竹 (原作 五味川純平)・・・懐かしい役者が沢山。東野英次郎のおじいさん役が似合ってた。仲代の目の演技がすごい迫力!

(7)8/15(月)NHKBS、夜11:00~00:30 HV特集(再放送)黒木メイサ・スペインフラメンコ、魂の踊りとで会う旅。黒木メイサが、アンダルシア南西の港町、ヘレス・デラ・フロンテーラで、第一人者のピパ先生に本場のフラメンコを習う。フラメンコの真髄を垣間見た様な気持になった。

この他に、8/6の広島平和祈念式典での松井市長のスピーチは感銘を受けたし、NHKの戦争関連番組の兵士たちの証言は迫力があった。また、再放送だったが、NHKBSプレミアムの「世界遺産1万年の叙事詩」(8/6~14)は面白い番組だった。
あと、もちろん高校野球も見てます。(2011/8/17)

2011年8月13日土曜日

OBON Holiday in Japan

OBON holiday is from 13th to 15th in August.
Today, August 13th is the day when our ancestors come back home once a year.

And they will come Paradise or Hell again at 15th or 16th August. So they stay in their home for 3 or 4 days as Summer vacation. This is a Japanese religious custom originally comes from Buddhism. (In some area the day is not August but July)

They prepare for the ancestors to come home safely a Cucumber horse and make a Mukae-bi , small Welcome Fire at the gate in the evening. I found some old ladies were praying in front of a small fire at their gates in my neighbourhood.

They also prepare Eggplant cattle for come back slowly and the Okuri-bi Fire, Farewell fire at 15 or 16th August.

But, in my family we don't do this habit in my house because of the religious reason. Though I would like to make Cucumber horse or Eggplant cattle and my favorite fire.

Many people who come to Tokyo from country sides of Japan come back home in these days.So that the transportation, Rapid trains, High ways and Air planes from Tokyo are very crowded.

The foreign tourist must know that these days the price of hotels are expensive and the ways are crowded. So I advice you to avoid visiting country side this weekend.

My father died at 11th March of 2007 when he was 87 years old that means he lived 8 years longer than the Japanese average. I expect he has also come back home tonight. Though there is neither cucumber horse nor welcome fire.

The day he died was 11th March, which has become a historical day because of the East Japan earth quake and big Tsunami this year. It has passed 5 months already since the disaster.

I hope Many dead people by Earth quake and Tsunami may be able to come back their home.
But the serious problem is that most of their houses were washed away or badly damaged.
So, they prepared many Fire works and Summer Festivals in Tohoku, North east area of Japan.
(2011/8/13)

2011年8月11日木曜日

Summer Yard(4) 夏の庭を見ながら読書


ふちまでどくだみに覆われた池の水は濁り、蚊が発生。
蚊取り線香を焚きながら、佐野真一の「津波と原発」を読む。
連日35度の異常な暑さが続いている。こういう時は、家の中に引きこもり、午前中は、洗濯がいい。すごく早く乾く。昼寝して、夕方、少し散歩して、夜はテレビと読書で過ごすのがいい。

というわけで、佐野真一の「津波と原発」(講談社1500円)を読了。普通なら、立ち読みで済ませる程度の本だが、途中まで読んだものの、体力がなくて購入してしまった。

その中で、日本共産党元文化部長・山下文男へのインタビューがある。偶然、新宿の山下書店で、彼の名著、「普及版・哀史三陸大津波」(河出書房1800円)を購入していたのだ。

この山下さんは、3.11に陸前高田の病院に入院中に被災し、九死に一生を得た。そこを一週間後に訪ねた佐野は、こう書いている。
「四階建ての高田病院は、無人の廃墟と化していた。山下文夫は死んだのだろうか」
だが、幸い、彼は救出されて、花巻の東和病院に移送されていた。山下の話はなかなか迫力がある。

「津波が病室の窓から見えた時、僕は津波災害を研究してきた者として、この津波を最後まで見届けようと決心したんです」彼は津波は4階までは来ないと思っていたのだ。だが、水は窓を破って山下をさらった。その後の彼のサバイバルの話は凄まじい。

さて、山下が明治29年と昭和8年の三陸大津波についてまとめた「哀史・三陸大津波」は、1982年青磁社刊行である。この普及版が1990年に刊行されたが、その先見性の故に、今年、6月に復刊されたのだ。必読である。(2011/8/11)

Summer Yard(3) 荒れ果てた庭

荒れた庭には、ビリー・ホリデーが似合う?
Summer Time ,from Porgy and Beth by George Gershwin 1935 

Summer Time and the Living is easy
Fish are jumping and Cottons is high
Oh your Daddy is rich and your mam is good looking
So hush little baby, Don't you cry

One of these mornings
You are going to rise up singing
Then you will spread your wings
and you will take the sky.

But till that morning
There are nothing can harm you.
With daddy and mammy standing.

Summer Yard(2)からみつく藤蔓


窓に絡まる藤蔓
かつてこの場所には小さな藤棚があったのだが、壊れてしまった。そのため、藤は、蜜柑の木や、窓枠にからまって、2階を目指しているんだ。

Summer Yard(1) はびこる雑草


地上を覆う雑草と桑の木
雑草がどんどん地表を覆っている。
あんまりひどいので、草むしりをしたのだが、約15分ほどでめまいを感じ、体中から汗が噴き出した。熱中症の初期の症状ではないのか?すぐに草むしりは中止して、シャワーを浴び、アイスクリームを食べた。(モリナガ・チョコアイス)

そういえば、銀座すずらん通りのラ・メゾン銀座(ハーゲンダッツ銀座店)は、7月で閉店したらしい。6月末に行ったのが最後になってしまった。あの素晴らしいデザートの数々、店員さんのチョコレート色の制服、クールな店内のデザイン、もう見ることが出来ないのだろうか?

その他にも悪いニュースばかりだ。(1)円高は止まらず、1ドル76円に迫る勢い。(2)ロンドンの暴動は、ノッティンガム、レスター、マンチェスター、バーミンガム等にも広がった。(3)ソマリアの飢餓は深刻化、(4)シリアでは反政府勢力制圧に戦車を投入。(5)アフガンでは、タリバンが米軍ヘリコプターを撃墜。(6)日本では36都道府県で猛暑日。しばらく、家に閉じこもって外出は控えよう。
(震災5カ月目の2011/8/11)

2011年8月8日月曜日

荒れた庭を見て考える。

庭が大変なことになっている。確か、5月に植木屋さんが来てくれたので、すっきりしたのに、この3カ月の間に、どくだみ、シダ、その他雑草が地面を覆い尽くしてしまったのだ。

梅の木の隣に出現したナツメの木は順調に育ち、伐採したはずの桑の若木が結構な高さになり、みかんの木には藤蔓がからみつき、窓枠を伝わって二階のベランダをうかがっている。

そこに、蝶、トンボ、蜂、蚊が飛んでくる。地中からは、蝉が現れた。ベランダの水場には、ヒヨドリ、すずめ、キジバト、オナガ、カラスが飛来し、最後にのっそりと近所の猫も現れるというにぎやかさ。

この庭を、小生の脳として考えれば、これらの草木、昆虫、小動物は、頭の中に、妄想、空想、感想、構想、発想、思いつき等が発生し、はびこる有様とよく似ている。

どくだみの下に棲むトカゲの親子は、時々悪い考えの様に顔を出す。ほとんどドライフラワー化した紫陽花の花は、時代遅れの昔のアイデア。まとわりつく蔦植物は、生活の不安、資金繰りの心配

そして、ヒョウ紋蝶の夢想。黒揚羽はのふわふわした思考。旋回する蜜蜂の突然の思いつき。鳥たちと一緒に、どこか遠くの国に飛んでいきたいなあ。

定期的な草取りや剪定などの勉強を放棄したために、脳神経のシナプスは途切れ、脈絡のない考えが繁茂した結果、思考は論理を喪失し、認知症は、いよいよ中期の段階に進みつつある。
(2011/8/08)

2011年8月6日土曜日

福島の桃

ミス飯坂から、福島の桃を奨められる。
These Peaches from Fukusima are under the safety level of Radiation.

練馬美術館の帰りに、池袋に戻ると、メトロポリタンプラザのピロティで福島県の災害支援物産展をしている。

ミス飯坂温泉のお姉さんが、試食の桃を差し出すので、食べてみるとおいしいので、老母にお土産に買っていくことにした。6個1000円だから安い!
先ほど見てきた、グスタボ・イソエ風の写実絵画的な写真にしてみました。背景の木製のお盆の木目をしっかり描いています。

桃は、調度食べごろ。中に、福島県知事、佐藤雄平さんのメッセージが入っていた。
曰く、「福島県では、出荷前から放射性物質の緊急時モニタリング検査を、定期的に継続して行っており、暫定規制値を下回っていることを確認しています」(2011/8/17)



グスタボ・ツヨシ・イソエ展(2)

写実を極めた画家、グスタボ・イソエ
イソエの最高傑作、「深い眠り」(真ん中の写真)は、1994年~95年にかけて作成された。今日は、この作品の前のソファーに30分ほど座り込んで鑑賞した。

写真上の作品、「シーツの上の裸婦」(1983)と比較すると、彼の追求したものが少し見えてきた様な気がする。ちなみに下のザクロと葡萄の静物は1994年の製作。
1983年の作品(油彩)は、写実の技術に磨きをかけ、シーツの襞の全てを描きこむなど対象にぐいぐいと迫る作品である。横たわる裸婦の重量感も感じる。

一方、1993~94年にかけて製作された「新聞紙の上の裸婦」では、白黒のモノトーンになり、広げたスペイン語新聞を丁寧に描き、不思議な違和感を感じさせる。(この絵葉書買い忘れた)

その次の作品が、「深い眠り」(1994~95)だけど、これは、紙に、鉛筆、筆、アクリル等で描かれている。圧倒的なデッサン力で対象に迫っているが、暗闇に浮遊しているシュールな雰囲気に満ちた作品で、私は、ゴヤの版画を思い出してしまった。

徹底した写実の先に江が到達した境地といっていいだろう。この夏、必見の展覧会だ。
なお、練馬美術館は、西武池袋線、中村橋下車すぐ。料金500円(2011/8/06)

P.S. ご指摘により磯江(イソエ)の漢字を訂正しました。


グスタボ・ツヨシ・イソエ展(1)

グスタボ・ツヨシ・イソエ(磯江毅)の写実絵画は凄い!
3週間前に、さすらいのブロガーI君からメールで「素晴らしい!」と紹介され、2週間前のNHK日曜美術館アートシーンでも紹介され、行かねばと思っていた、「グスタボ・イソエ」の特別展(練馬美術館7/12~10/2)に出かけた。

寡聞にして、スペイン写実絵画の巨匠、礒江毅(イソエツヨシ)、スペイン名、グスタボ・イソエについては全く知らなかった。1954年生まれ、2007年に52歳の若さで亡くなっている。

1990年代後半に、高島屋や三越、銀座の画廊での展覧会で日本に紹介されていたのだが、当時は、仙台にいたため、気がつかなかったのだ。

今回は、「シーツの上の裸婦」(1983)、「新聞紙の上の裸婦」(1993-94)、「深い眠り」(1994-95)などの代表作をはじめ、初期の模写、デッサン、静物、絶筆まで約80点が展示されている。

写真は、練馬美術館入口の看板。小さくて何だか分んないと思うけど、白いお皿の左上に置かれたイワシの絵なのだ。(2011/8/6)

2011年8月5日金曜日

家族と側近が見た周恩来(2)

1.私の北京体験
北京でオリンピックが開催されたのが2008年。それは1964年の東京オリンピックが、日本の高度成長へのスタートを象徴するのと似て、中国の経済発展を印象付ける一大イベントであった。

2007年に、北京4日間49800円という格安パッケージツアーで初めて北京を訪問。古い住宅が再開発のために取り壊され、鳥の巣と呼ばれるオリンピック・スタジアムがほぼ完成していた。

北京周辺には、東京周辺の7号線、8号線を思わせる環状道路が続々と建設され、我々の宿泊ホテルは、中心部から遠く離れた開発中のエリアにある、大きいが、寒々とした、何の特徴もない西洋式のホテルであった。

2.世界文化遺産の宝庫
このツアーは、欧米人なら1週間かけて回る行程を半分の実質2日で回るという驚異的なもので、訪問先は、(1)万里の長城、(2)紫禁城・故宮博物院、(3)西太后の夏の離宮、いわ園、(4)明の十三陵、(5)天壇公園などの世界文化遺産である。そのほんの一部を、ササッと見て回るんだ。

考えてみると、全て、革命以前の数千年に渉る中国各王朝の遺産が、観光資源として現代に活かされているわけだ。文化大革命は、この歴史を否定しようとする野蛮な行為であった。

3.文化大革命の愚行
文化大革命当時、多くの文化人がブルジョワ的であると批判され弾圧されたが、同時に多くの文化財も破壊された。もったいないことだ。しかし、周恩来首相は、紅衛兵が故宮博物院を破壊しようとした時に、軍隊を送って故宮を閉鎖して、文化財を守ったのである。えらい!

4.天安門広場で考える
紫禁城に行く途中、天安門広場に寄った。ここで、様々な歴史が生みだされたわけだが、1989年の天安門事件は特に有名だ。また、文化大革命の時に100万人の紅衛兵が毛沢東を一目見ようと集結したのもこの場所である。

この天安門広場のバルコニーに立った指導者の内、1969年、劉少奇主席は粛清され、悲惨な最期を遂げ、文化大革命を先導した林彪は、1971年、クーデター未遂後にソ連に逃走する途上で内モンゴルに墜落。文革を先導した四人組、江青、張春矯、桃文元、王洪文らは失脚した。

5.鄧小平の復権
1973年、カンボジアのシアヌーク元首が北京訪問した時に、周恩来は、歓迎パーティに参加させる形で鄧小平の復権を画策。その後、実務能力のある鄧小平は、1975年1月の全人代で完全復活し、天安門広場のバルコニーに立つことができたのである。
首相にとって、鄧小平は、フランス留学時代の友人でもあった。

6.天寿を全うした周恩来
しかし、周恩来首相は、癌のために病に倒れる。まだ文革は収束しておらず、周恩来は枕元に、王洪文と鄧小平を呼んで、「皆は鄧小平を助けて国家建設するよう」に話した。
秘書の紀東さんによると、鄧小平は、耳が悪かったので、周恩来の声が聞こえず、廊下で、王洪文に、総理は何て言ったのか聞いたけれど、王洪文は話さなかったそうです。

7.周恩来の死と国民の追悼(第一次天安門事件)
1976年1/8周恩来は病院で死去。遺体は火葬され中国全土に散骨された。四人組に遺体が辱められることを恐れたためだという。

テレビでは周総理の遺体を運ぶ粗末なバスの映像を見たが、沿道には大変な数の民衆が集まり1月の北京の寒さの中で脱帽して弔意を現わす姿が印象的だった。

4/4清明節に、天安門広場に、周恩来追悼のために掲げられた花環が、江青らの指示を受けた当局の手で撤去されたことをきっかけに、4/5暴動に発展。文革に嫌気のさしていた人民は、四人組を批判し、9月の毛沢東の死後、四人組の失脚につながったのである。

三国志の諸葛孔明が死してなお曹操を走らせるという故事を思い起こさせますね。
(2011/8/05)

2011年8月4日木曜日

家族と側近が見た周恩来(1)

1.NHKスペシャル、「周恩来」

月曜日から木曜日(本日)まで4夜連続のNHKスペシャル、「周恩来」を見た。
番組構成は、歴史を辿りながら、以下の様なテーマで展開する。タイトルもかっこいいね。
(1)試練(TRIAL)       中国建国(1949)、大躍進(1958-60)
(2)苦渋(DISTRESS) 文化大革命(1966-76)
(3)決意(DETERMINATION) アメリカ、日本との国交回復(1972)
(4)犠牲(SACRIFICE) 文化大革命を生き延び、鄧小平の復権(1975)を果たす。

現在の中国の経済的発展の基を築いた功労者、周恩来首相は、共産主義独裁の中国政府にあって、唯一まともな人間らしさと、常識を持った、まともな政治指導者であり、りっぱな人でした。

2.暗黒の権力闘争を、周恩来は如何に生き抜いたのか?

清朝末期から、帝国主義列強に植民地化され、第二次世界大戦では、日本の侵略を受け、蒋介石との内戦を終えて建国したら、毛沢東の誤った指導による大躍進運動の失敗。1000万人が犠牲になったといわれる文化大革命の混乱。劉少奇の粛清、林彪事件。
・・・まるで、三国志の世界の様な、闘争、陰謀、権力争いの渦中にあって、周恩来は、何故、このような高潔な生き方が可能だったのか?

番組では、周恩来首相の悩みや人間性を、家族(主に甥や姪)、側近(秘書、護衛、看護師、専属医師等)の証言から浮かび上がらせた。彼らも高齢なので、今でなければ記録出来ない貴重な映像です。余りにも多くのことを考えさせる素晴らしい番組でした。

3.中国現代史の学習資料としても一級


また、中国現代史の学習資料としても一級です。小生が中学生の1962年当時は、毛沢東が反帝国主義の英雄で、中華人民共和国建国の偉大な指導者であることは、日本でも「常識」であった。

60年代の日本には、共産主義・社会主義を素朴に美化する幻想があり、それが知識人の教養でもあった。進歩的文化人というわけですね。もちろん、小生も、世の中に影響されやすい青少年なので、毛沢東は、偉大な指導者だと思っていました。

現在では、遅れた資本主義国家、というか農奴の国であったロシアや、清朝の封建制度が色濃く残る中華民国のレベルから、いきなり社会主義国家でござい、共産党独裁でございとなった、ソ連や中国は、マルクスの思い描いた理想郷とはかけ離れたものだったことは明白です。

4.周恩来は何故、良き共産主義者として人民に奉仕したのか?

でも、1898年に、没落した封建官僚の末裔として生まれ、日本やフランスへの留学経験を持ち、世界的視野を持てた周恩来は、中国の悲惨さを解決して新しい人民のための中国を作るためには、毛沢東の指導に従った共産主義しかないと考えていたのでしょう。

周恩来の姪の証言では、周恩来は、「封建的な家族制度」がとても嫌だった。1964年の某日、家族会議の席で、彼は、役人だった祖父や父親の話をして、「我々は、労働者階級に下降するのだ」と言ったそうです。それは、虚飾に満ちた封建的な文化を拒絶し、人民に奉仕する、彼の決意だったのでしょう。

この決意・使命感と、世界を見る広い視野があったからこそ、これだけの困難を乗り越えることが出来たのだと思います。現代の、汚職まみれの中国共産党幹部となんという違いでしょうか?
(2011/8/04)

2011年8月3日水曜日

お煎餅, O-SENBEI, Rice Cookie

I like O-SENBEI, the Japanese Rice Cookies.
You can buy various kinds of Japanese rice cookies in a supermarket or convenience store in Japan.
But they are originally made in a small shops in town. If you like you can see some traditional SENBEI-YA, Senbei store in a old lane back of the main street in Tokyo.
For example I found these colourful rice cookies at the back lane in Kami-Itabasi area.

The traditional shape of OSENBEI is round like this photo.From the top to clock order, 
(1)Brown Katayaki-Senbei, a hard grilled Soy sauce taste,
(2)Black Seaweed, Nori Senbei, 
(3)Dark brown, Miso Senbei, Miso taste, and 
(4)White one is Suger Senbei. The last one is a little bit unusual.

The Caution is that they are very hard so that if your teeth is not so strong you should break it by hand before you eat.(2011/8/02)

2011年8月1日月曜日

赤羽七福神(7)毘沙門天

Seven Lucky Gods in AKABANE(7) BISYA-MON
Douglas O. Freeman, an American sculptor created these sculptures of Seven Lucky Gods in 1995. He came from Minneapolis of Minnesota.

のどかな七福神の中で、唯一人、武器を持って怖そうなのが、毘沙門天(BISYAMON-TEN)だ。スターウォーズに出てきそうだね?

持国天(JIKOKU-TEN),増長天(ZOUTYOU-TEN) 広目天(KOUMOKU-TEN)とともに、四天王グループのメンバーだが、何故かソロ活動が多い。

皮製のチャイナ風の甲冑を着て右手に鉾、左手に宝塔を持つのが決まり。勝負事にご利益あり。

赤羽七福神は、現代的で親しみのある街角彫刻の傑作です。興味のある方は、赤羽駅西口、イトーヨーカドー向かいのビビオに来てね!

You can see these Seven Lucky Gods, SICHI-FUKUJIN, at Vivio Shopping center at the West exit of JR AKABANE station.

赤羽七福神(6) 福祿寿

Seven Lucky Gods in AKABANE(6) FUKUROKU-JYU
Douglas O. Freeman, an American sculptor created these sculptures of Seven Lucky Gods in 1995. He came from Minneapolis of Minnesota.

福禄寿は、幸福、封禄、長寿の三徳を具現化した神様。宋の道士とも、南極星の化身ともいわれる。長い頭に長いひげが特徴です。


He is the God of three happiness of Lucky, Rich and Long Life.
Originally he is the Three Star Gods in China.
He looks very young, doesn't he?

赤羽七福神(5) 大黒天

Seven Lucky Gods in AKABANE(5) Daikoku-Ten
Douglas O. Freeman, an American sculptor created these sculptures of Seven Lucky Gods in 1995. He came from Minneapolis of Minnesota.

大黒天は、日本では大黒様として、恵比寿とともに最も親しまれている富の神様だが、もともとは、ヒンドゥー教のシヴァ神の化身、マハーカーラであり、戦闘、財福、冥府の神として、こわもての神様だったんだ。

しかし、日本では、いなばの白ウサギで有名な、やさしい「大国主の命(みこと)」と神仏習合して出来たので、ふくよかな御隠居様風の神様です。右手の打出の小槌(うちでのこづち)は、振るといくらでも現金(それも金貨・小判)が出てくる。我が家にも一つ欲しい!

赤羽七福神(4)布袋様

Seven Lucky Gods in AKABANE(4) HOTEI
Douglas O. Freeman, an American sculptor created these sculptures of Seven Lucky Gods in 1995. He came from Minneapolis of Minnesota.

大きなメタボ腹を出して、大きな袋を背負った布袋さんは、中国、唐の時代に実在した伝説の僧侶です。

日本では、富貴繁栄を現わす福の神として庶民の信仰を集めた。

フリーマンの作品では、袋を風船の様に掲げた意表を突くポーズで、単なるメタボではないところを示した。


赤羽七福神(3)寿老人

Seven Lucky Gods in AKABANE(3) JYU-ROUJIN

Douglas O. Freeman, an American sculptor created these sculptures of Seven Lucky Gods in 1995. He came from Minneapolis of Minnesota.

中国の宋の時代の人物とされる寿老人は、名前のごとく長寿の神様だが、南極星の化身ともいわれ、福禄寿との混同がある。

杖をつき、鹿を連れて、長生きの薬の入った瓢箪と桃を持つ絵があるが、この彫刻では、持ち物を整理して、鹿の飾りの杖と、巻物を掲げている。すごく元気そうだね!



赤羽七福神(2)弁財天

Seven Lucky Gods in AKABANE(2) BENZAI-TEN

赤羽駅西口、ビビオ前広場に、七本の赤い柱が立ち、各柱の前には七福神が並んでいる。

右側から、先ほどの恵比寿様、この弁天様、そして、寿老人、布袋様、大黒様、福禄寿、最後に毘沙門天が並んでいます。

弁財天(弁天様)は、七福神の中で唯一つの女神さま。芸事の神様です。まるで、ギターをかき鳴らすジョーンバエズみたいだね。

赤羽七福神(1)恵比寿様

Seven Lucky Gods in AKABANE(1) EBISU
Douglas O. Freeman, an American sculptor created these sculptures of Seven Lucky Gods in 1995. He came from Minneapolis of Minnesota.
赤羽駅の西口が再開発されてもう何年になるのだろう。長いこと工事が続いていた駅も、ずいぶんとすっきりした。
2004年に東京にUターンした私は、赤羽駅を1年間通勤に使ったが、西口イトーヨーカドー向かいのビビオ前広場に、なかなか素敵な7つの彫刻を見つけた。

七福神なんだけど、すごくいきいきとして、動きがある。たとえば、この恵比寿様。鯛が泳いで逃げるのを捕まえるところです。
作者は、アメリカの彫刻家、ダグラス・フリーマンさん。ずっと前に写真を撮ったこともあるが、今日は、久しぶりに赤羽に来たので、改めて撮影してみました。(2011/8/01)