2011年9月30日金曜日

秋の銀座

先週とはうって変わってお天気になった。
WAKO Building against Blue Sky of early Autumn.
秋晴れの空を背景にした和光は本当に素敵だ。サッポロビルの4階から、和光の写真を撮り始めて1年が経過したが、この眺めは飽きない。そして、腕時計を持たない主義の私にとって、この時計台はとっても便利なんだ。
さて、この1週間はとても忙しかった。まず、23日はスズメ蜂の巣を撤去。26日は家の壁紙張替。そのあと前田事務所に。27日はアレルギーの治療のため病院へ。

懸案だった火災保険の支払いや、各種税金の支払いもなんとか出来て、この日(水曜日)はとてもいい気分。

英語の授業の後に少し銀ブラを楽しむことにして、山野楽器でCDを、コアビルの本屋で文庫本を購入。写真の和光本店の裏通り、和光ティサロンの並びにある和光チョコレートサロンに初めて入った。

こじんまりとしたカフェの壁はなんと板チョコの形。クレームショコラと珈琲のセット1365円を頂き、至福の時を過ごしたのであった。(2011/9/28撮影・訪問)

P.S.ちなみに、本日はお風呂のタイルの修理。生協の配達もある。さっき電気屋から先日の修理の請求書もきた。家のメンテナンスもなかなか大変です。(2011/9/30)

2011年9月29日木曜日

とんかつ二題(続)

神田須田町、勝漫にて「ロースカツ定食」を食す。
The Study of PORK CUTLET st KATSU-MAN
TON-KATSU, Pork Cutlet is one of the most delicious and popular Japanese Cuisine.
According to Mr.GO OSAKA, a Japanese novelist, there are 4 Basic Principles for the good TON-KATSU.
(1)The breaded coating of the pork should be sharp and fox brown colour.
(2)The pork shouldn't be neither too hard nor too soft.
(3)The Sauce should be the Restaurant's Original one.
(4)The Reasonable price is important. The chef should cook usually pork not the expensive branded pork.
KATSU-MAN is one of the best TO-KATSU Restaurant in TOKYO.
神田須田町は、「まつや」をはじめ、「藪そば」、「竹村」等、和食のサンクチュアリ地区が広がる懐かしい町だ。

だが、淡路町駅A1出口すぐで、天麩羅「天兵」や「庄之助最中」のすぐ近くなのに、この店に気がつかなかったのは実に迂闊であった。
「勝漫」(かつまん)は、1978年(?)オープン。東京一との評価もあるトンカツの名店なのである。

さて、11時半すぎに入ってロースカツ定1500円(おしんこ、赤だしつき)を注文。やや辛めのソースが素晴らしい。ポン酢や辛子もあるので味付けはお好みで。(逢坂先生によればソースだけで食べるのが醍醐味とのことだが)

逢坂剛トンカツ四カ条(1)濃いきつね色の粗い衣がとがるように立っているべし、(2)肉は硬すぎず柔らかすぎず、適度な歯ごたえを保つべし、(3)ソースはオリジナルであるべし、(4)流行りの高級銘柄豚に惑わされるべからず、の全てをクリアしたロースカツに感激です。(9/28訪問)


とんかつ二題

先月だか先々月だかに「大人の週末、カレー大決戦」を買った。普通、こういう雑誌は買わないで立ち読みするのだが、あまり暑くてカレーでも食べたい気分だったのだろう。

その中に、別の特集で、「各界達人が選ぶ私の大満足店」というのがあって、とんかつ、和菓子、うなぎ、居酒屋の四部門について、逢坂剛、福沢朗、ラズウエル細木、橋本教授の各氏が、ご自分の好みの店を紹介しているんだ。

ところで、余談だが、石原慎太郎天罰知事の本を立ち読みしてたら、「最近の日本は、性欲と食欲ばかりで嘆かわしい」という記述があった。

確かに、テレビではグルメ番組は大きな割合を占め、多くのレポーターが、決まり切った感想とセリフを繰り返している。曰く、「おいしー」「外はからっと、中はジューシー」「これは本当にうまい!」

また、性欲云々については、成人漫画の性描写をめぐっての東京都条例の問題が念頭にあると思われる。ここでは、食欲のみに限定して考えてみるが、確かに知事の指摘は一面の真理だが、この老人から、食べる楽しみを奪ったら、なんて悲惨な人生になるのかもまた現実であろう。

閑話休題、夏の間は石原知事の嫌いな食欲もなく、冷たいものばかり食べていたが、先週来、急に秋らしくなってきたので、なぜかトンカツが食べたくなってきたのじゃ。

私にとっては、小説家というよりスペインを愛するギタリストとして親しみのある逢坂さんおすすめは、銀座不二、淡路町やまいち、巣鴨とん平、淡路町勝漫、高田馬場とん久、などである。

上野御三家とか、目黒の有名店などは除外しているが、たしかに、この手の情報誌では、毎度おなじみの店ばかり出てきて、うんざりする。だから、どのような選択の基準かが大切なんだ。

その点、逢坂さんは、五カ条の御誓文ならぬ、「とんかつの基本四カ条」を掲げているのは説得力がある。特に、第四条「流行りの高級銘柄豚に惑わされるべからず」という指摘は大切だ。

スノビズムに犯された小生の精神は、有名店とか権威にすごーく弱いのだ。そしてこれらの店は、高いのだ。逢坂さんの素晴らしいところは、「下駄をはいて食べに行く庶民の食べ物、トンカツが、2800円とは、はなはだ遺憾である」と喝破したところだ。

うーん、有名店で、高いトンカツを旨いと思う心理は、本当の味覚を惑わせるマーケティングの手法なのかも知れない。彼の意見は、「定食で2000円以内」、これはうれしい。

実は、彼の推薦した店の中で、巣鴨、銀座、高田馬場は前に行ったことのある店だったが、正直なところあまり評価していなかった。それは、有名じゃなかったし、安いからだった。

そこで、あらためて、巣鴨とん平(今月末まで仮店舗)と淡路町勝漫に行ってきました。結果は、ロースカツ定食のうまさの再認識。そして、そこでの小生の感想は、なんと「おいしー」「外はからっと、中はジューシー」「これは本当にうまい!」
(2011/9/28)

2011年9月28日水曜日

揚羽蝶再び

曼珠沙華または彼岸花

彼岸花は夏の終わりによく似合う。
HIGAN-BANA is quite suitable to the end of Summer.
夏ももう終わり。今年も充実した夏であった様な気もするが、よく覚えていないので、記憶をたどって見ると・・・。

(1)先日、北海道の空港からA君が電話してきた。一緒に行くはずのTM君がいないというのだが、そんなこと言われてもねえ。この旅行は、北海道のTK君が大学を停年になるので、夏休みに来ないかということで企画されたんだが、小生は諸般の事情から行けなかったんだ。

(2)結局、TM君は次の飛行機で現れ、三人は道央の初秋を満喫したらしい。温泉にも行ったとの報告が来た。うらやましい!

(3)そういえば、小生は、どこにも行ってない。東北の夏まつりにも行ってないし、お墓参りにも行ってない。一体何してたんだろう?
・・・しかし、何も思い出せない。やっぱり認知症は進行してるのだろうか?(続く)

揚羽蝶

平和公園の彼岸花に停まる揚羽蝶
A Swallowtail Butterfly stopping on the Lycoris flower, HIGN-BANA. 

先週末から急に秋らしくなった。気が付くとハナミズキの並木の下には赤い実が落ちてるし、公園には彼岸花も咲いていた。

そこに揚羽蝶が停まって蜜を吸っていたのでケータイ撮影したのだが、光のコントラストが強すぎたようです。
(2011/9/28)

2011年9月27日火曜日

志村一里塚(4)斎藤商店

江戸時代から変わらない竹製品を売っています。
An Old fashioned store where you can buy some bamboo mops.

自動車が激しく行き交う中山道をはさんで、東西に並ぶ二つの一里塚は、1610年前後に作られ、大正時代に整備されたという。

志村一里塚(東)隣の斎藤商店では、竹製品、竹ぼうき、竹かご、竹塀などを売っているが、これらは、江戸時代より前から使われてきた。ここは、時間がストップしている不思議な場所なんだ。

You can imagine the old EDO period almost 400 years ago, when these trunk roads were built and many travelers walking up and down from EDO to countryside.

They may buy bamboo hat or Waraji, weed shoes here.

志村一里塚(3)

板橋十景の民家と一里塚
There remains some old fashioned traditional Japanese houses around here.
中山道(17号線)を少し後戻りして、手前の斎藤商店を入れて、奥の一里塚を撮影して見ました。このお店は昭和初期のすごくいい味だしてる。

ただし、古民家の保存はなかなか大変なようで、この右手奥に隠れているおうちは大分傷んでいる。保存のための資金援助が欲しいところだが・・・。

志村一里塚(2)

志村一里塚は、街道の両側に残っている。
This historical milestone, SIMURA ICHIRI-ZUKA has been well kept for almost 400 years, which is third one from the start point, NIHON-BASI bridge.
2004年に20年振りに東京に戻ってから、大気汚染や水質の変化、騒音などの環境の変化のためにアレルギー体質になり、花粉症も発症してしまった。特に、春先や秋口に現れるじんましんは、かゆくてつらい。すでに志村の病院に通って7年目だが一向に改善しない。

それはともかく、この一里塚周辺は、板橋十景にも選ばれた古い民家も残っている。写真は、街道東側の塚だが、周囲を石垣で囲って整備されている。

もともとは、小高い丘の様にして、欅などを植えてあった。維新後に大部分は荒れ果てて邪魔になり撤去されたそうだが、ここと西ケ原は奇跡的に保存されて今に至る。

なお、日本橋からの一里塚は、(1)本郷追分(東大農学部付近)、(2)板橋宿(板橋駅近く)そしてここ志村へ続くのだが、いずれも小生にとってはなじみの場所なのである。

志村一里塚(1)

日本橋から三里、三番目の一里塚。
The ICHIRI-ZUKA is a Milestone in EDO period.
今日は、アレルギーの診察のために志村の病院に出かけた。途中、志村の一里塚を通りかかったので、ケータイ写真を撮ってみました。

17世紀に徳川幕府が主要な街道を整備した時、一里ごとに塚を立てて、旅人の利便を図った。つまり、江戸時代の道路標識だね。同様のものは、それ以前からもあったが全国的に整備されたのは江戸時代のようだ。

一里は約4キロで成人男子なら1時間の距離だから、目的地まであとどのくらいかの目安になったことでしょう。

都内では、ここ板橋区志村の中山道と、北区西ケ原の日光お成り街道の2か所に残っていて、国の史跡に指定されています。
(2011/9/27)

大相撲秋場所、白鳳、把瑠都戦

十四日目、横綱白鳳と、大関把瑠都。行司は木村庄之助
YOKOZUNA, HAKUHO and O-ZEKI, BARUTO and the Grand Judge Syonosuke KIMURA.
こうしてみると、相撲の勝負は絵のようだ。立行司の木村庄之助の見事な衣装。世界を現わす丸い土俵の中で戦う二人の力士。手に汗握る緊張の瞬間である。

なぜか、14日目の写真しかなく、翌日の千秋楽を撮影しておけばよかったと後悔しています。結局、白鳳は、この日、把瑠都を、翌日に日馬富士を倒して20回目の優勝を決めます。

その白鳳は、琴奨菊(ことしょうぎく)と稀勢里(きせのさと)に負けているのだが。
また、木村庄之助は、千秋楽の結びの一番をもって49年の土俵生活を引退した。(拍手)

2011年9月26日月曜日

大相撲秋場所, O-ZUMO, the Big SUMO Game in Autumn Season.

大相撲秋場所は素晴らしい試合が多かった。
WE have enjoyed a lots of nice SUMO match this season.
先場所優勝の日馬富士(HARUMA-FUJI)の綱取りが話題だったが、琴奨菊(KOTOSYO-GIKU)ががぶり寄りで勝ち進む中で、彼の大関昇進が話題となった。
写真は、14日目、琴奨菊と日馬富士の対戦。この一番で、12勝とした琴奨菊は、大関昇進を確実なものにした。

また、いよいよ目覚めた稀勢の里(KISENO-SATO)は、三連敗の後にふたたび横綱を破って存在感をしめした。そして、最後は、少し苦戦したけれど、やっぱり白鳳(HAKU=HO)が優勝したのである。

You may be surprised there are so many foreign SUMO wrestlers when you watch the SUMO match in KOKUGIKAN, the Nnational Sumo Wrestling  Stadium.

For example the YOKOZUNA HAKU-HO, the champion comes from Mongolia and OZEKI, second strongest wrestlers, KOTO-OSYU from Bulgaria, BARUTO from Estonia and HARUMA-FUJI from Mongolia though SUMO is a traditional Japanese sports and dedicated for the Japanese Gods.

Yes SUMO is one of the most international sports.
Now we are very happy there come back one Japanese OZEKI again.

2011年9月23日金曜日

スズメ蜂退治(4)ちょっと可哀そうかも?

EXTERMINATION of YELLOW HORNET(4)a little bit Pity
駆除された黄色スズメ蜂の働き蜂。
In Japan we call these insects KI-IRO SUZUME BACHI ,the meaning is Yellow Sparrow sized big Bee. Whose size is about 2 or 2.5 cm. The Queen is more than 4cm big.

In English you call this kind of Bee a Wasp or Hornet.There are another kinds of bees like Honey Bee, MITSU BACHI or Paper  wasp, ASINAGA BACHI. Well, I prefer Honey Bee.

WASP has another meaning that White Anglo Saxon Protestant. The word is not so polite meaning that you should not use especially at the East coast area in the U.S.A.

Any way WASP is so dangerous that you should call the ward office to terminate the nest at once if you See the Bee.The operation Fee is Free. you don't Need to pay at all. (2011/9/24)

スズメ蜂退治(3)ハチの巣

A Part of the Nest of Hornet and working bees but no Sweet Honey.
撤去した蜂の巣の一部。
大部分は、壁を壊さないと取り出せません。

スズメ蜂退治(2)

The TERMINATOR is operating the Nest of HORNET at the windows cover up stairs.
なんと、二階の窓の戸袋の中に巣が出来た。
この戸袋下の壁の隙間に大きな巣がある。
これを撤去するには、壁を壊さなければならない。
今回は、殺虫剤の散布で対応。

Oh dear, they built a nest in the cover of the closed window. which is beyond my assumption.
The terminator found the entrance of the nest and he said that I must break the wall just under the window.
 This time I ask him only take off a part of the nest and put the poison gas in the nest to kill the wasp. which may be thought so cruel or anti-humanism.
(2011/9/23)

スズメ蜂退治(1)

How to Terminate the Dangerous Insects.

先日来の我が家の懸案事項、スズメ蜂の退治を区役所土木科に依頼。

調査の結果、専門家に頼むことになった。本日、秋分の日の休日にもかかわらず、午後、吉田消毒のスタッフが到着。

ご覧の様な、宇宙服みたいな防護服で作業に入ったのだが、なかなか本格的でカッコイイね!
(2011/9/23)

池袋南口

池袋駅南口、メトロポリタン口のエスカレーター
駅の吹き抜けの場所が好きだ。地下鉄日比谷線の六本木駅から森タワーに登るとことか、みなとみらい駅の長いエスカレーターなどは解放感があっていいね。

でも私の生活圏では何と言ってもこの場所だ。スケールは小さいけど、地下のJR池袋駅南口から、1階に上がると、東上線乗り場と、ルミネ(もとのメトロポリタンプラザ)。そこからまたエレベーターで2階に上がると、東武デパート2階、JRのメトロポリタン口に続く。

池袋駅は、北、中央、南のコンコース、どこも混雑していて目がまわる。2004年に東京に戻って、久しぶりにこの駅に立った時、あまりの混雑にひるんだ。仙台駅の4倍位の込み具合で、人間は2倍くらいの速度で歩いている。そして、においが臭くて閉口した。

一方、メトロポリタン口はゆったりして好きだ。先週撮ったこの写真は2階からの眺め。空気もいいし、高いとこから下を見るのは楽しい。

2011年9月22日木曜日

Japanese Crafts

全国伝統的工芸センター
Japan Traditional Craft Center
If you have interests about Japanese crafts, you must visit this place.You can watch almost all fields of Japanese Traditional Crafts. Though the price is rather expensive.

池袋駅南口、メトロポリタン口にあるこの伝統的工芸センターは、日本中の工芸品を一望できる便利な場所です。ただしお値段は定価で、産地よりかなりお高い。

WEAVINGS : Textiles, Fabrics and Dyeing. You can enjoy Japanese clothes.
POTTERY and PORCELAIN: Various kinds of Tea cups or Rice cups.
LACQUER : Wajima-nuri, Yamanaka-nuri, Tsugaru-nuri etc.
Another : Woods, Paper, Stone etc.
About more details please see the HP of JTCC.

The access is the south exit of JR IKEBUKURO station.  You can come there from TOBU department store.

以前、銀座の喫茶店で隣に座ったスペインのカップルから「箱根の秘密箱」を買いたいと聞かれた。何かと思ったが、「箱根寄木細工」と気がついて、この場所を教えてあげたことがある。
(写真は、月替わりの入口ディスプレイで、日本の灯り)

2011年9月21日水曜日

雨の銀座四丁目(4)

「九月の雨」の中の「三愛ビル」
the SAN-AI Building in September Rain.

この写真は雨の様子がよく撮れた。我ながら傑作じゃ。本日アップした写真の内、最初の2枚は、この写真の三愛ビル2階の窓際から、そして、残りの2枚は、サッポロビル4階から撮ったんじゃ。

さて、太田裕美の「九月の雨」は、1977年の作品だが、同じ題名のSeptember in the Rainは、1937年のアメリカ映画、Melody for Twoの挿入歌で、ジェームズ・メルトンが歌ってヒットした。

マジックトレイン.ビズで、ダイナ・ワシントンの歌う「九月の雨」も聞いてみました。

雨の銀座四丁目(3)

台風の風雨に煙る和光ビル
The foggy WAKO building in the strong rain and wind.

「九月の雨」といえば、松本隆作詞、筒美京平作曲の太田裕美の名曲を思い出す。

1977年9月の発表で、私は、出張に行く飛行機のラジオで初めて聞いて、感銘を受けた。

これは、心変わりした男の家にタクシーで乗り込む女性の心を歌ったもので、とても怖いシチュエーションだ。

車の ワイパー 透かして 見てた
都会に うずまく イルミネーション。
くちびる かみしめ タクシーの中で、
あなたの 住所を ぽつりと 告げた。

September Rain Rain 九月の雨は 冷たくて
September Rain Rain 思い出にさえ 染みてくる。
(以下略)

雨の銀座四丁目(2)

三越銀座の壁面広告はたたまれています。
Because of the strong wind of Typhoon #15, they rolled down the big Ado. of MITSUKOSI department store.

雨の銀座四丁目(1)

銀座四丁目ドトール二階からサッポロビル、日産ショールームを見る。
SAPPORO building from the second floor of the Cafe, Doutor.

これは本日、12時ころの写真です。台風が来てるので、外出は控えたかったのですが、英語のクラスがあるので、ここで予習しています。

I took this photo about 12, this afternoon.
You can see the black ado. sign which is of the smart phone.

My English school and my study room is just the floor under this Ado.

「黒にする?」という大きな広告が見えるけど、スマフォの広告です。その下に見えるのがイーオン銀座校の教室、小生の自習室です。(2011/9/21)



2011年9月20日火曜日

隣の柘榴(となりのざくろ)

ベランダから隣の庭のざくろを見ながら考えた。
Pomegranate fruits at the yard of next door.
9月も下旬、近所の庭の木の実も色づく季節となった。写真の中ほど、明るい緑の葉に、丸い実がなってるのがザクロです。上は松、下は梅。向かいの家の柿と蜜柑も大きくなってきた。おすそ分けを期待しています。

(1)さて、昨日は、明治公園で「さよなら原発5万人集会」が開かれ、主催者発表で6万人が集まった。すごいね!いずれにしても、福島原発は廃炉になるし、東南海地震、東京直下地震も近いし、日本の原発はみんなストップするしかないよね?

(2)我が家に大事件発生。先週発見された「足長蜂の巣」を撤去するべく、区役所の係の人が調べたら、使われていない雨戸の戸袋に「すずめ蜂」が住んでいることが判明した。足場が悪く、危険なため、専門業者に依頼することになった。

(3)台風12号に続いて15号ものろのろ台風で紀伊半島や名古屋に大きな被害をだした。東京は、明日の午後に一番接近するようだが、調度出かけてる時間帯だ。

(4)また、じんましんが出てきた。2004年に仙台から東京に移った年に発症して以来、毎年この時期に発症する。東京の空気と水は仙台とは違うし、ストレスも大きいからね。かゆくてたまらない。(2011/9/20)



2011年9月19日月曜日

チェロコンサート

東京文化会館小ホールで美しいチェロを聴く。
Yoko Hasegawa Cello Recital at Metropolitan Festival Hall.
過日、西洋美術館で古代ギリシャの男性美を堪能した後、立ち寄った文化会館で、美しいポスターに出会って思わずチケットを購入したのが、長谷川陽子さんのチェロコンサートである。

それにしても、最近の日本の女性演奏家は、ルックスがいい人が増えた。長谷川さんも、天海祐希にちょっと似た知的美女です。

建築家、前川國男の代表作であり、20代のころは、毎月一回は通っていたこの建物は、今年50周年を迎えた。仙台に移ってからごすっかり無沙汰していたが、久々に訪れると実に懐かしい。

本当は、「ボローニャ歌劇団」のオペラを見たい所を、体力、経済状態から困難なため、長谷川さんのチェロリサイタルにしたのだが、これが大正解の素晴らしいコンサートであった。

前半は、ドビュッシーとフランク、後半は、カサド(無伴奏チェロ組曲)とファリャ(スペイン民謡組曲)にピアソラ(ル・グラン・タンゴ)という、夏休み向きの聞きやすいプログラム。

ガスパール・カサドは初めて聞いたのだが、パブロ・カザルスに捧げられたこの「無伴奏チェロ組曲」は、チェロだけで多彩な世界を聴かせる作品。長谷川さんの、力の入った素晴らしい演奏に大満足。

かなりの難曲と思われるが、やはり若さですね。大きなアンコールの拍手にこたえて、なんとアンコールを3つも聞かせていただきました。伴奏のピアノ、鷲宮さんの演奏も素晴らしく、日本の演奏家の実力、層の厚さを垣間見て、頼もしく思いました。
(2011/9/18

2011年9月18日日曜日

正岡子規記念球場、MASAOKA SIKI MEMORIAL BALL PARK.

春風に まりを投げたき 草の原
東京文化会館に向かう途中見つけた「正岡子規記念球場」の看板
The famous Japanese Haiku poet in Meiji period, Masaoka Siki loves baseball so much and he introduced the game to Tokyo. Once he played games around this place.
At 2006, when they had a 100 years anniversary  of UENO PARK, they put his name on this baseball ground.

この道はよく通る道だし、ここにグラウンドがあるのも知ってたが、ここが「正岡子規記念球場」とは知らなかった。

それも道理、2006年までは、「東京都立上野恩賜公園野球場」だったのが、同年の上野公園開設130年を機に、改称したそうだ。

近くに出来た記念碑によれば、明治時代の俳人、正岡子規は野球を紹介した功績で野球殿堂に入っている。

子規は、幼名、升(のぼる)をもじって、の(野)ボール(球)、すなわち「野球」をペンネームにしたという。

その記念碑に彫られたこの句は、あまりいい出来とは思えないが、素直な気持ちなんだろうな。グラウンドでは、赤と白のユニフォームを着たチームが熱戦中であった。
(2011/9/18)

不忍池(2)SHINOBAZU POUND


BIG LOTUS LEAVES at SHINOBAZU POUND in UENO.
A Short Tour Guide around UENO Area
There are HONGO hill at the west side and UENO park on the other side of this SHINOBAZU POUND which is actually a part of UENO park.
HONGO hill is a residential area and TOKYO UNIV. is there.
There are some museums and concert hall and UENO ZOO at UENO park on the hill.

If you have interests about Japanese history and art, you can't miss this area especially the TOKYO NATIONAL MUSEUM which is consists of 5 museums and beautiful Japanese garden and some restaurants and souvenir shop.

In the SEIYO BIJYUTSU-KAN, The Western Art Museum which is built by Le Corbusier, the famous Swiss born French Architect, you can enjoy both Impressionism artists include Monet and Rodin.

At the small valley between HONGO and UENO hill, you can enjoy crouded old shopping street, AMEYOKO and various kinds of Japanese Cuisine at the reasonable price.

The Access : UENO station on JR Yamanote Line

不忍池(1)SHINOBAZU POUND

下町資料館前から、不忍池方面を望む。
The Sight of SINOBAZU POUND from the Ueno Down Town Museum.


本日の東京は30度を越える暑さ。東京文化会館小ホールの午後のコンサートを予約していたのでやむを得ず暑い中を出かけることにした。

例によって寝坊して、11時に家を出た。上野池之端の亀屋にてうな丼のブランチを摂る。外に出て、不忍池を眺めると一面がはすの葉に覆われている。

写真の奥、右端には弁天堂が、左には2棟の高層マンションが見える。(2011/9/18)

2011年9月16日金曜日

ミケランジエロの暗号, My Best Enemy

ナチスの時代を生き抜いた男とその友人(敵)の物語
Today I watched an Austrian  movie, Mein bester Feind directed by Wolfgang Murnberger. The story of a Jewish man who survived the age of Nazism.
人類のトラウマの一つ、ナチスのユダヤ人迫害は、多くの映画で描かれてきた。たとえば、

(1)ポーランドのアンジェイ・ムンクの遺作、「パサジェルカ」(二人の女船客)は、元収容所の看守と収容者が戦後、洋上の客船で再会するという話。心理劇の要素の合間に収容所のシーンが入りすごく重かった。(日劇文化で見た)

(2)1940年に米国で制作された「チャップリンの独裁者」が日本で公開されたのは1960年であった。これは最高傑作だね。大好きな映画です。これも、日劇文化だったなあ。

(3)「ブリキの太鼓」 ノーベル賞作家のギュンター・グラス原作 1979年度のドイツ映画、アカデミー外国語映画賞、F・シュレンドルフ監督、ポーランドのダンツィヒ(グダニスク)を舞台に、3歳で成長を止めた少年オスカルの寓意に満ちた不思議な物語。映像には異様な迫力があった。G・グラスは後にナチスの党員であった時期があったことを告白。

(4)「シンドラーのリスト」 1993年のアメリカ映画、アカデミー7部門受賞。ポーランドの古都クラクフを舞台に、ナチス党員のドイツ人実業家のオスカー・シンドラーが、何故ユダヤ人を救出したかの感動的な物語。いい映画ですね。

(5)「戦場のピアニスト」 2002年、英・独・仏・ポーランド合作。ロマン・ポランスキー監督。ワルシャワの廃墟の中を生き抜いたユダヤ系ポーランド人のピアニスト、シュピルマン(エイドリアン・ブロディ)と彼を助けたナチスの将校のサバイバル物語。飢える場面に異様なリアリティがあったね。この映画好きです。

(6)「イングロリアス・バスターズ」2009年のアメリカ映画、クエンティン・タランティ-ノ監督。ユダヤハンターのランダ大佐(クリストフ・ヴァルツ)と大佐に家族を殺されたユダヤ人、ショシャナの復に、ブラッド・ピット演じる米軍秘密部隊のレイン中尉が絡み、ありえない話が展開する。クライマックスは、ナチ占領下のパリの映画館。問題点多数の無茶苦茶な映画。

(7)「ヒトラーの贋札」 2007年のドイツ・オーストリア合作、アカデミー外国語映画賞。S・ルツォビッキー監督。英国の経済撹乱を狙い、高度な印刷技術を持つユダヤ人が、強制的に偽札を作らされた「ベルンハルト作戦」の映画化。サスペンスとして傑作。

(8)そして、「ミケランジェロの暗号」原題はMy Best Enemy. 2011年のオーストリア映画。アカデミー外国語賞。ウォルフガング・ムルンベルガー監督。制作は、「ヒトラーの贋札」と同じヨゼフ・アイヒフォルツァー。脚本は、少年時代にウィーンで迫害に遭ったポール・ヘンゲ。これは、完全なフィクションだが、ナチスによる芸術作品の収集という史実を踏まえて、いかにもありそうに作っている。

ハリウッド作品だと、ナチスの将校が英語を話すので興ざめだが、ヨーロッパ映画だとドイツ語を話してるのがいいね。

写真左は、SSに化けたユダヤ人画商のヴィクトル・カウフマン役のM・ブライプトロ。右は、恋人レナ役のウルスラ・シュトラウス。(2011/9/16)

2011年9月14日水曜日

9月の和光と午後の散歩

秋なのに夏日とはこれ如何に?
It was unusually hot today in Tokyo. I visited two exhibitions and some cafes after English class.

東日本大震災から早や半年。小生が退職してから1年半が経過した。いやあ、月日の経つのは早いですね。少年老い易く学成り難し。光陰矢のごとし。命短し恋せよ乙女。

それにしても暑い!週末から火曜日まで、ずーっと家に引きこもり、不健康な生活(注-1)を続けてきたが、今日は、週に一度のお稽古事で、例によって銀座四丁目に出かけた。写真の和光ビルの背景の空は、どう見ても秋の空じゃないですね。

思えば、子供のころから、柔道、算盤、茶道、お習字などに月謝を払ってきた。さらに、演劇の学校も行ったし、英語の勉強も随分したけれど、いずれもものにならなかった。(注-2)

さて、今日の英語の授業のテーマは「中国の経済成長」についてだった。折しも、イタリアの不良国債を中国が引き受けるというニュースも流れて、実にタイムリーな話題だが、語彙が難しくて大変だった。予習と復習が必要だ。

今日の放課後は、珍しく計画的に行動した。

まず、例によって、(1)松坂屋地下、「お肉のスギモト」の「黒毛和牛スキ重」(525円)で腹ごしらえをして(赤ワインも軽く頂いて)から、(2)「シャネル」銀座店4階、「ネクサスホール」で、ココ・シャネルの写真展(無料)を鑑賞。この日は、1階が工事中で、係員がエレベーターまで案内してくれた。

その後、京橋を経て、(3)日本橋の高島屋にて、NHK日曜美術館で紹介されていた、具象画家、「犬塚勉の展覧会」(800円)を見る。ついでに6階の画廊も覗いてみた。さらについでに、催事場の「イタリア展」では、チーズの試食もおいしかったけど、買えなかった。

流石に銀座から、日本橋まで地下鉄2駅分を歩いたので疲れた。デパートの並びの喫茶店、ILLYに入る。初めて入ったんだけど、セサミのハム・チーズサンドがおいしそうなので、珈琲と注文する。合わせて510円だから極めてリーズナブル。店内は天井が高くクールなデザインですごくいいね。

ここで重大な問題が発生。財布にお金がない。理論的には、帰りの電車賃があればいいのだが、実はPASUMOの残金も残り少ない。原発は、電力がダウンすると冷却が出来なくてメルトダウンに至るが、小生もお金がダウンすると、家に帰れず、帰宅困難者になるんだ。

これまでの人生で、このようなケースには度々遭遇(注-3)している。だから、二重三重のリスク管理システムを備えているんだ。今回は、非常用に定期入れの中に隠してる千円札を使用することで乗りきった。

さて、元気になったので、さらに中央通りを進み、日本橋を渡る。少し写真を撮ったが、うーむ、高速道路が邪魔でよい写真は無理。それに暑いので、三越本店に避難する。1階のホールで暖炉を売ってる人が説明してくれたが、我が家では置き場がないね。別荘があればね。

ここから、大手町に出て地下鉄で帰るか、神田まで歩いてJRで帰るか?早く帰らないと、老母から電話が来るので急がないとね。(実際には、隣の千疋屋でソフトクリーム350円を食べてから帰った)(2011/9/14)

(注-1)引きこもりだと、運動不足になり、便秘になる。夜更かしもするし。
(注-2)これは、集中力の欠如、注意散漫が原因だと思う。何よりも、努力と継続が足りない。でも、それぞれの場面で、楽しい思い出ができたので、それを良しとしたい。
(注-3)今度、このテーマでレポート書く予定。

にがうり

お向かいの生垣ににがうりがなった。

平和公園の子供たち Children at the Park.

近所の平和公園にて:小学校一年生が運動会の練習してる前を保育園の子供たちが散歩しています。
The pupils at first year of elementary school are practicing for the athletic games.

The line of boys and girls of Kinder Garten are crossing in front of them.

It's really a peaceful morning because the name of this park is the Peace Park.
(2011/9/14)

2011年9月13日火曜日

同時多発テロ10周年(2)アフガニスタンを思う

We should pray not only for the victims at NY but also for the people in Afghanistan or Iraq. 
朝日新聞の9/12夕刊や、CNNニュースで、米国同時多発テロ10周年の世界貿易センター跡地での式典を見る。2001年9.11の事件は日本時間では当日の夜であった。調度、妻とテレビを見ていたら、信じられない映像が飛び込んできたことを今でも鮮明に思い出す。

初めは事故かと思ったのだが、その内にペンタゴンにも飛行機が飛び込み、さらに貿易センタービルには2機目が突入。テロ事件だということで大騒ぎになった。貿易センターだけで、犠牲者は3000人近くであった。救出の途中でビルが崩壊し多くの消防隊員が犠牲になった。

このテロには、前兆と長い前史がある。
アルカイダの歴史をまとめて見た。(ウイキペディアによる)

起源:1978以降のソ連侵攻に対抗させるために、CIAとパキスタン情報局が義勇兵、ムジャヒィディンを訓練、武装化して育成したのがはじまり。(サイクロン作戦)

1984年 ムスリム同胞団のA・アッザームが、ウサマ・ビンラディンとMAKを結成。アラブ諸国から、35000人の義勇兵を集める。ビンラデインは、CIA、サウジアラビア政府と共に対ソ戦争を戦う。

1988年 国際組織アル・カイーダ結成。(基地の意味)
1989年 ソ連のアフガン撤退。ムジャヒディン同士の内戦はじまる。MAK内紛。A・アッザーム殺害される。
1991年 イラクのクエート侵攻による湾岸戦争始まる。イスラムの聖地、サウジアラビアに米軍が駐留したことから、アルカイダとサウジアラビアの離反
1992年 ビンラディンはスーダンに移住。組織を強化する。
1993年 貿易センター爆破事件。この時は、たしか地下駐車場で爆発があった。建物は無事。
1995年 ボジンカ計画が発覚。これは、航空機爆破テロ。さらに小型機を国会 にぶつける計画もあった。つまり、9.11のアイディアはこの時にすでに出来てた。
1996年 スーダンから追われたビンラデインは、アフガニスタンに拠点を移す。
1996年 同年、サウジアラビア米軍基地爆破
1998年 ケニヤ、タンザニアの米国大使館爆破事件
1999年 国連は、アフガニスタンのタリバン政権に対して、テロリストの引き渡しを要求する。
2000年 10月 イエメン沖米艦への攻撃事件。
2001年 03月 タリバンによるバーミヤン大仏爆破。
2001年 09月 米国同時多発テロ、WTCビル、ペンタゴンが攻撃される。墜落した飛行機あり。
2001年 10月 米国と有志連合と北部同盟によるタリバン攻撃開始。カルザイ政権発足。
2002年 10月 バリ島爆破事件、その後アジアでも事件発生。
2003年 以降 イラクでのテロ攻撃多数。日本人も犠牲になる。
2004年 03月 スペイン、マドリードで列車爆破事件、スペインのアフガン撤退。
2005年 05月 ロンドン同時爆破事件。
2008年 08月 人道支援のペシャワール会、日本人スタッフの殺害事件。日本人は全員帰国。
2011年 05月 米軍特殊部隊が、パキスタンで、ウサマ・ビンラディンを殺害。

いやあ、本当にお騒がせだねえ。
アルカイーダのテロと、それに対する対テロ戦争は、流血の連鎖となり、とりわけアフガニスタンとイラクの人々に多大の苦しみを与えた。その被害者の正確な人数は分からないんだ(!)


大体、この戦争、宣戦布告なき戦争といわれ、そもそも、政府間の戦争でもない。
ウサマ・ビンラディンの個性が果たした役割は大きいが、その財力はサウジアラビアに由来し、その武力は米国CIAに由来。さらにパキスタンとのつながりもみえみえだ。

ビンラディンは、サウジアラビアのオイルマネーCIAの謀略で作り出された怪物であった。様々な裏切りと戦闘の果て、彼を作りだした米国の手により、妻の面前で、裁判もうけることなく射殺されたのである。アングロサクソンは野蛮だね。

この戦争で迷惑したのは、巻き添えになったアフガニスタンの一般の人々だ。ペシャワール会の2004年報告では、2000万人の人口のうち200万人が犠牲となり600万人が難民となったという。

大体、ソ連がひどいよね。傀儡政権を無理やり維持するために10年間も戦争したんだから。
その間に、アメリカによって、広く武器が行き渡ってしまった。こっちもひどい。

さらに、19世紀以来、英国の植民地支配が引き起こした、第一次、第二次アフガン戦争は、グレートゲームと呼ばれた。つまり、英国にとっては、アフガンはロシア牽制のためのチェスの駒だった。

しかし、歴史を振り返ってみれば、英国との戦争でも、ソ連との戦争でもアフガン人は勇敢で強かった。最後はアフガニスタンが勝ったんだし。

また、アフガニスタンは、部族社会であり、中央政府ができても、どうしても部族対立が発生する。各部族をゆるやかに統治する体制が望ましい。

グラウンドゼロで、3000人の犠牲者に哀悼の祈りをささげると同時に、アフガンとイラクの数百万人の犠牲者のことを追悼すべきだと思いました。
(2011/9/13)

2011年9月12日月曜日

米国同時多発テロ10周年(1)

The 10th Anniversary of the terrorist Attacks on the USA


1.あれから10年
ニューヨークの110階建ての高層ビル、世界貿易センタービルがウサマ・ビンラディンの率いるアル・カイーダの攻撃によって崩壊してから10年の歳月が流れた。ノース・タワーにアメリカン航空11便が、サウス・タワーにユナイテッド航空175便が激突し、3,000人近い死者を出した。

この悲劇の根は深く、約1000年前のアラブ世界とキリスト教世界の対立に遡る。歴史的に二つの文化の対立を概観してみよう。

2.不寛容な一神教
もともと同じ沙漠の一神教であった、キリスト教イスラム教は、自分達の神が唯一つの正しい神であると信じる、不寛容な宗教であり、殺人を禁じている十戒を自から破り、他民族の殺戮をほしいままにしてきた。やだねえ。

3.十字軍の歴史
十字軍は、イスラム(トルコ)に支配されていた聖地エルサレムをキリスト教徒のもとに奪還することを名目に、1096年から1272年まで8~9回に渡って、実施された略奪目的の侵略戦争である。
東ローマ帝国の皇帝が、ローマ教皇に自国の奪還のために傭兵の派遣を訴えたのが発端である。
(だから、このケンカ、仕掛けたのはキリスト教徒だ)

4.イスラムに理解を示したフリードリヒ皇帝
第6回十字軍(1228-1229)では、イスラムの偉大さを理解していた神聖ローマ帝国のフリードリヒが、イスラムの王様と仲良くなって、戦争することなく平和条約を締結。これに激怒したローマ教皇が、フリードリヒに対して十字軍を派遣、イタリア国内で戦う事態となった。この時のローマ教皇(グレゴリウス9世)って、相当の悪人だ。きっと天国には行けなかったと思う。

5.ジハードのはじまり
お話は前後するけど、第3回十字軍の時(1187年)には、イスラムの英雄サラディーンが、聖戦(ジハード)を呼び掛けた。テロリストのジハードの概念は、12世紀に遡るんだ。この時、サラディーンと交渉したのはイングランドのリチャード1世。英国はこの時から、エルサレムには興味、利害関係があったんだね。

6.オスマン帝国の発展
その後、イスラム世界では、オスマントルコが、13世紀後半から1923年まで帝国を継承する。1453年にはビザンチン帝国の首都コンスタンチノーブルを陥落させて、イスタンブールと名前を替えて首都にする。16世紀はトルコ帝国の最盛期で、イスタンブールは世界で最も美しい都となった。

7.帝国主義列強、セブンシスターズによる石油支配
少し歴史をはしょって、20世紀になってから、1923年トルコ共和国に生まれ変わった。この背景には、ヨーロッパの帝国主義国家によるアラブ諸国への侵略があった。

その目的は石油であり、その集大成が、英米仏の石油資本、セブンシスターズによる、トルコとイラク領内の石油利権を確定した、1928年7/31の赤線協定(Red Line Agreement)である。その後、サウジ、クウェート、北アフリカにも油田が開発されるが、1960年代末までセブンシスターズの石油独占は続いた。この時、ソ連は、仲間はずれだった。

8.OPECの台頭とセブンシスターズの石油支配の終焉
これを簡単に言えば、アラブ諸国から原油を不当に安く手に入れることで、欧米は、すごーく得したのである。一方、アラブ諸国は貧しいままであった。

1960年には、産油国の足並みをそろえて欧米石油資本に対抗するためにOPECが結成される。アラビアのヤマニ首相が活躍したのもこのころだね。

1972年には、今話題のカダフィ大佐が、リビアの石油(BP)を国有化。1976年には、サウジアラビアでも、石油資本が株式を譲渡し、セブンシスターズの支配は終わった。

9.ソ連のアフガン侵攻(1978~1989)
ここで、また歴史をはしょって、1978年のソ連によるアフガン侵攻について考えたい。これはソビエト連邦がアフガニスタンに傀儡政権をつくったら、反対する勢力、ムジャヒディーンの反乱がおこり、ソ連が介入した事件である。

この泥沼戦争は、膨大な戦費と若いソ連兵の死を招き、国力を消耗したソ連はついに崩壊してしまうのである。Cf.ソ連の死者は15000人、負傷者は75000人(ウイキペディアによる)、アフガンの損害はその100倍といわれる。

10.20万人のイスラム義勇兵とアメリカの支援
ソ連に対抗するアメリカ・CIAは、ムジャヒデンに対して、パキスタン経由で、資金、武器の援助を行った。とくに、スティンガーミサイルは、ソ連の戦闘ヘリコプターに有効だった。

ソ連の侵略に抵抗してたたかったムジャヒディーン戦士を支援するためにアラブ諸国から集まった20万人の義勇兵の中に、ウサマ・ビンラディンの姿があった。(注-1)

1988年には、国際組織アルカイダが結成される。当初は、アフガン国内の活動が中心で、対ソ連戦を戦う兵士を訓練していた。(注-2)

11.イスラム原理主義とタリバン
1989年2月にソ連はアフガンから完全撤退。その後、国内は、部族抗争による内戦状態になる。その中で、極端なイスラム原理主義の過激なタリバンが台頭して行く。


そして、1991年の湾岸戦争に際して、アメリカのサウジアラビア駐留に反感を抱いたウサマ・ビンラディンは、アフガンに戻り、タリバン政権の保護下で、国際テロを進めていくのである。
(続く)

2011年9月10日土曜日

大英博物館古代ギリシャ展

西洋美術館地下で円盤を投げる人に会う。
THE BODY BEAUTIFUL in Ancient Greece from The British Museum
The Diskobolos, a Discus Thrower comes from LONDON to UENO

1981年冬に初めてロンドンに行った私は、大英博物館が休館(注-1)で入れなくてがっかりした。

1984年に再訪。私が衝撃を受けたのは、古代ギリシャのパルテノン神殿のレリーフをごっそりはぎ取って展示している「エルギンルーム」(注ー2)であった。(円盤投げの記憶はない)

紀元前数世紀に遡るこれらのレリーフの肉体表現の素晴らしさにびっくりしたのだ。その時代の日本ではまだ、泥をこねていたんだからね。

そして今、西洋美術館で円番投げ(ディスコボロス)像に対面して、再びギリシャ人ってすごい!と思った。(注-3)

この円盤投げは、多くの彫像を見た後でやっと真打ち登場という感じで、地下の黒いカーテンで覆われた円形の特別展示室で会える。東京では9/25まで。(注-4)
(2011/9/9訪問)

(注-1)大英博物館は常時オープンだが、たまたま、年に一度のクリスマスの休日だった。

(注-2)エルギン卿は、当時オスマントルコ支配下のギリシャから、10年かけてこれらの彫刻を持ち出した。ギリシャは、返還を要求している。

(注-3)この作品は、紀元前5世紀のミュロンのブロンズ像に基づいてAD5世紀のローマ時代に作られた。本来顔は後ろ向きなのだが、18世紀に顔を前に修正したとのこと。

(注-4)この展覧会は2008年の北京オリンピックを機会に企画され世界を巡回して2012年ロンドンオリンピックに合わせて大英博物館にもどるそうです。(カタログより)

2011年9月9日金曜日

うなぎ神田川(4)うな重をいただく

明神下神田川本店のうな重に対面
待つこと30分。ついにあこがれの神田川のうな重にご対面。美しい焼き上がりで味もいいのだが、うん?タレがいやにからい。それにタレをかけすぎ

写真のうな重の上に見えるのはタレの入れ物だ。これならお客が自分で調節できるのに。なお、醤油がとがった、このタレ、ちょっと日本橋「いずもや」のタレに似てる。

チラシの続きには、「申すまでもなく鰻屋にとって一番大事なタレは、困難な時代であってもその時代の店主が守り抜き現在にいたっております」とあるんだけど。小生は、白焼きを頼んだ方が良かったかもね?

また、香の物にも醤油をかけすぎ。うーん、スタッフ教育の問題かな?感じのいいスタッフばかりなんだけど、(1)タレは少なめに、(2)香の物には醤油かけないで。・・・というわけで実に惜しい!

なお、気になるお値段は、3600円+赤だし600円=4200円と、かなりお高いので注意。このサービスと環境だからね。(2011/9/9)

うなぎ神田川(3)石灯籠に石橋

石灯籠を数個配した庭を拝見
ガラス戸を開けて、庭の写真を撮らせてもらった。正面の灯籠は3.11の地震で少しずれたそうだが、幸い破損はなかったとのこと。

この左に黒い背の高い灯籠があり、右手にもひとつあるが、木の陰になっていて撮影は断念。右手にはりっぱな石のつくばいもある。

「明神下神田川は、文化二年、幕府の賄い方に勤めていた初代三河屋茂兵衛がその御家人株を売り、当時はやりはじめた鰻蒲焼に目をつけ、現在の万世橋近くで(中略)「深川屋」という屋台で商売を始めたのが最初」

「明治維新後、現在の土地(賄い方住居)に移り、店名も当時の店主の母方の出身地(神田村)と名字にちなみ神田川と名乗る」

「その後、関東大震災、東京大空襲の二度の火災で全焼し、現在の建物は昭和27年(1952)春に再建されたものです」(神田川のリーフレットより)

うなぎ神田川(2)松の間から庭を眺める。

明神下神田川は文化二年(1805年)創業
You can enjoy a beautiful small stone garden from the room.

広い玄関に入ると下足番が「ご案内~」と大きな声で声をかける。中から案内係が現れて、「ご予約ですか?」と聞かれる。「予約なし」と答えると、一番手前の「松の間」に案内してくれた。

この部屋、写真の様に板の間で、窓際に1つ、中に3つの二人掛けのテーブルがセットされ、それぞれのテーブルには、松乃井、松乃葉、松乃露など、松にちなんだ名前がついている。でも、壁の額には「瑞雲の間」の文字があるんだけど、読みにくいからね。

そして、見事な石灯籠のならぶ石庭が見えるんだ。
係の女性は、ちょっと変わった作務衣姿である。秋葉原に近いだけあって和風メイド?風と言えなくもない。ご主人さまとは言わないけれど。

うなぎ神田川(1)玄関のたたずまい

末広町の老舗、明神下神田川の魅力的な玄関
KANDAGAWA is an Old Eel Restaurant at Myojin-sita


数年前、仕事の関係で末広町に来た時に昌平橋に向かって歩いていたら、気付いたのがこのお店。その風格あるたたずまいに一度行こうと思いながら、タイミングを失して今日に至る。

小生のうなぎ研究のガイドブック、「うなぎ百選」にも掲載されている「神田川本店」に対するあこがれは、大きなものであったが、本日思いがけず店の前を11時半の開店時間に通りかかったのも何かの運命であろうか?思わず玄関を開けて入ってしまった。

(2011/9/9、重陽の節句)



2011年9月8日木曜日

九月の銀座四丁目(2)

サッポロビルから中央通り新橋方面を望む。
和光と三愛の写真は省略して、左の方を見る。ユニクロの大看板は抜群のプロポーションですらりと足の長い黒木メイサ。その向こうはニューメルサのビルだ。

さて、英語学校のクラスは長らくグループレッスンを一人で受講し、プライベートレッスン状態だったが、最近は同級生が出来た。

この日のテーマは、Gone are the Days of the traditional family.
かつては、The make up of Families (家族構成)といえば、a Bread winner Father, a Home maker Mother (stay at home), and two or more children + grand parents and pets.という、Traditional Multi-generational Family(複数世代のいる家族)でした。

やがて、married couple with children という、Nuclear Family(核家族)が主流になった。我が家は、かつてこうだったね。

これが、Simple parent Family, Working mothers, とか、Cohabitating couples, and Blended Families
が増えてくる傾向にある。萬田久子さんは、Cohabitating couplesだったね。
なかには、Stay at home fathers and working mothers family(北欧に多い)とか、Gay marriage なんてのもあり、遂には、Dysfunctional Familyに至る。

この日は、特にAdopted(養子関係) と Foster parent(里親)の違いについて議論した。




九月の銀座四丁目(1)

サッポロビルから三越銀座店を眺める。

東北大震災から半年の、9月11日(日)は、2001年のNY・WTCビル崩壊から10年目の記念すべき日でもある。奇しくも、三越は対テロ戦争の始まりとなるこの記念すべき日に増床オープンしたんだ。

というわけで、写真の三越の垂れ幕は、「増床一周年記念セール」の文字があるのだが、この携帯写真では見えないですね。

英語クラスの帰りに、ちょっと店内を見学してきた。新館のテラスでは、居眠りしてるサラリーマンがいたけど、圧倒的な客層は中高年のミセスだ。





2011年9月6日火曜日

夏休みのまとめ(2)

はじめに(いよいよ新学期!)
さあ、九月になり、新学期。スポーツの秋、芸術の秋、食欲の秋を堪能しようと思っていたら、ノロノロ台風12号が、紀伊半島に居座って記録的大雨となり大災害をもたらした(注-1)。昨日の朝刊によれば、奈良県の山間部では、3日間で1300~1600mmの雨がふったというからびっくり。

さて、気を取り直して、夏休みを振り返ってみます。そういえば、仕事をしてた頃は、3月と9月が半期の区切りで、人事評価のために目標達成度合いの自己評価を作成したものだ。(注-2)今回は、6~8月の時期に区切って総括してみたい。

1.前進したこと。よかったこと。良い記憶など。(6~8月)
(1)仙台に帰り、知り合いにお見舞いに行けた。名取市の被災地、ゆりあげ日和山にお参り。
(2)盛岡にも訪問。雨の北上川散策。東や本店で、わんこそば60杯食べた。(証明書貰う)
(3)初めて長野善光寺にお参り。信州そば食べた。
(4)かねて懸案の南千住、「尾花」にてうな重を食べ感激した。
(5)大阪より大学の同窓生K君上京。銀座「白いバラ」にて、ラテン諸国の情報交換する。
(6)高校の友人、A君の新居、豪邸訪問。我が家と比較して格差社会を実感。
(7)新宿「マキャベリ」他にて東中野老人会例会をいつになく頻繁(2回)に行う。
(8)池上本門寺に2回参拝。有名人のお墓に少しくわしくなった。

2.文化活動、趣味など。
(1)展覧会関係は、①報道写真展、②パウル・クレー展、③グスタボ・イソエ展、その他画廊めぐり。
(2)音楽会、コンサートは皆無。K君のキューバ土産のアフロキューバン音楽に感銘を受ける。その一方で、ユーチューブの、中森明菜ケイウンスクに何故か、はまった。
(3)演劇は、新橋演舞場1回のみ。(花魁草、櫓のお七)。寄席、落語はなし。
(4)映画は、①ブラック・スワン、②アジャストメント、③スーパーエイト、④ハリーポッター、⑤ハングオーバーⅡ、⑥モールス、この中では、ハングオーバーⅡが一番気に入った。
(5)読書、①渡辺淳一のエッセイ、②浅田次郎の短編集「夕映え天使」、③高野和明「ジェノサイド」など。①は駄文、②は軽いけど、いい味わい。③はすごい力作です。

3.新しく訪問したところ。(上記の東北小旅行、池上本門寺、長野善光寺以外)
(1)洗足池名馬池月の像に会う。日蓮上人が足を洗ったらしい。
(2)南千住商店街、三ノ輪界隈。尾花のうなぎ以外にも発見あり。
(3)日本橋、うなぎの「いずも屋」本店。しょうゆですっきりしたタレは、好みが分かれるでしょう。
(4)赤坂見附、話題のフーターズカフェ。海兵隊のウィリアムと待ち合わせた。(注-3)
(5)銀座、ポーラ美術館。かねてK君に奨められていた。この日は香水瓶のコレクション。

4.問題点、克服すべき困難など。
(1)円高。現金不足のため、やむを得ず、ドルとユーロを最悪のタイミングで円に交換。損失大。
(2)各種税金、健康保険組合、管理費などの支払いに苦労する。9/26の地震保険支払いが心配。
(3)夜更かし朝寝の悪習。昼夜逆転の時差ぼけに悩む。
(4)それと関連して、チェス、上海ゲームにはまる。特にチェスは、レベルを落としていつも勝てるので気分いいんだ。冷静に考えると時間の無駄。
(5)仙台の妻子としばらく音信不通。忘れられてるみたいだけど・・・。

とにかく、この夏は異常に高温で、それでなくてもやる気がない小生の「やる気」が更に失せた
そのわりには、やや宗教的なにおいがするが、あちこちに出かけたのが特徴だね。

5.第3四半期の方針
(1)まず、この9月の我が家の金融危機をのりきること。なんとかなるとは思うのだが。
(2)そのために節約すること。外出を控えるのが有効な対策だ。東北、北海道旅行は断念。
(3)一方で、生活のリズムを改めるために、日中の散歩を奨励。早起きにシフト。
(4)ストレッチ体操でメタボ解消したい。
(5)メールや手紙の返事とか、お見舞いの手紙が遅れてる。タイミングを逸した。
(6)英語の勉強をまじめにしようかな?
(2011/9/6)


(注-1)山津波によって多くの家屋が一瞬にして流出。学生時代にお参りに行った和歌山県勝浦の世界遺産、熊野那智大社の本殿も被害を受けた。

(注-2)今ふりかえれば、小生は3つの組織を渡り歩いたが、いずれの組織においても。経営に貢献することはほとんどなく、お金を使ってばかりだったと反省している。

(注-3)有楽町でアドバイスを求められた怪しい黒人ウイル(自称海兵隊)とは、赤坂見附で会うことになり、チアリーダーをコンセプトにした話題のHOOTERSで待つことにした。ここのバーガー大きすぎて体に悪い。

2011年9月2日金曜日

ABU SALIM PRISON in TORIPOLI

The ABUSARIM PRISON in TORIPOLI is a HELL
1日のNHKワールドニュースのBBC放送で、リビアの首都トリポリのアブサリム刑務所の内部映像が紹介された。1995年の反政府デモでここに拘束された1200人が、翌年に殺害された事件は有名。BBCテレビ取材班が見つけた受刑者名簿には、多くの若者の写真が残されていた。

この刑務所では、その後も多くの反政府活動家が収容され、拷問、虐殺が行われ、カダフィ大佐の恐怖政治の象徴となった。市民は、「アブサリム」という名前を使うことさえ恐れたという。

ABOUT 50,000 PEOPLE is MISSING, they say.
42年間のカダフィ政権下では、一説では約5万人が行方不明との報道もある。今回も、傭兵による一般市民への攻撃が問題になったが、先月末のカダフィ軍撤退時にも多くの捕虜が残酷な方法で殺害された。詳しくは記事を読んでね。怖くて書けない。

Gadhafi regime's long-held secret opening to view
改めて、CNNの記事で確認すると、「情報局の施設や刑務所からは、カダフィ政権の人権侵害の証拠となる大量の書類が発見された。一部は証拠隠滅のために切断されたり、燃やされたが、反政府派の弁護士たちは、将来の戦争犯罪裁判のために、残された資料多数を確保した」とのこと。

The Relationship between Libya and U.S.A.
さらに驚くべきは、この刑務所と米国の関係である。BBCニュースでは、米国は、2001年9.11以降の対テロ戦争の容疑者をこの刑務所に移送していた(!?)とのことで、レポーターは、今後、この責任が問われるであろうと解説していた。

Their Interests is not Human rights but Oil.
確かに、今世紀に入ってから、カダフィ大佐は、アルカイーダとの対決姿勢を強め、英米との関係を改善していたね。米英仏にとっては、石油の利権が守られればそれでいいんだ。もし、アルジェリアでジャスミン革命が起こらなければ、それが拡大しなければ、カダフィはもっと君臨していたはず。

"GENOCIDE" the JAPANESE MISTERY NOVEL, by TKANO KAZUAKI
そういえば、先日読んだ、直木賞候補作にして、「本の雑誌」2011年上半期ベスト1位の、「ジェノサイド」(高野和明著、角川書店)にも、米国が捕虜を海外の秘密収容所に送り込む話が出てきたっけ。ただし、そこの記述は、リビアではなく、シリアだったが。

CINEMA, "GHOST WRITER" by Roman Polanski
そして今日、有楽町イトシアで見た映画、「ゴーストライター」も英国首相の犯罪(テロ容疑者の第三国移送)をテーマにしている。同じようなお話を続けて3つ聞いたので、MEMOしておきます。小生の興味は、アメリカは何人の容疑者をリビアに送りこみ、その人達の運命はどうなったかである。
(2011/9/2)

<追記>今朝の報道によれば、リビアの新政府軍の司令官は、アルカイーダの容疑者としてアメリカに7年間拘束されCIAの拷問を受けたらしい。彼は、アメリカに対して裁判を起こすと言っている。いろんなことが明らかになりそうですね。

2011年9月1日木曜日

銀座トリコロール

東通りのトリコロール本店でエクレアを頂く。
TRICOLORE CAFE is a charming coffee shop in Ginza

昨日は朝寝坊して、何も食べないで銀座の英語学校(注-1)に行く。授業の後、いつものように松坂屋地下の「お肉のスギモト」にて遅いランチ(注-2)を摂る。

そして、食後のデザート(注-3)をどうすべきか、いつも悩む。残り少ない人生。週に1回の銀座でのデザートは大切にしたいというわけで、今日は久しぶりに、近場の東通り、トリコロール本店(注-4)にしました。

水曜日の3時、店内は8割方の込み具合。ここの2階は年配の女性客が多いのだが、この日は男性客もいて安心。暖炉の上の絵は、「野田画伯の無花果の作品」というのだが、もしや野田弘志?

静かな店内で、携帯カメラのシャッター音は似合わないので、エクレアの写真は撮れませんでしたが、小さいのが二個ついて、ブレンド珈琲とセットで1200円くらい。
貧しい年金生活者にしては優雅なアフタヌーンをすごしたのでした。(2011/9/1、防災の日)

(注-1)イーオン銀座校での勉強も1年がすぎたが、学習成果はいまいち。それは、週1回しか勉強しないからだ。水泳やランニングでも、週2回で記録維持がやっと。1回では低下するのと同じだ。この日はテープの聞き取りができなかった。英語圏で暮らせば1カ月くらいで話せるようになるはずだが。

(注-2)先週は、無理して、松阪牛すき鍋1500円だったが、今日は黒毛和牛すき重525円。小生には、やっぱりこちらの方がおいしい。500円というのが心理的な安心感をもたらすんだね。また、食事の前にしばらく「椅子に座って待つ」というのも「茶席待合」の風情でよろしい。

(注-3)食後のデザートの候補は、①若松の餡みつ、②和光ティーサロンのメロンパフェ、③松崎煎餅の氷あずき、④4丁目ル・ブランの焼きリンゴ、⑤千疋屋のマンゴーパフェ等々が走馬灯のように思い浮かぶが、気分と予算を考慮した。

(注-4)「トリコロール本店は1936年、キーコーヒーの前身、木村コーヒーの店主、柴田文治が開店。当時はコーヒー15銭、エクレアも名物でした。」(同店ガイドから。一部省略)戦争で焼けた店は、戦後バラックで開業。再建されたが、1982年、写真の現在の店に改築。すごく昔から建ってるような風情だが、まだ30年くらいなんだね。