2012年7月26日木曜日

しばらくお休みします。

My BLOG will have a Summer Vacation for seeing Olympic Games in LONDON.
昨晩のなでしこカナダの素晴らしいゲームに続いて、今、サッカー男子も、あのスペインに対して1点先制、しかも1人(マルチネス)退場という大変なことになっている。(11時半現在)

ところで、小生のブログ、少々不具合が発生してます。本日午後に近所の鰻屋さんで串二本買に行った時に、ご主人にお願いして、炭火で焼いてる写真を撮らせてもらった。結構いい写真です。

早速アップしてみたのだが、写真はどこかに消えてしまった。続けて2回ほど携帯から同じ写真を転送したのだが、ブロガーの編集ページには出てこないんだ。前田社長、どうしたらいいの?

フォローしてくれてる人のブログから、自分のブログを見ると、確かにタイトルだけは載ってるが、中身はアップされていない。うーん、何故だろう?

一つ考えられるのは、前から、「個人グループと2つのアカウントが同じになってるから、個人のアカウントを変更しろ」と言われていた。だが、アカウントがよくわからなくて放置していたのだ。

いずれにしても、8/12までは、オリンピック観戦で忙しくなりそうなので、この際夏休みにします。
28日には、ケープタウンから一時帰国したKAZUYA君の報告会に参加の予定。(早朝に開会式を見た後なので、朦朧としてると思うけど)


文字だけの場合はアップされるみたいです。(2012/7/26)
See you again after The London Olympic Games.

2012年7月24日火曜日

原発事故調の最終報告について感想

NHKスペシャル「原発事故調最終報告・防げた人災、被曝、国・東電の癒着」を見て。
It has passed almost 500 days since the Meltdown of FUKUSIMA Nuclear Power Plants.Now we have been reported about this Level Seven Nuclear Accident by 4 Organizations.
They are by TOKYO POWER COMPANY, Government, Congress and Private Committees.
The last Report of Government Committee was reported just yesterday.
This evening I saw the NHK Program about those Reports except TPC.

7/23に福島原発事故に関する「政府事故調報告」が提出され、4つの報告書が出そろった。その中で、事故原因を想定外の津波とした責任逃れの東電報告書は、検証に耐えないので除外して、残りの3つの報告書の各委員長、委員が参加したNHKスペシャル「原発事故調最終報告」(7/24夜を見た。
ある程度報道されて知っていたことを整理するよい機会になったので、自分用のメモとしてまとめてみます。(テレビ見ながらメモしたら12枚になった)


1.参加者
(1)政府事故調委員長、畑村洋太郎氏、委員の柳田邦夫氏
(2)国会事故調委員長、黒川清氏
(3)民間事故調委員長、北沢宏一氏、


2.政府事故調は、4つの原子炉のメルトダウンの様子を整理。
(1)1号機には非常用装置があり、電源がなくても冷却できたのに、現場は操作手順を知らなくて、津波後4時間でメルトダウンに至る。
(2)吉田所長は消防車による注水で冷却を指示したが、そのようなスキームがなく、消防車が到着したのはメルトダウン後であった。
(3)3号機は冷却装置(HPCI)が奇跡的に働いていた。それを手動で停止してしまった。メルトダウン時の手順の訓練も知識もなかった。(恐怖)
(4)2号機はHPCIが働き、メルトダウンまで3日の余裕があったのに、放置したために、3/14に停止。メルトダウンに至る。(信じられない)
(5)事故に際しては、現場の運転員が試行錯誤で対応しており、安全神話のために、実際に発生している危機を現実のものとは捉えられなかった。(確かに最初の報道では、レベル4程度でメルトダウンしてないと言っていたね)
・・・すなわちメルトダウン対策が極めて不十分であったのが大きな原因だ。


3.政府事故調、柳田委員の指摘。
4つの原子炉の事故の起き方は違うが、共通しているのは全電源喪失だ。①電源確保のバックアップと②マニアル訓練が行われていれば防げた事故である。


4.国会事故調、黒川委員長の指摘
津波の前に交流電源が落ちていた。すなわち、地震も原因である。(東電は地震の影響を無視しているが)地震対策の上でも不十分だった。


5.民間事故調、北沢委員長の指摘
現時点では、最も注意すべきは、4号機の使用済み核燃料プールの状態である。屋根が吹き飛んだ使用済み核燃料プールは、大気にむき出しの状態で、次の地震も心配。プールの水が漏れて、燃料棒自体が大気にむき出しになれば国家存亡の危機になる。(大量の放射能が拡散して、小生の記憶では4000万人?避難。東京には住めなくなるはず)
問題は、海外からも指摘されているように、使用済みの燃料をこのような危険な場所に保管する設計思想にある。

6.政府事故調、畑村委員長の指摘
原発は使用済み核燃料の事を考えていない。使用済み核燃料は発熱しており、水がなくなれば大惨事に至る。しかも、建屋内の4階という不安定な場所に大量に置いていた。別の場所に保管すべきだった。

7.住民避難の混乱と悲劇
(1)避難による死者が発生
原発周辺の住民避難に際しては、事故を知っていた人は20%、70%以上の人が、4回以上の避難を強いられ、それもただ「西に逃げろ」と言われただけ。その際に、自力で動けない老人、病人が取り残された。双葉病院では、避難が原因の死亡患者は40人。寝たままの患者を普通の座席のバスで、230km、10時間に亘って避難させた結果、車内で3人が死亡。避難所で11人が死んだ。
・・・原子力災害時に大規模な避難を想定していなかった国家の責任が大きい。

(2)避難指示の遅れ
飯館村の被曝線量は3/23には危険であることを把握していたのに、避難指示は1カ月後(!)の4/22であった。(何故?!)
それは、①長期間の避難をそもそも想定していない。②避難すべき線量のレベルを決めていなかった。その論議で時間がかかった。住民からは、1歳6カ月の子供を、外で遊ばせていたとの悲痛な声も来ている。・・・国民の命を守ると言う国家の責務を放棄したと言わざるを得ない。

8.国会事故調の黒川委員長の指摘
避難した人に2万人アンケートを行い、1万人から回答を得ている。びっしり書き込む方もいて、貴重な資料だ。情報を知らされていない、今後の不安など悲痛な声が寄せられている。これを基に対策が急がれる。

9.柳田委員の補足解説(パネルを見せて)
事故のとらえ方について、3つに分けて、政府・事業者の視点と、住民の視点から解説した。
(1)東電は、「原発のシステム中枢」原子炉自体の運転の安全性を最重視。
(2)事故を想定した「システム支援」(電源確保、重機の配備、モニタリング)は、軽視。
(3)更に、住民にとって最重要の「地域の安全」(防災計画、環境汚染対策、農漁業対策)は、無視していた。防災訓練もきわめて形式的。

行政と東電は、(1)の側からしか見ていなかった。住民の目線で、(3)についてまじめに考えていなかった。畑村政府事故調委員長も、物事を片側からしか見ないことの危険性を指摘。原発のリスクの大きさを最初から知らせ、考えるべきとの意見のようです。

10.虜(とりこ)の関係。事故の前に、何故対策がなかったのか?
東電は「想定外の自然災害」というが、実は、1980年代の「津波堆積物調査勧告」から、2006年のアメリカB5b視察(これなんだか聞き逃す)、IAEAの避難対策策定の指示など、23回のチャンスがあった。(自然災害の危機管理を想定し対策をとるチャンス
それらをことごとく無視、先送りしてきた。
あろうことか安全保安院が妨害したケースもあった。
広瀬研吉保安委員長は、地震・津波対策に関して「寝た子を起こすな」と言ったそうです)

11.安全委員会と電力会社の責任
1993年に、原子力安全委員会は、非常時電源対策を提案していた。しかし電力は反対。安全委員会は、なんと電力会社に「何故電源対策がいらないか」の作文を依頼し、対策の先送りを決定。
この時に電源が確保されていれば、防ぎえた災害である。(残念!)

12.北沢民間事故調委員長の指摘
①日本人の「空気を読む文化」、相手の都合を斟酌してしまう傾向。
安全神話。この二つが、改善のチャンスを放棄させたのではないか?

13.ではどうすればいいか?
(1)黒川国会事故調委員長
政府が電力を規制するのに、規制される方が知識があった。これは日本に特有のことではない。このような場合にどうすべきか、国会事故調は7つの提言をした。(ネット公開)
(2)柳田政府事故調委員
委員、スタッフがどれだけ住民の視点に立って対応できるか、つまり最後はその人物と組織文化にかかっている。制度や委員会だけ出来ても、「仏作って魂入れず」ではだめ。時間がかかる。

14.今後の課題
(1)北川氏(民間事故調)・・・情報の伝え方、避難住民への放射線スピーディ情報の活用、海外への広報など。また、国としての危機管理。
(2)黒川氏(国会事故調)・・・先進国と思われていた日本でこのような原発事故が起こったことに、世界が驚き、注目している。この問題を議論し、まともな国会議員を選挙すべき。
(3)畑村氏(政府事故調)・・・調査を継続しなければならない。まだ分からない事がある。すなわち、
①何故こういう原子炉の設計なのか(使用済み燃料プールの位置等)
②メルトダウン進行のメカニズム。
③圧力容器から、格納器、外部に放射線が漏れるメカニズム。
そのために再現実験を行うべきだ。その調査は(我々ではなく)規制庁か他の機関がすべき。

15.柳田委員の指摘(まとめ)
住民の被害の全容を解明すべき。数百人にのぼる災害関連死。(津波ふくめて761人?)農地、家畜を手放してどうやって生きていくのか。総力を挙げてこの事故を教訓にすべき。
(2012/7/24)
聞き取りが不十分で、正確にまとめていない点はご容赦ください。分析は小生にあります。

2012年7月22日日曜日

金沢より友来る

金沢のM君から、「東京に来てるから会おう」と電話があった。彼は、早々と退職して、農業に従事しながら、趣味の登山三昧で暮らしているうらやましい人だ。でも、とても忙しくて、今日の午後には信濃大町に向かうという。白馬に行くらしい。

どこにいるのか聞くと、立川だと言う。我が家から立川は結構遠いのだが、忙しい彼の時間に合わせて、超暇な小生が立川に出向くことにした。気分はちょっとした遠足だ。昨秋、八王子の親類を初めて訪ねて、東京の多摩地区の開発に驚き、初めてモノレールで立川に行ったことを思い出した。東京って広い。

金沢の人と、板橋の人が、全く土地勘のない立川の駅で会えるのか心配だったけど、幸いにも、秋川の住人Kさんが同行してくれたので、じつに2年ぶりに再会することができた。短時間ではあったが、同年代の情報交換ができたのはよかった。

同世代の友人の近況を聞くことは、おおいに参考になる。それぞれの人生の中で、それぞれの苦労や喜び、楽しみ、後悔があるわけだが、そのどれもが貴重な味付けとなり、彼らの人生を味わい深いものにしている。

それに比べると、小生の場合は、転職を重ね、気分の赴くままに継続的な努力を怠ってきたのがよく分かる。しかし、それもまた、よしとしよう。病気の人亡くなった人、それもまた受け入れたい。いやあ、我ながら、ポジティブ志向でいいねえ。

とはいうものの、年金生活の困難や、被災地の知り合い、復旧の遅れ、我々自身の健康などに話が及べば、ややネガティブな面も出てくる。

とくに、経済の悪化と、社会制度の崩壊の話題はいつも盛り上がるねえ。ナオミ・クラインの「ショック・ドクトリン」の受け売りをしたら、M君も読んでいて話があった。新自由主義反対!惨事便乗型資本主義反対じゃ。

流通業界再編の話題を話していたら、K君はポケットから「下山の思想」を取りだした。登山の時代は終わって、さあ、下山の時だ。どのように下山すべきか。これについては次回話し合うことにして、M君は、スーパーあずさで去っていった。(これから登山か?)

(P.S.)さっきメールが来て、白馬は天候が悪く登山は中止とのこと。また、三人の会話でナオミ・クラインのことをナオミ・キャンベルと間違えてた。訂正して下さい。

2012年7月21日土曜日

本居長世(もとおりながよ)資料室にて

東京音楽学校「奉楽堂」にて明治の作曲家に会う。
MOTOORI NAGAYO, one of the Earliest Japanese Composer who composed AKAI-KUTU, Red Shoes and another famous Japanese Songs for Children.
ほとんど無人の奉楽堂内部を逍遥していると、二階のホールからパイプオルガンの響きが聴こえてくる。小学校の講堂のような古色蒼然としたホールでは芸大の学生と思しき女性がパイプオルガンの練習をしており、二人の聴衆がいるのみ。
「このホールは、かつて滝廉太郎がピアノを弾き、山田耕作が歌曲を歌い、三浦環が日本人初のオペラ公演でデビューを飾った由緒ある舞台です」(パンフより抜粋)

しばし休憩を兼ねてパイプオルガンの音色を楽しんだのち、1階に戻って資料室を見学。そのうちの一室が「本居長世」の部屋であった。
最初、何故音楽堂に国学者「本居宣長」の部屋があるのか訝しく思ったが、宣長(のりなが)ではなくその子孫にして我国の西洋音楽の先達、長世(ながよ)先生の資料室であった。(母方が宣長。そういえば、本居宣長の肖像画と似てる)


<本居長世年表>
明治18年(1885)東京都下谷区御徒町に生まれた本居長世は、国学者ではなく、音楽家の道を目指し、17歳で上野の東京音楽学校器楽科に入学。首席で卒業。母校で助教授として教鞭をとる。


その後、作曲活動に入り、大正三年(1914)には宝塚少女歌劇第一回公演の「うかれ達磨(だるま)」を作曲。大正5年には東京音楽学校を退任。作曲活動に専念する。
大正9年(1920)、児童雑誌「赤い鳥」から始まった童謡運動に刺激を受け、初の童謡「ネギ坊主」を作曲。長女みどりが「十五夜お月さん」を歌い絶賛。みどりは童謡歌手第一号となる。


大正10年(37歳)発表の「七つの子」「赤い靴」などは特に有名である。長女みどり、次女貴美子は姉妹童謡歌手として一世を風靡。大正12年には、関東大震災の答礼演奏のためにハワイ、アメリカ、さらに台湾、サハリンにも演奏旅行を行った。
その後、戦争が始まり、童謡運動は収束。軍歌の興隆を迎えたが、長世は軍歌を作らず、細々と作曲に専念。世間から忘れられていく。昭和16年、長女みどり死去。


昭和20年(1945)60歳、戦況悪化の中、捜索活動を中止。ピアノを売却。胃潰瘍のため衰弱し終戦から2ヵ月後の10月、自宅にて死去。「死んでから生きる」という言葉を残した。
(資料より抜粋)
・・・七つの子、赤い靴などは子供のころに習い、今でもよく覚えている。だが作曲した本居長世の名前は知らなかった。「死んでから生きる」という意味は、自分は死んでも、歌は残るという意味だったんだねえ。資料室の小さな部屋で、色あせた写真や、古い楽譜を見ながら納得した。三人の娘に対する愛情の深さにも感銘を受けた。
(訪問は、2012/7/21)





旧東京音楽学校奏楽堂の窓から

旧東京音楽学校奏楽堂二階の窓から玄関を望む。
この古色蒼然とした建物、前から気にはなっていたけれど、公開日も少なく、入ったことはない。しかし、都美術館が混んでいたので、思い立って入ってみてびっくり。日本の西洋音楽の黎明期に重要な役割を果たした音楽堂であった。


子供のころの学校校舎の様な雰囲気に、まるでタイムスリップしたような、懐かしい不思議な気持ちになった。


二階のホールは練習中のため、撮影はできなかったが、いつか改めて、外観、ホールなどを撮影したい。なお、入場料は300円。1年後に耐震修復のために閉鎖の予定。

東京都美術館

雨の東京都美術館では「マウリッツハイス展」を開催中
フェルメールの真珠の耳飾りの少女(別名青いターバンの少女)がこちらを振り返る。
そろそろ夏休みの土曜日、絶対混むに決まってると分かっていたが、朝から天候不順なので、もしや出足が鈍ってるのではないかと考えて、上野に来ました。

久しぶりの東京都美術館は、どこを改修したのかよくわからない佇まい。外からは、さして混雑してるようにも見えないので期待して、地下1階のエントランスに入ったら、長蛇の列。すぐにこの日の観賞は断念しました。
昔、西洋美術館に「マウリッツハイス展」(70年代?)を開催した時はがらすきだったのに、昨今のフェルメールブームのために大人気だから、夏休み中は無理でしょう。9月上旬が狙い目と思うけどどうかな?

方針を変えて、この日は、人気のない所に行こうと考えて、すぐ近くの「旧東京音楽学校奏楽堂」と、「国際子ども図書館」を訪問した。どちらも一度行ってみたかった場所である。ほとんど人はいなかった。(2012/7/21)

2012年7月19日木曜日

宮川赤坂のランチ鰻丼

つきじ宮川ほんてん赤坂店
赤坂は学生時代から20代後半によく通った町だが、昔ながらの通りと、がらりと変貌してしまった二つの顔を持つ楽しい街である。大きく変わったのはTBSの移転による再開発だろう。一方で、日枝神社、乃木神社、氷川神社を始め、当時すでにあった赤坂東急ホテル、国際ビル、それらをつなぐ赤坂通り、一ツ木通りなどの雰囲気は昔日(1970~80年代)をしのばせるものがある。
さて、このお店、赤坂から乃木坂に抜ける赤坂通りの中ほどにあり、実に清潔な外観である。
鰻屋の外観というのは、個性的な店が多く、同じ通りの日枝神社そばの「赤坂ふきぬけ」は、紅がらの壁が特徴的だし、神田のきくかわ久保田神田川などいずれも印象的な外観だ。
それらに比べると、赤坂宮川の清潔な佇まいは例外的である。
内部も、寿司屋かと思わせる白木のカウンターと椅子席のすっきりとしたレイアウトで、奥には座敷もあるみたい。それでいて、応対は極めて家族的というのがまた素晴らしい。

写真は、先週金曜日、熱中症対策のために頂いた「ランチうな丼」(2100円)である。いかだ1匹の半分の大きさ。愛知県三河のうなぎ使用となれば、極めてリーズナブルである。
その他の価格調査は以下の通り。
うな重(い) 2,940円、うな重(ろ) 3,990円、うな重(は) 5,040円(税込。肝吸い380円、赤だし420円は別料金)





マッカーサ−ルーム(2)

部屋の片隅に飾られた、ダグラス・マッカーサーの胸像
Douglas MacArthur at the Corner of the Memorial Room
接収中の第一生命館には民政局がおかれ、2月4日から12日までのわずか9日間で、日本国憲法の原案であるGHQ草案が作成されたと伝えられている。・・・ここは、まさに戦後日本の原点と言ってよい場所なんだね!

マッカーサーの日常は、住居のアメリカ大使館を午前10:30に出て、第一生命館で執務。午後にすぐ大使館に戻りランチと短い昼寝の後、再び執務室に戻り、夜遅くまで仕事部下にも重労働を強いたが、自身もよく働き、休みもほとんどなかったようです」
(ガイドより一部引用)

マッカーサールーム(1)

マッカーサー記念室
General MacArthur's Memorial Room at the 6th floor of DAI-ICHI-SEIMEI Buildimg.
午前11時半に第一生命本館に到着。ロビー左に短い列が出来てるので近づくと整理券を配ってるとのこと。早速並ぶ。整理券をもらって、実際に入館したのは午後3時55分であった
その間の小生の行動は、銀座でランチを食べて、英語クラスに出席して、ブックファーストで立ち読み。(本来入館は1日200人限定だが、配慮されて多めに受け付けていただきました)
かつて公開されていたこの部屋は2001年9.11のアメリカ同時多発テロを期に閉鎖。公開当時は、写真右のマッカーサー元帥の椅子にも自由に座って記念写真を撮れた。そのため、椅子は擦り切れて、緑色も色あせてしまったので、今は座れません。(ガイドのお姉様)

「昭和20年9月に連合国に接収された第一生命館は、その後6年10カ月に亘って連合国総司令部(GHQ)が置かれていた。マッカーサー記念室はその間の連合国総司令官が使用した部屋で、当時のたたずまいをそのままに保存したものです」
「執務室の広さは約54㎡、壁はアメリカ産くるみで、床は寄木細工。机・椅子は、第一生命の三代社長石坂泰三氏が使用していたものをマッカーサー元帥がそのまま使用した」
「なお、マッカーサー元帥が使用した期間は、1945年9月~1951年4月まで。その後、リッジウエイ大将、クラーク大将が引き継ぐ」(展示室ガイドより抜粋)


ところで、この机には引き出しがないが、それは「即断即決するので引き出しはいらない」という元帥の考えだったとのこと。マッカーサーは華美を嫌い、質素を好んだと言われています。

それにしても、この写真、歴史的な場所に立った緊張でかなりピンボケ。というのも、この時部屋には10人位の見学者が動いていて、人気の途絶えた一瞬を狙ったのだ。

2012年7月18日水曜日

街角彫刻(3) ソフトクリーム

カカオサンパカのソフトクリーム
A Big Soft Ice Cream of CACAO SAMPAKA
彫刻の写真を撮って振り返ると、そこには、スペイン王室御用達のチョコレート屋さん、カカオサンパカの店頭の看板が。今日は暑いから、ソフトクリームなんていいねえ。

街角彫刻

ジュリアーノバンジの彫刻を、横から見る

街角彫刻

ジュリアーノ・バンジの追憶
三菱一号館を出た所、重要文化財の安田生命ビルを遮るようにえばって立ってるのは、ジュリアーノ・バンジの彫刻だ。

彫刻三つ(3)腰掛ける女

ヘンリー・ムーアの「腰掛ける女」
A Sitting Lady by Henry Spencer Moore at the Patio of MITSUBISHI HOUSE #1
先月、久しぶりに訪れた宮城県美術館の入り口にも大きなムーアの彫刻があったが、すぐ傍に寄って触ることが出来た。

こちらは、芝生の中に設置されてるので近付けない。実際にはもっと大きくて質感があるのだが、この写真ではやや迫力不足。

三菱一号館の中庭の3つの彫刻は、元は箱根の「彫刻の森」にあった。高原の箱根から、都心の丸の内にやって来たけど、居心地はどうかな?


なお、彫刻の後ろには噴水があって、雀たちの格好の水浴び場となっている。白く見えるのはバラの花。そして、彫刻の左手は一号館美術館。今はバーン・ジョーンズ展を開催中。ちょっと立ち寄りたかったけど、まずマッカーサールームに行かなくては。(2012/7/18)


彫刻三つ(2)お昼寝

コルネリス ジットマンの午睡
三菱一号館パテオで見つけた彫刻は、クッションの上でお昼ね。

彫刻三つ(1) Park in Rome

淀井敏夫作ローマの公園
Two Ladies on the Chair, the title of this Sculpture is Park in Rome by Toshio YODOI.
Though this place is Mitsubishi First House at MARUNOUCHI in Tokyo.
今日の東京は35度の高温。熱中症の危険があるのだが、英語学校の日なので外出しなければならない。ついでに、昨日から短期特別公開された、日比谷の第一生命本館「マッカサールーム」を見学することにした。

丸ノ内線の東京駅で下車してから、暑さを避けて閑散とした地下道をたどり三菱一号館の庭に出た。少しは外気を吸いたくなったのだ。水曜日の午前中とあって、人影もまばらな中庭に彫刻を発見。

2012年7月17日火曜日

ごりんばし

代々木公園入口の五輪橋は東京オリンピックの思い出
There is a Stone Bridge named Olympic over the YAMANOTE Line near HARAJYUKU
さよなら原発10万人集会」に行く途中見つけた橋。いつもは、明治神宮側の神宮橋を渡るのに、この日は余りの混雑ぶりに、反対側の道を通った。
地球儀をのせた橋には、「ごりんばし」の文字が見える。側面にはオリンピックの各種競技のレリーフが刻まれている。向うに見えるのは代々木のオリンピックスタジアム。
いよいよ7/27から8/12までの日程で、ロンドンオリンピックが始まる。小生の観戦計画は以下の通りです。

7/25-26 サッカー男女
7/27 開会式(28日3:30~)多分寝てる
7/29 23:30 ウエイトリフティング 八木かなえ
7/30 03:30 競泳男女(多分寝てる) 北島康介
7/30 深夜 体操男子団体総合
8/01 23:30 卓球女子、福原愛、石川佳純
8/02 深夜 体操女子個人総合
8/05 05:55 陸上女子100m 福島千里
22:00 体操男子 内村航平
8/08 20:00 馬術障害、馬術個人
8/09 20:30 馬術馬場 法華津 寛
8/11 05:20 男子陸上400mリレー
8/12 19:00 男子マラソン、藤原新
    21:30 新体操女子団体
8/13 03:30 閉会式(多分寝てる)

注意すべきは、オリンピックで夢中になってる間に、原発に関するパブリックコメントの募集は終わることだ。このコメント書式、内閣府のHP探したけど見つけられないんですけど・・・。インチキ公聴会も終了して、これで国民の声も十分聞いたということで、日本のエネルギー政策は8/12以降に確定の予定。猛暑の中、深夜にテレビ中継を見て朦朧としてるうちに、色んな事決めてしまうんだね。

2012年7月16日月曜日

さよなら原発デモ(12)表参道ヒルズ前

さようなら原発デモの列が表参道ヒルズ前を通り過ぎる。
170,000 People attended at the Big Meeting at YOYOGI PARK against Nuclear Power Plants and many citizens, families paraded the main streets in TOKYO.


1時半に3コースに分かれて出発した、さようなら原発10万人集会のパレード(デモ)。
小生は、メイン会場に参加の後、しばらくパルシステムの旗の近くにいたが、知り合いに会わないので、表参道で、デモを見送ることにした。
OMOHARA CAFEで出発グループを確認した後、同潤会バーバリカフェなどで待機しながら観察を続けたが、その最後のグループがやっと原宿駅前横断歩道橋を通過したのは4時のことであった。
後で、ニュースで見ると、主催者発表17万人警察発表7万人とのことだ。小生が見たのは原宿コース(表参道から青山通り、明治公園に行くコース)だったが、全員が出発するまで2時間半かかったわけだ。
そろそろ終わりが近づく。4時頃の様子。向かいの表参道ヒルズの赤い看板は、夏でもチョコ、ベイクの宣伝。
手前は、表参道の散歩やショッピングを楽しむ人々。(2012/7/16)


さよなら原発デモ(11)バーバリビルのカフェから

まだ脱原発デモの列は続く
The Long Parade against Nuclear Power Plants has continued since 1:30 to 4:00pm
本日の気温は35度。高齢者には厳しい気温なので、バーバリビルの二階ピロティのカフェで休憩することにした。ビル風が強くて、気持ちいい。向うに見える、表参道ヒルズの前を、さよなら原発のデモが通り過ぎていく。

There were 54 Nuclear Power Plants in Japan but because of the serious Level 7 Accident in FUKUSIMA last March, 4
plants in FUKUSIMA stopped and were decided to be abandoned.

Other plants were also stopped because of maintenance and at last All of them stopped in May. So that it has become a great problem if Japan will start these Nuclear Plants again or not.

In this month one of them, The Ohi Genpatsu, Nuclear Plant has once started because of the necessity to avoid the Power Failure in the Peak Time in Summer.

Even though Most of the people feel the danger of the Nuclear Power Plants in Japan where the big Earth Quake would happen in the near future.

さよなら原発デモ(10)表参道コース

もうすぐというか、まだ表参道駅前

さよなら原発デモ(9)横断歩道橋から

今3時だけどまだまだ、続く
こうしてみると、横は5人じゃなくて8人くらいいるね。12列で約100人の勘定。
この写真に写ってる人だけで500~600人はいるはずだ。

さよなら原発デモ(8)同潤会ビルから

同潤会の窓を強調して撮影。
調度機動隊の警備車両も通るところです。

さよなら原発デモ(7)同潤会ビルから

同潤会ビル2階から撮影
表参道ヒルズの先にわずかに保存された同潤会ビル。
その2階からデモパレードを撮影してみた。
手前でアイスクリーム食べてる人たちも一緒だ。

さよなら原発デモ(6)延々と続くデモ

さよなら原発デモ(5)

茅ヶ崎の旗見つけた。
さよなら原発の青い旗は、茅ヶ崎のグループです。

さよなら原発デモ(4)歩道橋から撮影

さよなら原発デモ(3)交差点、続き


すごくにぎやかで、テラスのお客さんも皆注目。
Today is a Holiday and the Harajyuku Town is so clouded. The Long Demonstration Parade attracted strong attention of the town walkers.

デモパレードの列は延々と続く。横5人で縦20列で100人の勘定だから、今、写真でこの横断歩道を渡ってる人だけで100人くらい?これで数えれば、大体何人くらいの参加か分かるはずだ。(警視庁の警官が勘定してるはず)

原宿駅前歩道橋からこの交差点までで、1000人は下らないから、すでにこの段階で数千人が通り過ぎたわけだね。

一方、表参道(歩道)も大賑わいで、歩行者も一杯。宣伝効果も大きい。
そういえば、今日は海の日の休日で、連休だった。この東急プラザもセールの最終日でにぎわっている。

さよなら原発デモ(2)明治通りを渡るデモ

7.16さようなら原発10万人集会のデモ
There are Three Courses of the Demonstration Parade against Nuclear Plants.
この日のデモ(パレード)は、3つのコースに分かれる。

(1)原宿コースは、表参道→青山通り→外苑西通り→明治公園
(2)渋谷コースは、渋谷区役所前→勤労福祉会館→宮下公園→宮益坂下→恵比寿東公園
(3)新宿コースは、代々木公園交番→青少年総合センター→参宮橋→西参道→新宿中央公園
・・・いずれも、家族で歩ける適当な距離だが、今日は少々暑すぎる。帽子や日傘がないとちょっと辛い。

小生は、長期的な脱原発の立場ですが、実際には野次馬なので、本日は、高見の見物をさせていただきます。

I am against the dangerous Nuclear Power Plants but today, such a hot day I am only a bystander only taking some photos from the Terrace of OMOHARA Cafe.

さよなら原発デモ(1)表参道コースの先頭

表参道コースの先頭は、やっぱり福島だね!
The Top group of the Good Bye Nuclear Demonstration Parade is the member who come from FUKUSHIMA. They have the right to say NO against Nuclear Power Plant and TO-DEN.
表参道と明治通りの交差点に今年4月オープンした東急プラザ表参道原宿の3階、OMOHARA CAFEのテラスに陣取って、デモ隊を待つ。


九州地方は記録にない大雨のために河川が氾濫して大変な災害が発生しているが、東京は30度以上の真夏日で快晴。


熱中症の危険のある高齢者の私は、お気に入りの千疋屋原宿店ピーチメルバでも食べ、脱原発デモを見ながら、日本のエネルギー政策を考えるつもりであった。


ところが、千疋屋が満員なので、急きょ東急プラザの3階オモハラカフェに変更。外から見て、テラス席が空いてるのが分かったのだ。


原宿の交差点を眼下にしたベストポイントである。ちなみに、アイスカフェラテ300円。ただし、室内席は、女の子ばっかり。しかも沢尻エリカ様のヘルタースケルタ-とタイアップ企画の展示が展開されていて落ち着かない。
(2012/7/16)

さようなら原発メイン会場

7.16さようなら原発10万人集会のメイン会場。
Good Bye Nuclear Power Plants Meeting
Huge number of people gathered in YOYOGI Park.
ウッドストックを思い出すね!11時半の開会の時点ですでに満員。


あとで、主催者発表17万人,
警察発表75,000人だと聞かされた。

メイン会場に近付く

すごい人だ。すでに満員
最近はメーデーにも参加しないし、代々木公園も久しぶりだなあ!

さよなら原発

パルシステムの旗見つけた!

さよなら原発

チェ・ゲバラも福島の怒りの旗には負ける。
The Group who came from FUKUSIMA are very angry against TODEN and the Government. They lost Air, Water, Land, Houses, Jobs and Health.
福島からの参加者の旗には、「怒り」の文字が。突然家を失い、仕事を奪われ、被曝までしてしまったら、誰だって怒るよ。当然、原発は反対に決まってる。

しかも、4号機には、使用済み核燃料1500本が、非常に不安定な状態で保管されている。次の大地震で、この保管プールが壊れたら、悪夢だ。

チェゲバラの旗見つけた!

さよなら原発10万人集会の参加者はいろんな人がいる。
ひときわ目立つ赤と黒の旗は、チェ・ゲバラだ。

さようなら原発

ずらり並んだ機動隊車輌の横を会場に向かう。

原宿駅前は大混雑

7.16さよなら原発10万人集会に来たけど大混雑。暑いし。


2012年7月15日日曜日

MAN on A LEDGE

「綱渡りの人生」の後は、「崖っぷちの男」
I like this kind of movie, the MAN on a Ledge.
朝日新聞の映画評で失敗した(ファウスト)ので、「銀座百点」の渡辺祥子のシネマギャラリーで紹介されている「崖っぷちの男」を見たが、とても面白かった。渡辺さんの紹介する映画は、ほぼ面白い作品なので安心して見に行ける。(有楽町シネルーブル)

面白い映画の条件は、(1)ストーリー(脚本)(2)役者(3)監督(演出)の3つだ。これは、芝居でも同じだね。この3つがうまく組み合わさるといい映画になる。
本作は、(1)ストーリーは、すごい無理があって、よく考えると変なのだが、(2)役者がすごく魅力的で、(3)スピード感のある演出の力で納得させるという映画だ。
特に主人公ニック・キャシディ役のサム・ワシントンの無精ひげがいい。小生も、ひげ剃るの止めようと思った。そしてNYのルーズベルトホテル21階窓の外に実際に立ってのシーンは実写の迫力だ。クレーンを使用して撮影したらしい。(ただしセット撮影の箇所もあり)

交渉人のエリザベス・ハンクス、悪者のエド・ハリスははまり役だが、ニックの同僚アッカーマン役のアンソニー・マッキーは、いい人か悪い人かわからない。ニックの弟役で、エドハリスの会社の金庫に侵入するジェイミー・ベルは冴えないが、そのガールフレンド、アンジー役のジェネシス・ロドリゲスは素敵だ。その他の俳優も、顔と表情が個性的でいい。

監督は、ドキュメンタリー出身のアスガー・レス。NYの街頭の喧騒をうまくとらえて、素晴らしい映像を見せてくれる。すかっと爽やかな、夏向きサスペンスです。夏バテでかなり疲れていたのに、一度も寝なかった。(2012/7/14)

2012年7月14日土曜日

綱渡りの人生

アークヒルズフロントタワーの画廊で見つけた動く彫刻。
"The LIFE on a TIGHT ROPE" by Masayosi MAEDA at Ark Hills Front Tower Garelly.
古美術「長野画廊」の「前田昌良展」(7/7-7/21)より。
エルミタージュ美術館」の至宝を見たために、ものすごくリッチな気分になり、赤坂に戻った小生は、久しぶりに「赤坂宮川ランチうな丼」を注文してしまった。(別途報告予定)

その後、腹ごなし運動を兼ねて、金曜夜の反原発集会の場所を見に行こうと、内閣府方面に向かうが、時間が早すぎて、警備の機動隊車両ばかりだし、道路に柵を並べたり、嫌に警備が厳重なので、逆方向のアークヒルズ方面に向かった。

そこで、ショーウィンドゥの中に見つけたのがこの動く彫刻。「綱渡りの人生」というタイトルに惹かれた。うーん、僕にぴったり!または今の日本にもぴったり。

画廊の中に入ってみると、ご主人が色々と説明してくれた。遠慮して写真は撮らなかったけど、赤ちゃんが寝ているオルゴールとか、星が落ちてくる仕掛けなど、彫刻と言うよりはおもちゃと言っていい楽しい作品が一杯。

どこかで見たような気がしたのももっともで、作者の前田さんは、別冊文芸春秋や小説の表紙絵も描いているそうである。


2012年7月13日金曜日

国立新美術館でエルミタージュ展を見る。

エルミタージュ美術館「世紀の顔」西欧絵画の400年。
400Years of European Masterpieces from the State Hermitage Museum.
暑いしお金もないので外出を控えてきたが、国立新美術館のエルミタージュ美術館展がそろそろ終了する(7/16まで)というので、熟慮の末、やはり後悔しないように見ておこうと決心した。
実は、今日の選択肢は、(1)上野(「マウリッツハイス美術館展」で真珠の耳飾りの少女に会う)、(2)池袋(映画、「崖っぷちの男」に会う)、(3)恵比寿、(「世界報道写真展」で抵抗し傷ついた人々に会う)、(4)半蔵門、(国立劇場歌舞伎鑑賞教室で「毛抜き」の粂寺弾正に会う)等などであったが、エルミタージュ展は16日で終りという訳で、乃木坂までやってきたが、正解であった。


今回は、エルミタージュの膨大な収蔵品から、わずか89点を、(1)ルネサンス、(2)バロック、(3)、ロココと新古典派、革命の世紀、(4)ロマン派から後期印象派まで、(5)マチスとその周辺。と年代別に紹介するという、大変分かりやすい展示だ。


各時代の目玉は、(1)ティツィアーノ、ベロネーゼ、ダビンチ派、スケドーニ、(2)ルーベンス、ヴァン・ダイク、レンブラント、(3)プーシェ、ユベール・ロベール、(4)ドラクロワ、コロー、シスレー、ルノワール、モネ、セザンヌ、ドニ等1点づつ。(5)ルソー、マルケ、バンドンゲン、マティス、ピカソ、デュフィ各1点といった具合で、誠にあわただしいが、西洋美術史の勉強にはいいかもしれない。(今、同館の保有する作品の中で、日本に持ち出してもいいのを集めたという感じだ)

それでも、パルマの画家、バルトロメオ・スケドーニの作品2点、ユベール・ロベールのローマの公衆浴場跡など、意外な出会いがあった。前者は2007年の「パルマ展」で、「キリストの前のマリアたち」の大画面に圧倒された。また「廃墟の画家、ユベールロベール展」は、今年見に行って好きになった。テルマエ・ロマエを思い出した。
もちろん、最大目玉の大作「マティスの赤い部屋」も楽しい絵画で、ゆっくりと観賞できました。
写真は、エルミタージュ展とは関係ない。ロビーに展示されている具体展の作品の一つです。



国立新美術館「具体展」より

「具体」日本の前衛18年の軌跡より、作品「水」
The Spirit of an Era(7/4-9/10)、国立新美術館のロビーにて。
今日は、エルミタージュ美術館展を見に来たが、ロビーに変なものが吊るしてあるので撮影してみた。ビニールの袋に色んな色のインクを入れたものを、球面のガラス壁に吊るした、1955年の元永定正氏の作品「水」を、2012年に、三人の別の作家が再制作したものだ。
ガラスの壁面に飾られたビニール袋は、夏らしくていいけど、建物が巨大なのでやや迫力に欠ける。前衛というにはおこがましいのう。

それはさておき、エルミタージュ美術館は、18世紀にエカテリーナ2世が、サンクトペテルブルグの離宮に西欧の美術品を集めて作られた世界5大美術館の一つだ。


ロンドンの大英博物館ナショナルギャラリー、パリのルーブル美術館、マドリッドのプラド美術館、フィレンツェのウフィツィ美術館、NYのメトロポリタン美術館、北京と台北の故宮博物院と日本の国立博物館の中で、美術館の名前のつくのを拾うと4つあるでしょ?
これに、エルミタージュを入れて世界の5大美術館だ。小生、エルミタージュ以外はすべてチェック済み(自慢)である。
だが、エルミタージュ(隠れ家の意味)だけは、訪問する機会がなかった。本来なら、ソ連時代に行っておけば興味深い体験が出来たのにと思う。小生の「人生10大後悔」のひとつでもある。


今、小生の手許に、書棚から探してきた1冊のカタログがある。1966年10~12月にかけて国立西洋美術館で開催された、「エルミタージュ・プーシキン・ロシア・トレチャコフ・ソ連国立美術館近代名画展」のカタログだ。その記述は、今読むととても興味深い。


例えば、「ネヴァ河と宮殿広場に挟まれたこの長大な大理石宮は、ヨーロッパの中でも最も美しい都の一つとされるレニングラードの魅惑の焦点だろう」
「この歴史は、10月革命によって飛躍的な変貌を遂げるに至る。1917年10月25日、ペトログラードのレーニンの命令に依って冬宮襲撃が開始され、ネヴァ河に錨をおろしたオーロラ号の砲声とともに革命軍が制圧するまで、襲撃は、朝三時まで数時間の間に終了し、かつての王宮美術館は、民族の財宝の保管、展示の公共記念物として面目を一新する」etc.

いやあ、42年前の「古いカタログ」って面白いねえ。今日は節約して、カタログ(2500円)買わなかったけど、失敗だった。比べてみたいものだ。(2012/7/13)


2012年7月11日水曜日

ひょうたんや

銀座六丁目三原通りのひょうたん屋
The HYOUTAN-YA EEL RESTAURANTS at GINZA
水曜日の11時半すぎ、「ちい散歩の絵手紙展」(注-1)を見られなかった私は、三原通り(注-2)を漫然と歩いていて、ひょうたん形の看板(写真中ほど)に気が付いた。銀座のうなぎ(柳じゃなくて)といえば、四丁目の「銀座竹葉亭」(注-3)専門の小生だが、過日、「食べログ」(注-4)を調べていたら、トップに挙がっていたのがこの「ひょうたん屋」(注-5)であった。

実は緊縮財政の折り、次回のうなぎリサーチは、吉野家すき屋(注-6)、せいぜい銀座登亭(注-7)と考えていたのだが、偶然、「ひょうたん屋」の前を通りかかったことに、何か運命的なものを感じた小生は、導かれるように店内に入っていた。

開店直後なのに店内はほぼ満席。幸い空いていたカウンター席に座ると、目の前は、ガラスで仕切られた調理場(炉)で、痩身のマスターがうなぎを焼いているではないか。右手にうちわを持ち、左手だけで、次々に串を裏返し、たれに浸しては、焼いて行く。

鰻屋で、目の前で調理してるのを見たのは荻窪の「川勢」(注-8)以来だ。煙は換気扇で排煙されるが、とにかく暑いとのこと。側にペットボトルを置いて、ひたすら焼き続けるのはすごい。素手で炭火の上のかば焼きをひっくり返してるのだが、もう熱くないのだろうか?

小生は、ランチ限定のうな丼(なんと1300円)(注-9)を注文したのだが、右隣は松重(2520円)、左隣は竹重(2100円)梅重は1780円である。4丁目和光裏の、新橋登亭、銀座店のうな重がたしか1900円(?)だったから、この価格帯は極めてリーズナブル。近所のサラリーマンの支持が多いのもうなづける。

もう一つの特徴は、関西風に、蒸さずに焼いているので、鰻がぷりぷりしていることだ。「竹葉亭」や「いずもや」のほっこり柔らかい鰻とは全く違う。これは、どちらがいいかと言われても好みの問題だし、ある日はハードに、ある日はソフトにと、気分的なものもあるでしょう。12時には、店頭に列(写真)が出来ていた。(2012/7/11訪問)

(注-1)地井武雄さんの絵手紙展は三越9階テラスで無料で見れますが、大混雑。
(注-2)中央道りの裏の東通りの更に裏の三原通りはあまり歩いたことがなかったが、よく見ると、近所のサラリーマン向けのおいしそうなお店が多い。松坂屋の裏に当たる。
(注-3)銀座竹葉亭の2階座敷は、狭いけど、昔の鰻屋の風情が少し感じられる。
(注-4)食べログの順番はあまり当てにならないけど、参考にはなる。
(注-5)ひょうたん屋は二つあって、銀座1丁目が本店みたい?こちらは後で出来たらしい。
(注-6)吉野家すきやのうな丼は、食べてみたいような気もするが、躊躇するとこもある。
(注-7)銀座登亭は、よく通りかかるのだが、いつも込んでて入ったことがなかった。
(注-8)荻窪の「川勢」は、狭い店でカウンターだけだから、ご主人の作業がすべて見えた。北口再開発で、今はどうなったのか?一度調べに行かねば。
(注-9)うな丼と、お隣の松重や竹重との格差は一目瞭然だが、それでも小さいうなぎ一匹使用してた。1300円というのは2年前のランチ価格帯だ。7月時点でこの価格帯と言うことは、仕入先に秘密があるのか?

銀座4丁目遺跡

三越銀座新館9階のテラス風景
今日は、朝早く出発して三越銀座の「ちい散歩、地井さんが書いた563枚の絵手紙」展(7/10-16)を見に出かけたのだが、10時少々回った時点ですでに、長蛇の列。
「ちい散歩」は老母のお気に入りの番組で、小生も時々見ていたし、無料なのでぜひ見たかった。

だが、超高齢社会の日本では、時間をもてあました多くの年金生活者が同じようなことを考えるはずだということに思い至らなかった。


それにしても、その愛すべき人柄ゆえ、ちいさん(地井武男)の人気は凄い。作品は、列の間からも見えるので何点か拝見したが、ちいさなスケッチブックにささっと描かれた、プリミティブ(素朴)絵画の趣である。1点30,001円の全作品(額装)がすでに完売である。(一部非売品あり)さらに画集(2冊)も会場販売分は完売で予約が殺到。

そういえば、昨年、神田昌平橋で「ちい散歩」の撮影現場に遭遇したことがあるが、ちい散歩の訪問先は、庶民的で親近感のある場所が多かった。

列に並ぶのはあきらめて、テラスに出てしばし休憩。ここは閑散として、人工的な草むらにはトンボも飛んでいる。青空に広がる雲を眺めながら、しばし、地井さんの冥福を祈る。(2012/7/11)





2012年7月10日火曜日

三内丸山遺跡(3)

大型の掘立式建物
The BIG JYO-MON HOUSE next to the TOWER
この大きな家の説明文を撮影し忘れたので、勝手に推理してみます。
竪穴式小型住居が個人用で、高床式建物が倉庫なら、この巨大ハウスは集会所?
建物左側には、三内丸山の象徴的な大型掘立式塔があり、建物なのか見張り塔なのか論争されている。宗教的な塔であると同時に、実用的な観測塔でもあったと思う。
この建物で、縄文人は、会議したり宴会したのでしょうか?

三内丸山遺跡(2)

第28号掘立柱建物
4500Years old High Floor styled House in JYOMON AGE.
これは縄文時代(じょうもんじだい)中期中頃、4500年前の高床式(たかとこしき)建物。切妻(きりずま)屋根を6本の太い柱で支え、その柱の横穴に太い丸太を通し、そこに細い丸太を半分にカットしたものを載せて床にしている。

柱は栗(くり)屋根と壁は茅(かや)サイズは、長さ(縦)9.1m×横4.9m×高さ7.0mです。
すでに日本家屋の原型といっていい。

三内丸山遺跡(1)

青森県三内丸山遺跡の竪穴住居(復元)
4500years old House in Jyo-Mon Age in SANNAI-MARUYAMA Ruin in AOMORI
先月訪問した青森県の三内丸山遺跡の写真が多数残っていたので整理します。
約4500年前の縄文時代中期の建物。楕円形で約4mの大きさ。住居中央に地面を少し掘った穴があり、炉として使用されていた。

隣にも更に原始的な縦穴住居があり、天井は三角だが、こちらはやや台形である。中に入ってチェックすべきだった。

玄関はなかなかしゃれた造りだが、地べたに寝起きするのだから湿気が大変だったと思う。
(訪問2012/6/17)

2012年7月8日日曜日

なまず

どじょっこにてなまずに会う。
The Chef is going to cook this pretty Cat Fish
町屋「どじょっこ」の「おすすめコース」のニューは、
(1)最初にお刺身盛り合わせいわししまあじまぐろそして、ミンク鯨。いずれも脂が乗っておいしかった。特に、久しぶりのミンク鯨はとろける絶品。
(2)次いで、泥鰌(どじょう)の柳川(やながわ)鍋。暑い時期に食べる柳川は格別。これは丸物ではなく捌いてあり、食べ易い。老人会に相応しく、胃を切除した人や、食が細くなった人、人生に疲れた夏バテ気味の人によろしい。
(3)鯨のグリルと野菜サラダ。おいしかった。ボリュームもあって胃のない人には食べられない。
(4)ナマズの唐揚げ(からあげ)。調理の前になまず本人を写真のように紹介してくれる。動物愛護精神旺盛なK君は、なまずと目を合わせてしまい、食べられないと言いだす。
(5)サプライズのお寿司も出た。海老(えび)と烏賊(いか)で紅白で、目出度い。これはサービスみたい。
以上で5250円は、リーズナブル。店内の雰囲気も我々に合っていてよかった。(2012/7/7七夕夜訪問)



町屋のどじょっこ

町屋のどじょっこに老人たちが集う。
T教授が学生たちに連れてこられて気に入ったので、かねてより「もう一度行きたい」と騒いでいた、ここ、荒川区町屋の有名店「どじょっこ」で、老人会を決行。6名が結集した。

ところで今、ウィンブルドン・テニス、女子シングルスの決勝戦が終わった。セレーナ・ウィリアムスアグネツカ・アドバンスカとの一進一退の攻防の果てに、セレーナが優勝したのだ。二年ぶり、5回目の優勝だ。金色のお皿を掲げてとてもうれしそうだ。

さて、今日はもう遅いので、どじょっこの詳細については改めて報告します。(2012/7/7)




2012年7月6日金曜日

最近の銀座通りあれこれ

A Quick Guide of New and Old Places in Ginza

The Ginza street in Tokyo is just as the Regent Street in London or the Fifth Avenue in NY.
There are many old and traditional and expensive Shops and Restaurants in those towns.
Even so any towns are just like some kinds of creatures, that means a Town is changing or growing day by day, year by year.

Today I met one of my friends at the Terrace Cafe of SAN-AI at Owari-Chyo Cross, YON Chyome Kosaten. Because she has just changed her job and found a good new job.
I would like to celebrate her new Job by inviting her to Lunch.

I considered which restaurant is suitable in this case for a young foreign lady. Sushi or Unagi is good in this season but they are too common. So that I decided to go to a Spanish Casual Restaurant, ESUPERO at MIYUKI- DORI Avenue. It seems popular for ladies and quite reasonable.
It was good choice and we could enjoy our dishes.

Then we took some Herb Tea at the Rose Bakery Cafe at 7th floor of GINZA KOMATSU which renewal opened this March. This building is just the back of UNI QULO Shop at the central street.
Today we visited very newly places but if you'd  like to go to very old restaurants I recommend Ginza LION, SHISEIDO PARLOR, LOHMEYER,  TEN-KUNI, FUTABA-ZUSHI, CHIKUYO-TEI etc.

今日は、数年前にインターンシップの学生として来日したWさんから「転職した」との連絡があったので、転職祝いに、銀座でランチすることになった。先月はジェフからも同じような連絡があり、池袋で会ったし、やはり転職した、こちらは日本人のK君からも連絡があって水曜日にやはり銀座で会ったばかりだ。なぜか、転職した人は、小生に会いたくなるらしい?

銀座での待ち合わせは、三愛のドトールということにしている。春先までは2階の窓際が見晴らしも良くていいと思っていたが、5~6月は気候もよくて、1階のテラスがよい。コーヒー注文しなくてもいいしね。(本当は注文した方がいいけど)しかし、今日の様な湿度の高い日には、冷房の利いた室内の方がいいかもしれない。

さて、ランチをどこにすべきか?通常なら、鰻(うなぎ)か寿司なのだが、おととい日本橋で鰻を頂いたばかりだし、明日は町屋の泥鰌屋に行く予定なので、久しぶりに二葉鮨にしようかなと考えた。だが、財布を見ると、極めて厳しい状況なので、5丁目、みゆき通りのスペイン料理エスペロにした。

ここなら、ランチ1000円だからね。それにいろんな料理の組み合わせを選べるから楽しい。350円でデザートとコーヒーまで付けられる。金曜の12時少し回った時間だったが満員。予約客も多いらしく15分ほど待った。

Wさんは、香港出身でカリフォルニア大学バークレー校で学んだ才媛だが、就職は厳しくて、小学校の英語補助教員としてしばらく働いていたとのこと。就職難は、日本でもカリフォルニアでも同じく厳しいのだ。でもなんとか新しい仕事先が見つかったのはよかった。

その後、折角なので新しいスポットに行こうと、3月オープンのコマツの新館7階のローズベーカリーに行った。ここは、要するに中央通りユニクロの一つ裏のコムデギャルソンビルである。ここだとハーブティーだけでゆっくり粘れる。静かなので、あまりでかい声ではお話出来ないけれど。健康食品のお店っぽいところもあって、食事も出来ます。

さて、このように、本日は比較的新しい銀座をめぐったが、こうしてみると銀座通りの新旧の入れ替わりは激しいですね。東京大空襲直後の四丁目の写真を見たら、和光と松屋、教文館がほとんど無傷で残っていた。特に和光は、変わらぬ銀座の顔である。
その他、サッポロビルライオン資生堂パーラーローマイヤー博品館などは、青年時代にお世話になった建物だ。

もっとゆっくりと銀ブラしたいところだが、今日は生協の配達日なので、早く帰らなければならない。Wさんの新しい職場での健闘を祈る。(2012/7/6)

2012年7月5日木曜日

日本橋界隈のうなぎ情報

The UNAGI Information at NIHON-BASHI Area.
The Opening day of the LONDON OLYMPIC is also the Day of DOYO-USHInoHI, the EEL Eating Day in JAPAN.
7月のメインイベントは27日に開幕するロンドンオリンピックだが、奇しくもその日は日本では土用丑の日である。27日は、遠くロンドンの地に思いを馳せつつ、うな丼を頂くのが正しい過ごし方と言えるのではないだろうか?

さて、昨日、いずもやにて日本橋のタウン誌「日本橋」を貰って来た小生は、驚くべき重大情報をゲットしたので皆様との情報共有化を図りたい。すなわち、土用丑の日、日本橋うなぎMAPである。14の有名店の価格一覧である。(網かけは小生が行ったことのある店です)

(01) 伊勢定(三越向かい)   3,675円
(02) いずもや本店        1,680円~
(03) いずもや三越店      1,680円~ 丑の日は持ち帰りのみ
(04) 大江戸(昭和通り)       2,200円
(05) 近三(小伝馬町)         2,500円~
(06) 亀とみ(室町)         1,800円
(07) 喜川 (日本橋3丁目)   1,500円
(08) 喜代川(小網町)         3,000円~
(09) 高嶋屋(小舟町)         2,300円~
(10) 鳥徳(茅場町)          2,700円(6月現在)
(11) はし本(八重洲)          3,150円~
(12) 松よし(兜町)               2,000円~
(13) 美国屋(高島屋そば)   2,900円
(14) 日本橋宮川(室町)      2,700円~

注意すべきは、価格は一番安い値段を示しているということだ。だから、うーんと小さいうな丼を用意して、価格が低いように演出することも可能だ。

こうしてみると、伊勢定は高いねえ。デパートの側と言う同じ立地のために、なんとなく似てる美国屋は、案外安い。また、大江戸はコストパフォーマンスがよい。さらに、いずもや亀とみ喜川は、2000円を切る価格で勝負だ。これはリサーチにいかなくっちゃね。

そういえば、いずもやには、「限定10食、大串かば焼き2枚付きうな重2940円(肝吸、新香付)」のサービスがある。かなりお得ですね。(本店にあるのは知ってたが三越にもあるそうだ)

2012年7月4日水曜日

日本橋いずもや

三越地下のいずもやの竹重
TAKE-JYU, the Bamboo Class BOILED EEL on RICE in BOX
銀座の用事の後、日本橋三越でおつかいを済ませた小生は、なんとなくリッチな気分となり、気がつくと、地下食品売り場の「いずも屋」で鰻重を注文していた。(反省)

昨年、いずもや本店で限定10食(?)のサービスランチを頂いた時は、醤油味が勝った印象であったが、本日のうな重は蒸し過ぎといっていいくらい柔らかくて、タレも普通の感じで本店とは違うような気がした。総括的にいえば、ごく普通においしいうな重である。柔らかいのも、高齢者には食べ易い。

メニューは以下の通り。(おしんこ付き。吸物は別。料金税込)
うな丼(笹) 1,680円
うな重(竹) 2,520円(写真)
うな重(鶴) 3,780円
うな重(松) 3,780円
ここで問題は、鶴と松が同じ値段であるという点だ。写真を見ると、大きさもほとんど同じだ。

早速、店員さんに質問したら、いずれも宮崎産のうなぎだが、の方が脂肪分が多く、は昔ながらの鰻であるとのこと。・・・ということは、松を食べるべきということなのか?次回の課題である。

写真の上、漆黒の重箱の蓋には金色で日本橋の絵が美しい。
写真の下、うなぎの形の箸置きも可愛い。(2012/7/4)

夏の銀座四丁目風景

梅雨の晴れ間に見えた青空と和光ビル
WAKO Building against Summer Blue Sky.
九州地方の記録的な豪雨は、地球温暖化に因る異常気象、地域的な気候変動の一例だろうか。一方、本日の東京は快晴で、30度近い夏日となった。

有楽町に降り立った小生はなんだか気分がよくて、日動画廊を覗いてみた。地下で「昭和会展受賞記念、山本桂右展」を開催中とのことである。なんと最終日。作者も来ていて、ご挨拶してしまった。もちろん初対面だけどね。

2004年の昭和会優秀賞を受賞した山本さんの絵は、京都を題材にした風景画が多い。版画での活躍が多かったのだが、最近は油彩作品が多く、澄み切った空気の爽やかな画風だ。お値段も100万円以下のものが多く、今がお買い得。もちろん小生には無理だが。

この日は、午後には三越本店の6階ギャラリーにてMin Young Kiさんの「高麗茶碗展」も鑑賞。夏向きの、すっきりと薄茶色の井戸茶碗他の展示は眼福であった。(2012/7/4)

2012年7月3日火曜日

安いうなぎを求めて

安くておいしいウナギを探せ
Japanese People need reasonable EEL in Summer.
今年の土用丑の日は、7/27(金)であるが、すでに報道されているようにシラスの3年連続の不漁のために、うなぎ価格が高騰している。この背景には、「水産資源の枯渇」という深刻な問題があるが、うなぎ好きにとっては、「安くておいしいうなぎを食べたい」という単純かつ切実な問題でもあります。


7/3のテレビ東京「ガイアの夜明け」は、安くてうまいウナギを求める商社マンの活躍を紹介していて、微かな光明を見た思いだ。番組は、悲鳴を上げる鰻屋の状況からはじまり(すでに店をたたんだ鰻屋多数?)、3つの対策例を紹介している。

(1)スーパーマルエツの商品(ひつまぶしセット)開発(よく見てなかったので省略)、でも、一度試食してみたいと思う。価格は600円を切ってるが、正確にメモできなかった。(お茶淹れながらテレビ見てたので・・・)

(2)アメリカ東海岸のウナギを使用した店。新橋の「うなぎのお宿」では、6月に実験的に導入。そのお値段がなんと1300円。大きさは日本うなぎに似ているが、すごく元気で、油の少ないのが特徴。蒸し時間を半分にするなど、調理の工夫でなかなかおいしそう。ただし、土用のシーズンは出さずに秋になるらしい。

(3)マダガスカルのモザンビークウナギの買い付け。本来は大ウナギ(巨大と言っていい)が食べられているのだが、小型のうなぎの養殖もしていて、その設備の大きさにびっくり。浜松から3日掛けて買い付けに来た商社マンは、炭、タレ、ご飯持参で早速調理して「うまい!」。生きたままの空輸も課題だが、それもクリアした。すごい!これも食べてみたい。

この他にも、すき家(並盛り780円)、吉野家(並盛り650円)の価格競争はすでに報道されているが、まさに、金欠の小生にふさわしいプライスゾーンである。(2012/7/3)


夏の庭三題(3) 温暖化による熱帯雨林化。

もはや、熱帯雨林のようになった庭。
Is this a garden or Rain Forest? The Weather is changing from Temperate to Tropics in Tokyo?
放置していたら雑草や灌木が勝手に伸びて、もはや専門家を呼ばなければ手に負えない。

一番はびこってるのはドクダミで、庭一面に根を張ったのではないか?
次が、南天の灌木で、写真には写ってないけど、右の方に一杯伸びてる。
そして、あちこちに紫陽花が顔を出している。

誠に見苦しいが、生態系にとっては非常によい環境である。特に蝶類にとっては、色々の葉っぱを食べられるので、色んな種類の蝶のニーズに応えられる。また、トカゲも繁殖してる。


残念なのはヤブ蚊が増えていることだ。これはご近所にも迷惑なので対策が必要。(2012/7/3)

夏の庭三題(2) 納屋への入口

しばらく見ないうちに大きく成長した紫陽花が納屋の入口を塞ぐ。
手前の紫陽花の花はカットしたあと。
藪蚊が一杯いて危険。