2017年8月31日木曜日

時屋のどらやき

家にもどると、誰かがどらやき持って来てくれた。
新宿西口、小田急ハルク一階の時屋のどらやきである。
東京の三大どらやきは、上野うさぎ屋、浅草亀十、東十条草月が定説らしいが、時屋のどらやきこそ、ドラえもんのどらやきなんだ。
何故なら、ドラえもんの作者の藤子不二雄の好物だったから。
個人的にはどれも美味しいが、草月の黒松どらやきが好き。
かなり昔、青年劇場の稽古場で、飯沢ただすさんの「多過ぎた札束」か、「夜の笑い」か、どちらかの舞台稽古を見学した時、偶然、飯沢先生の隣に座った。
多分、キノコが出てきた時、あれは何で作ったか分かるかと聞かれた。
「わかりません」と答えたら、「どらやきだよ」と言われ、感心したのを思い出した。

2017年8月30日水曜日

クローブの野菜カレー

先週に引き続き、紀伊國屋地下のクローブで、野菜カレーをいただきます。

京都展のお土産

デパート地下と物産展が好きです。幼少の頃、上野松坂屋が遊び場だったからか?
本日は、伊勢丹の京都展を訪問。
祇園「はれま」のチリメン山椒と野菜昆布。清水寺参道、七味屋の七味。そして、岡崎真如堂前の雅柳の抹茶、松緑を購入。
それ以上滞在すると、茶碗買ってしまいそうなので、早めに切り上げる。
我ながら、自制心があると感心した。

MEMORY LANE EAST

最近、外国人観光客に人気のこの小さなエリアは、数少ない戦後闇市の名残。
1960年代末は、ベトナム反戦デモの帰りに、ここで鯨カツライスを食べるのが定番コース。
さらに末広通りでどん底によって、さらにゴールデン街に繰り出す人もいたらしい。

TSUNOHAZU UNDER GROUND 02

角筈地下道の西口側入口。工事の看板で囲われてるね。

TSUNOHAZU UNDER GROUND 01

TSUNO-HAZU UNDER GROUND SUBWAY IS THE SHORT CUT BETWEEN EAST AND WEST OF SHINJUKU.
EAST IS KABUKI-CHO AND WEST WAS YODOBASHI AND TOTAL TOWN NAME WAS TSUNO-HAZU.

SHINJUKU WALK 03

異国の人々が行きかう角筈地下道。
これが旧青梅街道なのか?
地下道の壁には青梅街道の宿場町が描かれています。

SHINJUKU WALK 02

旧青梅街道の標識から新宿駅東口方向を眺める。
今はルミネエストとなっている駅ビルは、かつてのマイシティだ。
サクラヤはビックカメラに変わったが、高野、中村屋、紀伊國屋書店、伊勢丹は昔の場所に健在。
三越はビックロに変わってビックリ。

SHINJUKU WALK 01

新宿駅東口から、新宿通りを北上すると、すぐに靖国通りにぶつかる。
その少し手前、左は角筈地下道の入口に立つ旧青梅街道の案内。

CHIHEI'S BREAKFAST

8月30日の朝食。
上から、時計回りに、BLEのL抜き。ダノンヨーグルト、カフェオレ、野菜ジュース、チーズトースト。
8月もあっと言う間に過ぎ去り、月末の支払日が続く。
多分、明日の健康保険と住民税、そして9月4日のクレジット決済までは可能だ。
しかし、9月末の火災保険更新が厳しいんだ。

今朝の介護食

THE BREAKFAST FOR MY OLD MOTHER.
YOMOGI SOBA NOODLE and BLT with ACEROLA JUICE.
EASY TO PREPARE.

今朝の朝顔

昨日、今日と、珍しく早起きした。
老母の睡眠時間が、昼夜逆転したことで、夜中の12〜3時に起こされることがあり、早起き出来なくなった。
だから、昼に見る朝顔はみんな萎れていた。
だが、昨日は、何故か、6時に起床。Jアラート、すなわち、初めて空襲警報を聞いてびっくり。えーっ、北の国からミサイルが飛んでくるの?
そして、今朝は、5時30分に目がさめた。
教育テレビ「100分で名著」で、大岡昇平の「野火」を島田雅彦さんと映画監督の塚本さんが解説していた。
玄関に出ると朝顔が咲いていた。

2017年8月28日月曜日

サイクリングの途中で

石神井川沿いの遊歩道は、春には桜が満開になる。

SUMMER GRASS 02

学校の金網にからんだつる草の写真だけど、上手く撮れなかった。

SUMMER GRASS 01

サイクリングの途中、おしろい花とほかの花を見つける。
ここは、石神井川沿いの遊歩道。

環状7=?iso-2022-jp?B?GyRCOWYbKEI=?=線の眺め

環状1号を跨ぐときわ台陸橋からの眺め。
電車とか自動車等、乗り物を見ているのは楽しい。
もちろん飛行機や船も。

CHIHEI'S BREAKFAST 03

THE BREAKFAST OF SUNDAY MORNING IS SO EASY.

ノブティックのケーキ 03

こちらも正確な名前は忘れた。
マンゴームースケーキみたいな名前。
マンゴーのトッピングにクリームの下のマンゴームースが呼応して、立体的な濃厚さと爽やかさが両立してる。
ノブティックのケーキはかつては見た目の美しさが際立ち、味が濃すぎたものがあり、老人には重かった。
見た目重視で付き合ったら化粧がきつく、性格も結構うっとおしいガールフレンドみたいなものだ。
しかし、今では、見た目も良いが、性格も良いと言う境地に達している。
可愛くてしかも、ひかえめで、気立てがやさしい理想的なケーキです。

2017年8月27日日曜日

ノブティックのケーキ 02

正確な名前は覚えられない。
オレンジムースケーキみたいな名前。
オレンジとピールとムースとクリームのコンビネーションが絶妙です。
夏向きのさわやかな一品なり。

ノブティックのケーキ 01

ときわ台北口のケーキ屋さん、ノブティックにてケーキを三つ買う。一つは母に、二つは私が食べる。

2017年8月26日土曜日

AOYAMA STREET 03

国連大学の前に難民キャンプが出現か?
実は、フリーマーケットまたはファーマーズマーケット。
野菜を中心に雑貨や、移動販売の軽食もあります。

AOYAMA STREET 02

間もなく取り壊される予定の「子どもの城」。正面の岡本太郎の「太陽の塔」の子供みたいなモニュメントは檻に入れられてしまった。

AOYAMA STREET 01

青山学院前の横断歩道橋から表参道方面を眺める。
右側は青山学院大学、左側は国連大学。

YELLOW HOUSE at HARAJUKU

原宿の裏通りには楽しいお家がたくさんある。
たいていデザイナーの事務所や店舗。

同潤会アパートの名残

1978年から84年まで千駄ヶ谷に住んでいた私の縄張り(自転車の移動範囲)は、北は新宿駅西口小田急デパート、東は千駄ヶ谷体育館のプール、西は明治神宮西参道駅、そして南は原宿表参道でした。
当時は、夜になると表参道も明治通りも真っ暗で、人通りも少なかった。
その理由の一つが同潤会アパートでした。
今は、東京を代表する観光地となり、観光客で賑やかです。

OMOTE SANDO WALK 03

表参道ヒルズのはずれにわずかに残された、堂潤会青山アパート。
よく残してくれました。でも、もう少し残してもよかったね。

OMOTE SANDO WALK 02

THE INNER VIEW OF THE OMOTE SANDO HILLS、 SHOPPING MALL.
表参道ヒルズは、かつての同潤会青山アパートの再開発として、2006年に開業。設計は安藤忠雄。
開業当初は、納得できない建築だったが、10年経つと慣れて来た。
ところで、今朝(8/26)は、北朝鮮から未確認飛行体が飛翔したが、失敗して、日本海に墜落したと言う。
表参道一帯は1945年5月24日と25日にかけて爆撃され、4400人が亡くなり、表参道の並木も焼失。同潤会アパートはかろうじて焼け残りました。

OMOTE SANDO WALK 01

THE VIEW OF OMOTE SANDO STREET FROM THE WINDOW OF THE CAFE 426.
8月もそろそろ終わり。今年の夏休みは、暑くてあまり外出しなかった。
映画とテレビをたくさん見た。特に、終戦特集。
特に、フランスのテレビ番組、「アフターヒトラー」前後編は、ちょっとショックでした。

不健康なランチ

土曜日の午後、表参道のベーカリーカフェ426にて、あんこ入りクロワッサンとアイスクリームと珈琲のセットを頂く。
先日亡くなった、フランスの名女優、ジャンヌ・モローの最期の作品が、「クロワッサンで朝食を」だった。
血中コレステロールの濃度を高めるバターとクリームがリスキーです。
ジャンヌモローの映画は1950年代の「死刑台のエレベーター」が傑作だが、1960年代のカフカの「審判」も印象的だった。
そういえば、昨日、美術の先生の逝去のメールが届いた。

CHIHEI'S BREAKFAST 02

今朝の朝ご飯。
写真上の方から、(1)大根、豆腐、わかめ、茗荷、ねぎの入ったみそ汁。
(2)ご飯。CO-OPのレトルト小分けライス。最近は、ご飯炊いても余るからね。
(3)BLTならぬ、BLE。ベーコン、レタス、目玉焼き。英国のB&Bの定番。
(4)京都のちりめん山椒。生協の協同購入。
(5)ごぼうこんにゃく。かつおだし風味。
全体のカロリーは不明。

今朝のほおずき

7月9日、浅草ほおずき市で買って来たほおずきは、8月26日の朝も元気です。

今朝の朝顔

7月7日に入谷朝顔市、一号店で買ってきた朝顔は、8月26日の朝も、元気に咲きました。
鉢からはみ出して門扉に絡み付く。

SHINJUKU WALK 02

伊勢丹デパートのディスプレイ。携帯で、マトリックス的な世界を表現。
デパート巡りは、楽しいが、値段が高すぎるのが謎です。
客層は中国の富裕層っぽい。

SHINJUKU WALK 01

靖国通り越しに歌舞伎町方面を展望する。
かつてのコマ劇場跡地には、ホテル、映画館等の入った高層ビルが建ちました。
左側にゴジラの頭部が見える。
また、右側には格安の殿堂、ドン・キホーテ。ゴジラのマスク売っています。

2017年8月25日金曜日

CHIHEI'S BREAKFAST

今朝の介護食。
オレンジジュースにカフェオレ。オレオレドリンクだよ。
ベジタブル豆腐サラダの中味は、レタス、きゅうり、トマト、豆腐、茹でタマゴ。ぽんずまたわ黒酢、マヨネーズ等をかける。
CO-OPヨーグルトに、CO-OPの長期保存クロワッサンにチーズとレタス挟んでいただきます。
既に、洗濯も済ませ、お出かけの準備は整いました。

らんぶる外観

月曜日に久しぶりに新宿に行った時の写真が残ってた。
東口、新宿通りの一つ裏の、喫茶らんぶるです。
西口、南口が大変貌を遂げた中で、東口の、50年前と変わらぬ光景は、伊勢丹、喫茶西武、紀伊国屋書店、船橋や、三平食堂、鰻こばやし等、貴重である。
ちなみに、北口、歌舞伎町は、コマ劇場、スカラ座が消え、ゴールデン街の外れにはテルマー湯が出現。
老舗の中村屋、高野フルーツ等は場所は同じだけど変わった。
消えたのは三越、サクラヤ、新宿文化等。
週末はまた新宿に行こうかなあ。
九月の老人会の会場も探さないとね。

2017年8月22日火曜日

紀伊国屋地下カレー

紀伊国屋書店の地下には手頃なレストランが多い。カレー屋も複数入ってるが、その一つ、クローブで、スパイシーな玉ねぎまるごとカレーを頂く。
久しぶりの新宿はなかなか楽しい。

KINOKUNI-YA at SHINJUKU

新宿の紀伊国屋書店のビルは2014年に50周年を迎えた。1964年、前川國男の設計で完成。
学生時代には毎週一度は通うくらい馴染みの書店でした。
当時は、池袋東口の新栄堂、西口の芳林堂と並び、お気に入りの書店だったが、2017年現在、残ったのは紀伊国屋だけ。
紀伊国屋ホールで、つかこうへいの熱海殺人事件や、井上ひさしの雨等見たのも懐かしい。

らんぶるのトースト

食パンのトーストが厚過ぎ。糖質ダイエットの正反対。
さて、らんぶるの名前から、バルセロナの観光地、ランブラス大通りを連想した。
1989年10月、失業中に、二週間程滞在したバルセロナでは、ランブラスの東側、中世地区の旧市街、カテドラル前のコロンホテルに滞在した。
途中で節約のために、ランブラス近くの安い宿に移った。
カタルーニャ広場の銀行でペセタを替えて、リセウ劇場の天井桟敷席で、なんかオペラ見た。
そして、2017年8月18日、カタルーニャ広場からリセウ劇場まで、暴走自動車テロが発生。13人死亡、100人以上が負傷と言う悲惨な事件である。
日本の秋葉原や京都祇園の暴走事件を思い出す。
さっき紀伊国屋で立ち読みした「東京住みたくない町」では、池袋が上位に上がってるが、北口の中華街やホテル街の怪しさ、東口の巣鴨プリズン跡のサンシャインビルや、ホームレスと共に、暴走事件のイメージも大きい。
最近では、池袋西口交番近くで違法ドラッグによる暴走。東口では病気の医者がZARAに突っ込んだり。
古くは、サンシャイン大通りを疾走した連続通り魔事件もあった。
ランブラス通りには、辛いイメージが染み付いてしまった。
でも、スペイン内戦時期には、コロンホテル周辺含めて、たくさんの人が死んだ。
歴史ある街には、血生臭い思い出が染み付いてるんだ。

らんぶる地下2階 02

5年前のらんぶる地下2階の写真。
変わらぬ景色は、さらに50年前にタイムスリップする。
1968年の新宿西口広場にはロングヘアーの若者、フォークゲリラが集まり、過激派学生の新宿騒乱事件も起きたっけ。
花園神社には唐十郎の紅テントが現れ、三丁目の新宿文化地下にはさそり座もありました。
らんぶる斜め向かいのいまはなき風月堂は、アンダーグラウンドの拠点だった。
若く楽しい時代だった。

らんぶる地下2階 01

ガラケイの中に、2012年11月17日のらんぶる地下2階の写真を見つけた。
喫茶店の中には、誰もいなくて私一人。
地下一階からの階段は舞台の様です。
この景色は、1968年頃と同じ。先日見た高島屋の沢田教一写真展を思い出す。
1965年ベトナム戦争に米軍に同行取材した沢田が撮影した写真「安全への逃避」は翌年のピュリッア賞を受賞。
100年以上に渡るベトナムの独立運動は、複雑過ぎる歴史だった。
1960年代には、フランス植民地主義を引き継ぐ米帝国主義と、その傀儡政権が、北ベトナムの共産党政権と民族解放戦線と戦う戦争になり、1964年のトンキン湾事件でアメリカは本格的に巻き込まれて行く。
1965年にはリンドン・ジョンソン大統領による北爆が始まり、東京大空襲を思い出すナパーム爆弾で多数の市民が死んだ。
1968年頃には世界的にベトナム反戦運動が巻き起こり、日本でも小田実のベ平連運動が盛んになった。
新宿は、そんな雰囲気で充満していたんだ。

2017年8月21日月曜日

新宿らんぶるにて 03

地下2階の受け付け。この左側にレコードとスピーカーがある。

新宿らんぶるにて 02

地下一階から地下二階席を眺める。
広い吹き抜けと、鉄のシャンデリアが特徴です。

新宿らんぶるにて 01

月曜日、久しぶりに新宿紀伊国屋書店に行く。この一週間、本屋巡りをして、立ち読み三昧です。
振り返ると、まず、銀座シックス6Fの蔦や書店で、怪談三冊。京極夏彦、泉鏡花、小泉八雲読む。
コアのブックファーストが撤退したのはショック。
日本橋丸善にて、「東京住みたくない町」が山積みになってるのを発見。
西川口ブックオフで、井伏鱒二と京極夏彦他購入。
池袋東武デパート旭屋書店にて「東京住みたくない町」続きを立ち読み。
西武デパート地下の三省堂書店にて立ち読み。「戦争浮浪児」の本等買う。
そして、本日、新宿紀伊国屋書店にて、「東京住みたくない町」立ち読み読了。
他に絵本「無くなる言葉」、写真集「香港九龍城」、三木清「人生論ノート」等パラパラ読み。
大変疲れたので、紀伊国屋地下でカレー食べてから丸井裏の純喫茶「らんぶる」にて休む。
月曜日なのにほぼ満員。

PHOTOGRAPHER KYOICHI SAWADA

土曜日は、日本橋高島屋で「沢田教一写真展」を見る。
沢田教一(1936〜1970)は、青森出身の戦場カメラマン。
三沢基地での撮影を経て、1961年上京。UPI通信に就職。
1965年、2月、自費でベトナム戦争を取材。その後、7月から、UPIサイゴン支局カメラマンとして取材。
9月、クイニョン北方のロクチュアン村で、川を渡る避難家族の写真、「安全への逃避」を撮影。
ハーグ世界報道写真展大賞を獲得。
1966年には、その他の写真を含めて、ピュリッア賞を受賞。
アメリカ海外記者クラブ賞も受賞。
1968年、テト攻勢の、フエ城攻防戦に参加。1970年、サイゴン支局に戻り、カンボジア内戦を取材。
10月、プノンペン南の国道2号線で取材中、狙撃されて死亡。
1971年、カンボジア難民の写真でロバート・キャパ賞を受賞。

2017年8月19日土曜日

はし本の限定うなぎ02

日本橋はし本の限定うなぎ。宮崎県佐土原の和匠の鰻である。
美味なり。量も調度よい。
はし本のこだわりは産地より生産者。
通常の価格帯は以下の通り。
(い)3300円(1尾)
(ろ)4500円(1.5)
(は)6000円(2尾)
いずれも税別、肝吸いや赤出しも別。
これに比べると、この限定鰻重は、やや小さいとは言え、充分。肝吸いもついているからお得です。
なお、昼のうな玉丼等は国産ではなく、台湾、中国産とのこと。
前に一度、鰻玉丼食べてがっかりした理由が分かった。
(2017年8月19日)

はし本の限定うなぎ01

THE UNA-JU MEANS A GRILLED EEL、KABA-YAKI ON THE HOT RICE IN A BOX.
日本橋はし本にて、10食限定のうな重、リツ、2800円(税別、肝吸い新香付き)である。
黒地に夏草の重箱が美しい。
本日の鰻は宮崎県佐土原産、和匠うなぎの新子。子はにんべん付く。

日本橋の鰻 02

はし本の2階に初めて通された。部屋は五つくらいある様子。かなり混雑。
通されたのは、私の部屋によく似た和室です。他に二組の客がいたが、すぐに帰り、一人ぼっちで不安。
忘れられないか?

日本橋の鰻 01

THE TRADITIONAL JAPANESE STYLE ENTRANCE OF THE EEL RESTAURANT、 HASHIMOTO.
IT IS SO ATTRACTIVE FOR ME TO TRY UNAJU FOR LUNCH IN SUCH A HUMID SUMMER DAY.

8月半ばの土曜日、日本橋高島屋でピュリッア賞写真家、沢田教一の展覧会を見るべく昼過ぎに家を出た。
ランチは高島屋、数寄屋橋次郎の寿司と決めた。
だが、東京駅から日本橋を歩いてる内に、鰻はし本の側を通りかかる。
そういえば、今年はまだ来てなかった。
足が勝手に入って行く。

夏休みのホットケーキ

西川口並木通りの銀行に行った帰りに、珈琲館のホットケーキを頂く。
ホットケーキは、小学1年の時に、秋葉原で初めて食べて以来、好物である。
中央通りを南下して、神田須田町にあった高級果物店、万そうのホットケーキは至高であったが、先年、惜しまれながら廃業した。
さて、珈琲館のホットケーキだが、なかなかよい。