2011年10月25日火曜日

喫茶ロンにて若葉の鯛焼を食す

四谷の喫茶店ロンと鯛焼きわかば
パソコンがなかなか直らないので携帯から転送します。

ゼーフェルト夫妻とのクイックトリップは、南青山、銀座、秋葉原、上野アメ横を回った。サンフランシスコから無事帰国したとのメールあり。

本日は新宿四丁目から四ツ谷まで歩く。学生時代と劇団の思い出が一杯の街だ。わかばで鯛焼き140円買って、ロンで食べた。この二つの場所は、40年前と全く変わらない。

2011年10月13日木曜日

ブログお休みのお知らせ

パソコン壊れたのでしばらくお休みします。
DEAR FRIENDS.

BECAUSE MY PC IS BROKEN IT IS DIFFICULT TO WRITE THE BLOG、I WILL HAVE A HALLOWEEN HOLIDAY.

SEE YOU NEXT MONTH!

This is the photo of my ENGLISH TEACHER and his PUMPKIN.
(13th October 2011)

2011年10月12日水曜日

聖橋とJR御茶ノ水駅ホーム

聖橋のアーチは実に美しい。
お茶の水駅ホームは電気が灯り、黄色く見える。これで、万世橋昌平橋、総武線の架橋、聖橋という神田川の名橋を連続して鑑賞できた。
しかし、空が曇ってるのが実に惜しい。晴れた日に、再度撮影することをひそかに決意した。

実は、この写真右手のトンネルから丸の内線の電車が出てきたところも一応押さえたのだが、満足のいくものではなかった。

また、この時、神田川には船が運航していた。船+地下鉄+中央線+総武線、できれば空に飛行機が飛んでると素晴らしいのだが。
(撮影:2011/10/11)

聖橋から昌平橋を見る

The View of Marunouchi subway line and train crossing the Kanda river from the slope to the Hijiri basi bridge.
遂に撮影に成功。

湯島聖堂横の坂道、聖橋の手前のこのポイントから、丸の内線を狙って、撮影を繰り返すこと数回。やっと、いいのが撮れた時には、夕闇も迫っていた。

淡路町から御茶ノ水駅に向かう丸の内線の先頭車両をとらえた。
その奥には、昌平橋と万世橋が見えるはずなんだけど、やや不鮮明。まあ、ケータイ写真だからね。

しかし、写真の構図としては問題ない傑作だ。惜しむらくは、曇りの日なので、全体のトーンが低調である。(撮影は、10/11)

昌平橋から聖橋を望む。

昌平橋から総武線陸橋を見る。

昌平橋の上から、総武線の高架線、鉄橋を鑑賞。
美しい緑のアーチが印象的です。
橋の向こうに見える人だかりは、「ちい散歩」の撮影クルーとやじうま。
調度、昌平橋の撮影が終わって、秋葉方面に向かうらしい。

昌平橋から万世橋を見る

The View of Mansei-basi bridge from Syouhei-basi bridge.
今度は、昌平橋に来て、万世橋を眺める。
いろんな角度から二つの橋を撮影してると全然飽きないねえ。
すごく楽しいけど、ちよっと空しい。

昌平橋は、湯島聖堂の隣にあった徳川幕府の学校、昌平校にちなんで名付けられた。この辺りの道路は、江戸時代から全く変わっていないんだ。



万世橋から昌平橋を見る

The View from Mansei-bashi bridge.
The Canal like view is actually the Kanda river and the brick wall was once the old Mansei Basi station.
Now they are planning to build a tall building around here.

万世橋から昌平橋方面を眺める。
ちょっと、運河沿いの倉庫といった趣きであるが、ここは神田川だし、煉瓦の建物は、かつて万世橋駅のあった場所である。

交通博物館が移転したこの跡地は、高層ビルの建築が予定されている。須田町の景観は一変してしまうと懸念される。
(撮影は、10/11の夕方)

2011年10月11日火曜日

秋葉原方面。AKIBA from the Mansei-Basi Bridge

The View of AKIBA Electric City or OTAKU Town from Mansei-basi bridge.
I am now considering about the Tour course for Dr. Sehfeldt who will arrive at Tokyo next Tuesday. He is one of my best customer of Quick Trip Tokyo.

He has visited at Japan for these ten years so that he has already watched most of Tokyo.
But I wonder if he had finished this Akiba area or not yet.
If he would like to visit this area, my plan will be like these.
(1)He will start from AKASAKA
(2)Go to Akasaka station and take MARUNOUCHI Line to Ochyano-mizu.
(3)Visit at YUSIMA-SEIDO and Kanda Myojin shrine.
(4)Down to Suehiro chyo and have lunch at the famous Eel restaurant KUBOTA.
(5)Go to Akihabara area.
(6)Afternoon tea at a Maid Cafe.
(7)UDX Animation center etc.
I prepare both traditional and contemporary culture.


万世橋(3)

万世橋のアーチを観察する。
東日本大震災から7カ月、日本では、「復興増税論議」がなされ、「年金支給の先送り」が問題になっている。

世界的には、「欧州の経済危機」は、ベルギーの大手金融機関デクシアが経営破たんしたことで、いよいよ深刻になっている。

顧みて、小生は、万世橋の周辺をうろうろとしながら、色んなアングルから橋を撮影している。・・・我ながら暇人であると思う。

それにしても、納得のいく写真が撮れないのは悔しい。
すなわち・・・、
(1)アングルは、もう少し高めから、
(2)出来れば、手前の橋柱も入れて、
(3)もっと右手から、アーチをはっきりと撮影したい。脚立が必要だ。
(4)背景の駐車場のマークがうるさい。


万世橋(2)

橋の写真ってむつかしい。
橋は、川を渡るものだから横長になる。また、見どころは、(1)橋脚(アーチ)、(2)欄干、(3)たもとの飾り、の三つのポイントである。和橋の場合は、(3)は、「ぎぼし」です。また、周囲の街並みとの調和も大切な見どころだ。

たとえば、日本橋の場合、橋のアーチ、石作りの橋脚、欄干と見事な飾りなど申し分ないのだが、高速道路に覆われているため台無しになっている。

万世橋はそれ程ひどくはないが、周辺の電気街の喧騒と、どぎつい看板のために、本来の趣きが引き立たない恨みが残る。

万世橋(1)

万世橋南のたもと、元の交通博物館の壁とともに。
MANSEI-BASHI Bridge is very near from AKIBA
神田川に架かる名橋といえば、お茶の水の(1)聖橋、下流に下って、(2)昌平橋、そしてこの(3)万世橋である。

万世橋は、大震災後の帝都復興事業として、昭和5年(1930)に現在の形に架け替えられたというからもう80歳である。小学生の頃、よく、都電でこの辺りに来て、橋の上から神田川を眺めたものだ。

1960年当時の神田川は、ほぼ下水道のようなもので、黄色く濁り、強烈な臭気を放っていた。子供心に、何か、都会の悪意の様なものを感じた記憶があるが、橋自体は立派で、お気に入りであった。

また、左の煉瓦は元の万世橋駅舎で、当時は、交通博物館がここにあった。(撮影:2011/10/11)

2011年10月10日月曜日

四ツ谷見附橋の謎


四谷見附橋が八王子にあるのは何故か?
東京都内の名橋のひとつ、四谷見附橋が、道路拡張のために建て替えられたことは知っていた。当然、真ん中を広げて、両側の橋の欄干はオリジナルを活かしたものと思っていた。

ところが、八王子の弟の家の周辺を散策してたら、なんと、「せせらぎ緑道」のはずれ、長池公園にかかる、「長池見附橋」が、じつは「四谷見附橋」を保存、移築したものだという。

1987年から四谷では架け替えが始まり、デザインは昔の通りにしたのだ。そして、1993年、もとの四谷見附橋が、ここ、長池公園に復元されたのだ。

思わず、小林旭の名曲「昔の名前で出ています」が脳裏をよぎる。「京都に居た時は、忍(しのぶ)と呼ばれたの。神戸じゃ渚(なぎさ)と名乗ったの」

そして、横浜に帰ったら、昔の名前に戻ったのは、あなたに探してもらうからというのだが・・・。

5年間通った四谷の橋は、学生時代の思い出で一杯だ。(訪問は2011/10/9)



2011年10月9日日曜日

ネンドロイドが勢揃い

弟の書斎で秋葉系の美少女ネンドロイドを多数発見!
My brother's fantastic OTAKU Collection of Nendo roido Girls.

優秀なSEの弟は、コンピューター技術者によく見られる典型的オタクで、バーチャルリアリティの世界に住んでいるのだ。
パソコンの前にならべられた美少女は、当然だが、奥さんにすごーく嫌がられてる。

緑に囲まれたマンションは、駅からも、職場にも近く便利だが、高低差があり階段の上り下りがきつい。車は必需品だ。



うお座の茶碗 Sky Blue Tea Cup Pisces 

多摩中央公園のくらふとフェアで茶碗を見つけた。
大磯工房の「そらのうつわ」、うお座の茶碗です。
SORANO UTSUWA, The Sky Blue Tea Cup of Pisces.
10/8(土)は、池袋で「ふくろ祭り」を見学。東京よさこいのパレードを一杯見た。しかし、群舞の写真はとてもむつかしい。ケータイ撮影では無理だ。

10/9(日)は、引き続き、「ふくろ祭り」の撮影に挑戦する選択肢もあったのだが、突然の思いつきで、八王子市に住む弟の家に行くことになった。

そして、(1)秋葉台公園の展望台と、(2)せせらぎ緑道終点の長池見附橋と、(3)多摩中央公園、(4)パルテノン多摩に初めていった。

写真の茶碗は、多摩中央公園のクラフトフェアで見つけた、大磯工房の「空の器」(sorano-utsuwa)。見た瞬間、抹茶を点ててみたくなり、衝動買いした。(3000円)

正面の模様は、小生の星座、うお座である。
(2011/10/9)




2011年10月8日土曜日

秋の気配(5)秋の桜

平和公園の桜
これは、近所の公園の夕方の写真だ。春には美しい花を咲かせる桜も、そろそろ冬仕度。葉が少し黄色くなり始めた。間もなく紅葉の季節。

さて、金子由香利の再会から、色々の歌手のシャンソンを聴いているうちに、知り合いが歌っている映像を発見。若かりし頃の演劇仲間であったが、すっかり円熟した美しい舞台に魅せられた。

秋の気配(4)秋の草

西前野公園で雑草を観察する。
An Observation for the Autumn Grass at a small park.
緑色の草なんだけど、夏の勢いはない。なんとなく、くたっとしたとこが、人生の秋を迎えた身には共感を覚える。

夏の間、きちんと手入れした庭には、実のなる木が収穫をもたらすが、放置した庭は荒れ果てるだけ。

でも、それもまた、風情があっていいんじゃない?

Autumn grass, not so vivid as Summer Grass.
Though they are still green.

It seems a little bit tired which I like.
Because I am also a tired retired man.

After Summer we shall accept Autumn and Winter.
We expect Sweet Fruits and Rich Harvest at the end of Life.

秋の気配(3)金木犀(きんもくせい)

東上線みずほ台駅の、金木犀の植え込み

我が家の周囲にも金木犀は多いのだが、この駅には沢山植わっていて驚いた。ホームで電車を待っていると、非常にかすかに、爽やかな良い香りが漂ってくる。

金木犀は、モクセイ科モクセイ属の常緑樹で秋に金色の花を無数に咲かせ、芳香を放つ。

同じモクセイ科の落葉樹、ライラックは、春に紫の花を咲かせる。これもいいにおいがする。

私が高校の時にドイツ語を習っていたK先生は、ロシア貴族の血を引くドイツ人で、日本の花は香りがしないと嘆いていたが、自宅には、ライラックの花を植えていた。数少ない、香りのある花だから。

先生の庭に、金木犀があったかどうかは分からない。

秋の気配(2)お隣のざくろ

柘榴(ざくろ)の実が朱い
我が家の近所にはザクロの木が2本ある。1軒の家のザクロは木が高くて日当たりがよいので、もう赤くなってるのだが、お隣の木は、やや低くて、やっと色づいてきたところだ。そういえば、先日、練馬美術館で鑑賞したグスタボ・イソエの静物画の題材によくザクロを描いていたね。

さて、金子由香利のシャンソン、「再会」の元歌はよく分からないのだが、昔の恋人に偶然?会った女性が、彼に話しかけるという、「一人芝居」のような素敵な歌です。

「あら、ボンジュール、久しぶりね。その後、お変わりなくて?あれから どれくらいかしら。あなたは 元気そうね。

私は変ったでしょう。 あれから旅をしたわ。 
いろんな国を見てきたの。 少しは大人になったわ。

私っておしゃべりね。引き止めてごめんなさい。
あんまり懐かしくて、声をかけたのよ。

あの方、奥さんでしょ。 とても素敵な人ね。
私に少し似ているわ。 私をどう思うかしら。

今の私たちは 他人同士なのね。
あなたの目には、もう何も、何も 残ってないわ。

私っておしゃべりね。引き止めてごめんなさい。
あんまり懐かしくて、お話したかったの」

そして最後に、一言、困惑するような台詞が入るのだが・・・。(2011/10/8)

秋の気配(1)再会

西前野公園の花壇に秋の気配を感じる。
花の名前が分からないんですけど、黄色いのは菊の仲間だ。蜂が二匹飛んでる。

さて、この写真と全く関係ないけど、You Tube で、昭和枯れすすき→ちあきなおみの「昭和枯れすすき」→フランク永井と松尾和子の「昭和枯れすすき」→松尾和子の「再会」、という具合に連想が進み、思いがけず、金子由香利の「再会」に行きついた。

いやー実に懐かしい。金子由香利さんのLPレコードは持ってるけど、かなり昔にプレーヤーが壊れ、ずーっと聞いたことがなかった。

20代の後半に、シャンソンに凝った時期があって、コラ・ボケール、ジュリエット・グレコ、越路吹雪、エディット・ピアフなどのレコードを集めたものだ。(そういえば、コラ・ボケールの訃報を先月聞いた)

とりわけ、まだ存命中だった越路吹雪は気に行って、日生劇場のラストコンサートにも行ったし、LPの越路吹雪全集も揃えた。

ところが、認識不足で、銀巴里で歌っていた金子由香利のコンサートにはついに行かなかった。やがて銀巴里は閉鎖してしまうので、実に残念であった。

今、何十年振りかに由香利さんの歌を聴くと、胸がしめつけられるようだ。まことに、秋にふさわしい一曲である。(2011/10/8)






2011年10月7日金曜日

Think of APPLE and Mr.Steve Jobs

アップル社の前CEO,現代で最も成功したといわれるカリスマ経営者のスティーブ・ジョブス氏(Steve Jobs,1955-2011)の突然の死去のニュースが世界を駆け巡った10/7の午前11時、情報難民の小生は、埼玉県みずほ台の、(株)ギャランティの事務所に居た。(注-1)

偉大な先駆者の冥福を祈るとともに、自身の経験から、この35年のコンピューターの発展を振り返ってみました。

1976年にアップルコンピューターが創設され、それまで企業の大型機械だったコンピューターが、個人のコンピューター(パーソナル・コンピューター)になる道を開いた。
(1975年には、ビル・ゲイツとポール・アレンのマイクロソフト社もスタート)

私が、1974年に就職した時、(1)ダイヤル式の黒電話は交換手を通していたし、(2)計算は算盤(そろばん)だったし、(3)電子計算機(コンピューター)作業は、キーパンチャーが行っていた。(4)コピーは、青焼きで、設計図みたいだったし、(5)文書作成は、ガリ版だった。(6)会議資料や研修会の案内は、原稿を書いて、印刷屋さんに依頼したものだ。(注-2)

(7)英語の手紙を書くときは、タイプライターだったし、(8)海外との連絡は、国際電話かテレックスだった。(9)小売業のお店では、レジスターで金銭登録され、(10)夏休みの切符、指定券を取るために、新宿駅に並んだものだった。(注-3)

この36年の間に、事態は劇的に変化した。(1974年と2010年の比較)
(1)電話は、一人ひとりが薄い携帯電話を持つようになり、公衆電話がめっきり減った。
(2)小型計算機はどんどん薄型になり、カード電卓となり、さらに携帯電話の一つの機能となった。
(3)コンピューターのサーバーは各企業のサーバーからクラウド化し、
(4)コピー機の機能は飛躍的に進化して、自動的に大量の資料を作成できる。
(5)文書作成は、80年代のワープロの時代を経て、ワードやエクセルの時代になり、
(6)会議案内は、HP上でお知らせ、資料は、パワーポイントで説明するようになった。
(7)英語の手紙も、ワードで、文字の校正も自動的にしてくれる。
(8)海外とのやりとりは、メールとスカイプで一瞬に出来るようになった。
(9)スーパーやコンビニの店舗では、バーコードで自動読み取りし、データ分析までする。
(10)切符の手配も、パソコンで出来るようになった。

特に、1990年代には、マイクロソフトのウィンドウズ・ソフトとともに、アップルのマッキントッシュで仕事の仕方は劇的に変化した。(私自身は、マックは使えなくてウィンドウズだけど、出版関係の編集者やデザイナーはもっぱらマックだ)

さらに、1995年ころから、日本でも携帯電話急速に普及し始め、電話機能にメール機能が加わったことで、通信手段としては充分な機能を持つ。さらに、カメラやビデオ、計算機、テレビ、お財布機能まで持つようになる)

そして、21世紀に入ってからは、(1)機能の一体化、(2)軽量化、(3)パーソナル化がさらに劇的に進行した。

2007年のiPhoneの発売によって、従来の携帯電話の概念は打ち破られ、パソコン端末の機能を持ち、様々なアプリケーションの利用が可能となった。(この辺から、小生、ついていけなくなってます)

そして、昨年のiPad発売で、パソコンを持ち歩く時代になった。インド政府は、3000円(!)程度の格安iPadを国民に普及しようとしている。大学生には、半額負担で提供するらしい。

この情報革命は、遂に実際の革命を生みだした。北アフリカと中東で現在進行しているジャスミン革命がまさにそれで、エジプトなどは、わずか1カ月でムバラク独裁長期政権が倒れてしまった。その変革には、ソーシャルネットワークの力が大きい。(これ、小生ついていけません)

そして、この革命を仕切ってきた一人が、偉大なスティ-ブ・ジョブス氏なのだ。

小生が東京の片隅から、サンフランシスコのギュンターにインターンシップの資料を送るのも、地震を心配して、テキサスやハンブルグやベニスからお見舞いメールが届くのも、パオラが谷中の手ぬぐい屋さんに、注文した手ぬぐいのデザインを送れるのも、みんな、みんなPCのおかげです。そして、35年前には考えられなかったことばかり。

・・・というわけで、多くの日本人が、銀座4丁目のアップルストアに哀悼の意を示すために献花に訪れるのもむべなるかな。(合掌)

では、何故、アップルなのか?それは、サタンが蛇に姿を変えて、イブをそそのかし、アダムに、りんごを食べさせた故事に由来すると、私は考える。(注-4)
そして禁断の木の実(アップル)を食べてしまったアダムとイブは、楽園を永遠に追放されるのだ。
(2011/10/7)


(注-1)知り合いのブログにコメントが書き込めないので、調べたら、URLとメールアドレスの違いを認識してなかった。また、アカウントがグループと個人と二つで来てしまったのだが、解決できなかった。そもそもアカウントとは何かもよくわからない。あまりのレベルの低さにM氏も唖然。

(注-2)我が家では、黒電話まだ使ってます。子機は流石にプッシュホンだけど。また、ガリ版とか、リール式のテープレコーダー、LPレコードのプレーヤーなどもあります。ただ置いてるだけで邪魔なんだけどね。算盤も、タイプライターもあります。博物館か?

(注-3)海外との連絡は本当に安く、早く、楽になったね。FAXを送る時は、国番号とか、0をとるとか結構むつかしかったよね。特に、スカイプはすごい!ただし、あらかじめ連絡する時刻をメールで確認しておくのがいいです。

(注-4)りんごを巡る三題話とは、①このアダムとイブの話の他に、②ウイリアムテルが息子の頭に置いたりんごを見事射止めた話、③アイザック・ニュートンがリンゴの実の落ちるのを観察して、万有引力の法則を発見した話の3つです。

昭和枯れすすき(2)

The Report about the Japanese hit song Syowa Kare-Susuki, which was sold more than 1.5million in 1974.

YOU TUBE で、昭和枯れすすきをチェックしたところ、いくつかの発見があったので報告します。
つまり、この作品は、歌い手、歌い方によって、非常に大きな印象の違いがあるということです。

もちろん、どんな作品でも、歌謡曲に限らず、クラシックにしてもポップスにしても、歌い手(または演奏家)によって大きく変わるのですが。

でも、率直にいって、それほど素晴らしい詞(山田孝雄さん)とは思えないのに、さくらと一郎のレコードは、なんだか凄い迫力で、ヒット曲になった理由がわかるような気がする。はまるねえー。

これは、さくらの声の質も大きい。かん高いさくらの声が、切々とした情緒を出しているのだ。本当に世間に負けたーという気分になってしまう。

ところが、不思議なことに、49年レコード大賞受賞の舞台の二人はいまいちだった。うーん、レコード大賞をとった喜びが出てしまったのかなあ。哀切感が全くないんだ。

また、ちあきなおみのカバー曲を聴いたが、これがまことに素晴らしい。完全に、さくらと一郎とは別の世界を構築しているんだ。声も素晴らしい。ぜひ皆に聞いてほしい。

一方、フランク永井と松尾和子のデュエットは、ちょっと違うと感じた。ぜんぜんお金に困ってる感じがないんだ。このリッチな二人には、無理な歌なのだ。

そして、2005年にさくらと一郎がこの歌を歌ってる映像もチェックしたのだが、うーん、ナツメロと言っても、ひとつのヒット曲で30年とは凄いよねえ。結局、さくらと一郎は勝ったのか?負けたのか?

さらに、映画、「昭和枯れすすき」(松竹)の予告編まで見れるんだから、You Tubeってすごいですね!ちなみに出演は、高橋英樹と秋吉久美子(21才)、二人とも若い!
(2011/10/6)

2011年10月6日木曜日

昭和枯れすすき

我が家の裏庭のすすき
Japanese Pampas Grass is quite suitable to the Autumn Full Moon.
昨日とうってかわった秋晴れとなった我が家の庭に、すすきがそよいでいる。夏草も枯れて、秋草が茂った庭は、単なる荒れ果てた庭であり、すさんだ私の心のようだ。

そして、ふと思い出したのが、1974年、150万枚のヒット曲、さくらと一郎が歌う「昭和枯れすすき」。
早速、ウィキペディアと「うたまっぷ」で歌詞を調べてみました。

(一郎)貧しさに負けた。(さくら)いいえ、世間に負けた。
(二人で)この街も追われた。
いっそきれいに死のうか。
力の限り生きたから 未連などないわ。
花さえも咲かぬ 二人は枯れすすき。

(一郎)踏まれても耐えた。(さくら)そう傷つきながら。
(二人で)淋しさをかみしめ、
夢を持とうと話した。
幸せなんて望まぬが 人並みでいたい。
流れ星見つめ 二人は枯れすすき。
(三番は略)

1974年といえば、小生が就職した年で、オイルショック、ドルの変動相場への移行という世界経済の変動の時期であった。ベトナム戦争も最終局面に入り、翌年、米軍はサイゴンから撤退する。

日本では、当時は、60年代半ばからはじまった高度経済成長の時期であり、インフレが凄まじく、とくに74年は分かれ目の年だった。初任給は、一年間で数倍になったし、定期預金の金利は5%くらいあったかもしれない?(記憶あいまい)

学生時代は、苦学生もいて、彼らの下宿に行くと、4.5畳に半畳の台所のみなんて所に住んでいた。例の、「神田川」(同棲している二人が、下宿に風呂がないので銭湯に行き、男が長髪だったため、洗うのに時間がかかって、女を外で待たせて、風邪ひいたというフォークソング)がヒットした。

調度、現在の中国のようなかんじだ。余談だが、不動産投資は、このようなインフレ初期にふさわしい投資である。そして、東京の町からは、都電と銭湯が消えて、高層ビルとマクドナルドやコンビニエンスが増殖して行くのである。

それにしても、このヒット曲(枯れすすき)、めちゃくちゃに暗くて、後ろ向きである。どう考えても、当時の経済成長の時代にそぐわない。むしろ、バブル崩壊後の、90年代半ばからの失われた時代にこそふさわしい。すなわち、「平成枯れすすき」である。

そして、ここに、「資本主義の末期的症状を迎えた世界中で、格差と貧困に対する怒りのデモと暴動が発生しているのに、何故、日本では、暴動が起きないのか?」という、世界のみんなからの疑問に対する答えが隠されている。

すなわち、国家権力ではなく「世間に負けた」という現状認識。(責任の所在があいまい)
「幸せなんて望まぬが、人並でいたい」という、横並びの発想。(人並みでないと不幸に感じる)
「いっそ綺麗に死のうか」という美学と、「二人は枯れすすき」という社会性のなさ。

このメンタリティが、平成10年以降、年間3万人の自殺者数を維持している秘密である。年に3万人ということは、10年で30万人。各国との比較をきちんとしないと分からないが、これは、ちょっとした戦争だね。(2011/10/6)

中央通のピンクバス

The Central Street of GINZA is the most famous shopping street in TOKYO.
You can see both traditional Japanes Department stores , Long established stores and World Famous Brand Shops like Gucci, Hermes, CHANEL, Louis Vuitton etc.

Between Kyoubasi and Sinbasi, this street is separated in 8 blocks, from 1chyo-me to 8chyo-me. The most basic lands marks are Japanese Departments stores, like Melsa, Matsuya, Mitsukosi, Wako, Ginza Core, Matsuzakaya New Melsa etc.

These days APPLE store is very famous where they sell smart phones not apple pie.

These days not only the expensive stores but also reasonable stores have opened in this area like UNIQLO  whichi you can see on this photo, a big poster of MEISA KUROKI, one of the most famous Japanese actress.

H&V or Forever 21 are not so far from the UNIQLO.



雨の尾張町交差点

COLORFUL UMBRELLAS on the CROSSING

雨の水曜日。窓から四丁目交差点を眺めていたら、横断歩道を渡る雨傘があんまり綺麗なので、ケータイ撮影してみた。

信号が青になると、晴海通りの両側から、カラフルな雨傘が近づき、真ん中ですれ違うと、再び両側に分かれて行く。すれ違いの人生。

Colorful umbrellas are moving from both sides of HARUMI street and passing each other on the crossing to the opposite side.



2011年10月5日水曜日

赤羽駅,AKABANE STATION

AKABANE is the north terminal station in TOKYO.
久しぶりに赤羽駅に来たら、新しい飲食店街(エキュート)が出来て、東京駅地下みたいなので驚いた。赤羽には、2004年から05年までほぼ1年間通ったので思い出も多い。構内の書店ではよく立ち読みした。仙台に帰る時も、赤羽から大宮に出て新幹線に乗るのだが、ここの緑の窓口で指定券を買ったものだ。
Compared with another big terminal station like TOKYO, UENO, IKEBUKURO, SINJYUKU, SIBUYA station, AKABANE is smaller and the image is rather minor.

Even though AKABANE is still very important station and has a long history. If you have a chance to visit Saitama area, you may use this station.

After long construction since 1990, AKABANE was reborn to very modern cool station. There run  KEIHIN-TOHOKU line, SAIKYOU line, TAKASAKI line, UTUNOMIYA line and SYONAN-SINJYUKU line.


豊島区公会堂

昭和の風情漂う豊島公会堂

後ろにひときわ高くそびえるのは、1978年3月オープンのサンシャイン60。その名の通り、60階建て240mで、1990年に東京都庁に抜かれるまで、東京で最高層のビルであった。

その手前、ひときわこじんまりと佇むのが、豊島公会堂で、なんと2階建て。1950年に竣工。昭和の雰囲気を色濃く漂わせる豊島公会堂は、23区の中でも多分一番古い?と思う。公会堂左にある区役所も、思いっきり古く、老朽化していると言ってもよい。

東京23区の中にも格差が存在する。小生の行動範囲の中では、文京区役所が一番りっぱだ。また、練馬区役所も立派だね。一方、渋谷公会堂はかなり古い。板橋区役所は地味だ。

仄聞では、近く豊島区役所建て替えの計画もあるやに聞くが、そうなれば、この写真は貴重なものになる。(撮影:2011/10/4)

2011年10月4日火曜日

Jasmine Revolution spread to Wall street?

はじめに。
この記事は、不安定な世界に暮らすことからくる情緒不安の解消を目的としたものです。通常のテレビ、新聞、インターネットなどの媒体から得た情報を整理したもので、自分で言うのも何ですが、オリジナリティは全くありません。また、文章を作成することによる、認知症の改善も目的としています。

1.ジャスミン革命
2010年12月に北アフリカのチュニジアで発生したジャスミン革命は、1月にはベン・アリ大統領の亡命、政権崩壊を招き、エジプトに飛び火。2011年1月の大規模デモを契機に、反ムバラクのデモはエジプト全土に広がり、2/11には、全土で100万人規模となる。そしてついに、ムバラク政権も崩壊したのである。

2.アラブの春とインターネットの果たした役割
この革命は、独裁的な長期政権が、インターネットの呼びかけで、極く短期間に崩壊するという、これまで考えられなかったもので、「アラブの春」とも呼ばれた。

3.アラブ世界が変わる
革命は、さらに、アルジェリア、リビア、シリア、イエメン、ヨルダン、サウジアラビアにも広がり、リビアでは、カダフィ大佐と反政府勢力の内戦状態となったが、8/24首都トリポリが陥落。大佐は逃亡中である。また、シリアでは、アサド大統領による弾圧が続いている。

4.耐え難い貧困と精神的抑圧
さて、これらのアラブ世界における革命は、長期にわたる独裁国家の腐敗と、貧困、格差に人々が耐えられなくなったために起きた。そして、ソーシャルネットワークの情報戦争で、人民の側が勝利したというのも特徴だ。

5.ロンドン暴動の背景
では、これは、アラブ世界だけのことだったか?8/6のロンドン暴動は、またたく間にイングランド各地に広がり、ここでもフェイスブックやツイッターの存在が大きかった。しかし、略奪や面白半分の放火など、政治的な要素は少なく、間もなく大量の逮捕者を出して収束していく。この背景には、青年層の高い失業率と、多くの移民の格差問題があったと想定される。

6.ギリシャの暴動とユーロ危機
ギリシャでは、あんまり頻繁にデモや暴動が発生するので困ってしまう。2009年にギリシャ経済が、いわば粉飾されていて、実は大量の赤字であることがわかった。

こういう場合、普通は、ギリシャの通貨が切り下げられて、国民生活の水準が下がることで、市場経済が働き、調節されるんだけど、EUに加盟してるので、ユーロを切り下げるわけにいかず、危機が、ユーロ全体に広がってしまった。

なんと、2007年に1ユーロ170円だったのが、2011年10月には、101円にまで下落。ギリシャ危機は、ユーロ全体に広がりつつある。ここでも、若者の高い失業率、格差が背景にある。

7.アメリカではウォール街が占拠された。
そして、ついにアメリカでも、若者たちがウォールストリートを占拠する事態となった。先日は、ブルックリン橋が封鎖され、300人とか700人ともいわれる参加者が一時拘束された。今日のCNNを見ると、ゾンビの格好をした若者たちが、ウオール街を行進している。


8.Occupying wall street, Demanding accountability.
Occupy Wall street is a protest movement covering a range of issues, with no clear leadership.
Many of the protesters are upset with growing wealth divide in the United States.
Nobody's being held accountable, one protester complains.

「ウオール街を占拠した人々は、責任を求めている」
これは、一連の経済的事態に関して、責任を求める運動である。
多くの人々は、米国における格差拡大にうんざりしている。
そして誰も責任をとろうとはしない。

9.この運動は、各地に広がっている。
報道によれば、シカゴ、ロサンゼルス、ボストンなどにも広がっている。(Occupy Chicago,  Occupy Los Angeles, Occupy Boston) しかし、特に政治的に組織されたものでもなく、NYの公園での様子は、バンドや子供連れも交じったのどかなものである。一方で、ブルックリン橋での拘束はかなりハードな様子。

10.結論
うーん。我々の世界が如何に不安定なものかはよくわかった。1990年にソ連型共産主義が崩壊し、1995年前後に、民族主義の名のもとで大虐殺が行われ、2001年にWTCへの航空機テロがあり、ユーロ経済圏が出来、強欲資本主義が、アフガニスタンとイラクで戦争を起こし、2008年にリーマンショックが資本主義をゆるがせ、そして、気候変動と地震や津波の自然現象による災害多発と核の汚染が広がる中で、資本主義世界がいよいよ断末魔を迎えているらしいんだけど・・・。
(2011/10/4)

2011年10月3日月曜日

練馬美術館, NERIMA MUSEUM(2)

練馬美術館の周辺をリサーチ
1.ナチュラルレストラン、ドングリの木を発見。
写真は、練馬美術館の2階(3階?)から撮ったのだが、大きなドングリの木?の陰の建物は、区の施設、サンライフ練馬である。その二階に、自然レストラン「ドングリの木」がある。(商店街に本店あり)

ここの野菜カレー(750円)がおいしかった!野菜のうまみを活かした、野菜の重ね煮(ベジミルフィユ)が特徴。次回撮影予定。

2.練馬風月堂の「栗おこわ」も発見。
駅前商店街の和菓子屋さん、練馬風月堂の店頭に栗おこわ367円の文字が。通常価格から大幅値引きの367円!思わず購入。その他にも栗関連のお菓子多数。

西武線沿線は、駅によって随分雰囲気が違う。練馬は区役所もあって道路も広くにぎやか。江古田は、学生街で、狭くてごちゃごちゃ、活気がある。中村橋は一番落ち着いた感じだ。(10/2)

練馬美術館, NERIMA MUSEUM(1)

練馬区立美術館のエントランス
The entrance of NERIMA Museum which is located only three minutes on foot from NAKAMURA-BASI station of SEIBU IKEBUKURO line.

練馬区立美術館は、中村橋駅からも近く、緑も多くてなかなかいい美術館だ。1階(地下?)が図書館で、写真の階段を上がって2階と3階が美術館スペース。写真ではよく分からないが、階段の下には近所の小学生が集まって遊んでいる。

さて、区立の美術館は、1979年オープンの板橋区立美術館が走りで、その後、1985年にこの練馬、1986年に世田谷美術館が開館。
90年代に、四大文明展のメソポタミア展が世田谷で開かれ、ハンムラビ法典の石碑が展示されたのを家族そろって観に行ったっけ。駅から遠くて少し不便であった。

東京には今では沢山の美術館があるが、小生が学生のころはまだ少なく、なんといっても上野が中心であった。国立博物館は別格で、1872年開館である。

そんな中で、1959年に松方コレクションの展示のために、国立西洋美術館がオープン。大変な話題となった。小生がこの美術館に初めて行ったのは、5年後の1964年の「ギュスターブ・モロー展」の時であった。

当時、近代美術館は京橋のフィルムセンターのビルにあって、ここで、60年代のアメリカンポップアートの洗礼を受けた。また、1967年の「ロシア革命50周年の展覧会」も今となっては懐かしい。

その後、1969年に竹橋に新しい「近代美術館」が出来た。1階から2階に続く広い踊り場の壁一面に、菅井汲のダイナミックな抽象画が飾られていたのだが・・・。2002年のリニューアルで大分雰囲気が変わってしまった。

大学では、学芸員のコースを専攻していたので、当時お堀端のパレスホテルの中にあったサントリー美術館に実習に行ったのが懐かしい。その後、サントリー美術館は、赤坂の弁慶橋たもとに移転し、更に2007年、六本木の東京ミッドタウンにオープンする。

参考資料「都内の国立・公立美術館の開館年表」
1872 国立博物館
1952 京橋国立近代美術館
1959 西洋美術館(松方コレクション)
1969 竹橋の国立近代美術館
1970 京橋フィルムセンター
1975 東京都美術館(再開館)
1977 北の丸 工芸館(旧近衛師団司令部)
1979 板橋区立美術館開館
1983 白銀の東京都庭園美術館
1985 練馬区立美術館
1986 世田谷区立美術館
1993 江戸東京博物館
1995 東京都現代美術館
1999 国立博物館、平成館、法隆寺宝物館(再開館)
2002 竹橋の近代美術館再開館(リニューアル)
2007 六本木の国立新美術館

2011年10月2日日曜日

グスタボ磯江展、再び

NUDE on NEWSPAPER painted by Gustavo Isoe(1993-94)
I saw this picture two months ago at Nerima museum. Today I have been to this museum again and found that Gustavo ISOE had reached far beyond the Realism Art.
磯江毅(いそえつよし)(1954-2007)は、大阪に生まれ、大阪市立工芸高校を卒業後間もなく単身でスペインに渡り、30年余の滞西の間に、油彩による写実絵画を探求。

やがてアントニオ・ロペス・ガルシアに代表される、マドリード・リアリズムの俊英画家、グスタボ・イソエとして認められ、国内外で高い評価を受ける。
彼のリアリズム表現は文字通り事物の細部まで深く入り込んで具象的に描き切るだけでなく、現実世界が内包する神秘的なものまで捉えようとしている様な精神の深まりを感じさせます。(中略)

2005年には広島市立大学芸術学部の教授に就任し、日本での活躍が期待されましたが、2007年、惜しくも53歳で急逝。(練馬美術館チラシより引用)
(2011/10/2同展の最終日に再訪)

NERIMA MUSEUM

練馬美術館の1階喫茶コーナーと2階渡り廊下。
The Comfortable Inside View of Nerima Museum.
いつの間にか10月になってしまった。もう一度来ようと思っていた練馬美術館のグスタボ・イソエ展は、本日が最終日。日曜日だけど、がんばって出かけてきた。

改めて彼の人物や静物を鑑賞することが出来てよかった。ヌードでは、1983年年の「シーツの上のヌード」(これは、マドリードの画壇にセンセーションを巻き起こし、彼のデビューとなる)、それから10年後の「新聞紙の上の裸婦」(1993-94)、そして独特の静謐に包まれた「深い眠り」(1994-95)を、改めて比較で来た。

また、多くの端正な静物画の魅力。とくに、ザクロがいいですね。そして、紙ひも、瓶、わら、新聞紙などの質感がたまらなく魅力だ。

また、この建物の魅力も再認識。大きな吹き抜けの空間を真ん中にして、3つの展示場をスロープと渡り廊下でつなぐ大らかでゆったりした空間だ。(2011/10/2)

The Plan and Schedule for October

Because I am a retired man I have not so hard schedule but still have something to do for my pleasure and something expected as a member of my family.

(1)One day trip for the foreign guests
Gunter and Ellen will visit at Tokyo late October so that I will guide a quick trip Tokyo. I am now considering the suitable course.

(2)The seasonal meeting with the High school Friends. The theme is the report of Hokkaido tour in September. The hot spring in Obihiro area and the animals they met.

(3)The preparation of the lecture at ASAHI culture center in Shinjyuku. The theme is the Art of Cello. I am now listening to some CDs of Pablo Casals  or Jacqueline Du pre.

(4)The preparation for Winter season include cloths. I found a nice jacket of Calvin Cline. But I must send some money to my family in Sendai. To buy or not to buy that is a question.

(5)It is a high season for Art exhibition in Tokyo.  I expect the Art of Goya exhibition at SEIYO museum which will start 22nd October.
(2011/10/2)

2011年10月1日土曜日

日本橋三題(3)

日本橋三越で、日本伝統工芸展を見る。
小学生の頃、西ケ原から追分の小学校に行く時や、万世橋の神田寺のサマースクールに行く時も、中学生になって京橋のフイルムセンターに行く時も、王子と八重洲通間を走る19番線都電に乗ったものだ。(注-1)

中央道りは当時と変わらないが、沿線の光景は大きなビルが立ち並び、随分変わってしまった。中で最も変ってしまったのがこの日本橋だろう。その一方でかろうじて残っているのが三越本店と橋の向こうの高島屋本店だ。

さて、その三越本店で毎年行われ、今年58回を迎える「日本伝統工芸展」(9/21-10/3)は、現代日本工芸の頂点が600点も集まるヘビーな展覧会だ。(入場無料)

でも、1時半までに銀座に戻らねばならないので、急いで見なければならない。そこで、7部門の内、特に陶芸、染織を重点的に鑑賞した。

まず、陶芸部門は、あまり動かないで、コーナーから一目で見渡して、面白そうなのだけ側に行って見た。

陶芸は、大きな壺やりっぱなお皿が多かった。でも、今回は、染織に心がひかれた。美しい着物と帯が約80点。中で印象に残ったのが、平織り着物「九月の雨」友禅訪問着「爽流」、いずれも直線のシンプルな模様で、方や上下の落ち着いた静かな雨を現わし、片や斜めの青系の線でさわやかな風を表現し、どんな女性が着れば似合うのかと思わせる。

ついでに、人形部門、金工部門もさっと見たけれど、今日の気分ではなかった。もう一度、ゆっくり来なければ作者に失礼なのでコメントは控えます。

(注-1)日本橋を起点に、追分と、西ケ原に一里塚があるから、西ケ原と日本橋は2里、8キロの距離ということになる。追分では、街道は北の日光街道と、南の中山道に分かれた。当時は、「本郷もかねやすまでは江戸の内」と言われたくらいだから、追分より先は、淋しい場所だったろう。

日本橋三題(2)高速道路に覆われた橋

日本橋は江戸の中心
NIHONBASI Bridge is the center of TOKYO though it is covered by the ugly highway.

江戸の中心は江戸城だが、庶民の活動にとっては、日本橋が中心といってもよい。だって、ここから、全国への街道がスタートするんだし、橋の袂には江戸っ子の台所、魚河岸があったんだから。

今から400年前(慶長8年)に建てられた日本橋は、墨田区の江戸東京博物館で復元されている。

1911年現在の石造りの二連アーチ橋が完成。太平洋戦争の空襲を経て現在に至る貴重な橋だが、高速道路で覆われて痛ましい限りである。


日本橋三題(1)日本橋クルーズ

日本橋クルーズと東京スカイツリー船上見学に乗りそこなう。
これまでは、混みあう週末は避けてきたのだが、最近の習慣として、土曜日はお出かけデイにしている。本日は、有楽町で映画を見て、帰りに三越で「伝統工芸展」に行くつもりで出かけた。

和光裏のシネスイッチに到着したのが、11時半。開演10時50分を外し、13時半のチケット(さすらいのディ-バ達)を購入。これが後で後悔することになるんだけど。時間が中途半端にあるので、先に三越に行くことにして、銀座線で日本橋に到着。

日本橋で、川にクルーザーが浮かんでるのに気がつく。11時50分に橋のたもとに行列があるので、そういえば、日本橋川のクルージングのニュースを思い出した。

とりあえず並んでみたら、12時出発で2時間半のコースとのこと。ただし、この回はすでに満員(定員30名)なので、14時半から。うーん、残念。映画の時間と重なってる。

今回は断念して、次回、11/19(土)に行くことにしよう。
ちなみに、コースは、(1)日本橋出発→(2)隅田川→(3)小名木川→(4)扇橋閘門→(5)横十間川→(6)北十間川→(7)東京スカイツリー。
(2011/10/1)